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金光中学時代の思い出 1 |
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二代教会長
後列右から2人目
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− 湯川 茂 述 『先代を語る』より − |
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私は、小学校を卒業すると、「おまえはお道の先生になるのやから、本部の中学校へ行け」ということで、本部の金光中学校へやられることになりました。心の中では、「そんな遠くへやらずに、家から通学のできる大阪の中学校へ行かせてくれ」と一生懸命に叫んでいるのですが、口に出してはひとこともよう言わん。父に対しては絶対服従の習慣がついているので、黙って、父に連れられてご本部へ行きました。
今でこそ金光の町も、ちょっと都会化したような感じのところもありますが、私が連れて行かれたのは大正初期のことで、まだ「金光町」になっておらず、「大谷村」ということではなかったかと思う。何しろまだ電灯もついていない。全く田舎≠フ田舎≠ナした。 |
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私は自分勝手に、「教会の控所から通学できたら有り難いなあ。ぼんぼん∴オいされて……自分で布団を敷いたり、上げたりせんでいい、掃除せんでもいい……親から、使いに行ってこい、と言われることもないし……」と、そんなことを思ってみたりしていたが、全然見当違いで、「本部の先生のお宅に預かってもらうように頼んである」ということで、そこへ連れて行かれました。
生まれて初めて親と離れ、もう当分家へ帰れないと思うと、心細くなって、人が見ていない所でしくしく泣いたことを記憶しております。 |
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そこのお宅には中学生が五人程頂かってもらっておって、先生と奥様に監督されて、いわば修行生活です。掃除当番・炊事当番・風呂の当番……と当番が順番に回って来るのです。朝起きると一年生の間は上級生の夜具を全部押し入れにしまわなければならん。ご飯は麦ご飯、食べづらいのを我慢して食べました。ご飯炊きもした。ぬかみその中へ手を入れて漬け物を取り出して、おこうこも刻みました。ランプ掃除と言うても、よっぽど年寄りの人でないと分からんと思うが、毎日、家中のランプを集めて来て、ガラスのほやを壊れんように磨かんならん。そして石油を足して、布製のしんを切っておく。上手に切りそろえておかんと、火をつけた時に炎が片寄って明るくないし、煙が出てガラスのほやが真っ黒になる。「今日の掃除当番はだれや」と先生にしかられる。 |
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中学生マント |
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ある時皆が相談して、何か一つずつ善いことをしようではないかということに話がきまりました。私は便所掃除を受け持つことになりましたが、便所といっても、それは昔の農家の便所で、実に粗末な、汚い感じのもので、何程骨折って雑巾がけをしてみても、掃除ばえのしないものでした。しかし、一生懸命になり、毎日続けて行くと、それが楽しみになり、一日でも欠かすと気分が悪いようにさえなりました。いくら拭いてもキレイにならなかった床板や柱が、だんだん光るようになってきました。そして時間もかからなくなりました。 |
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誰でも、始めから便所掃除が好きな人はないと思います。私も嫌いでした。しかし、何でもやり抜こうと続ける内に、それが嫌いでなくなり、楽しみになってきたのであります。便所掃除に限らず、嫌いなようなこと、難しいようなこと程、やり続けてみると、かえって思っていた以上のよいことが発見され、喜びも大きいと思います。何かを実行に移す、改まる、というのも、まず一つのことに力を注ぎ、繰り返して行き、それができるようになれば、また次を足して行くようにしたらよいと思います。 |
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しょうことなしに辛抱していましたが、何かにつけて家に帰りたくなる。夜なんか、石油の節約で、早くからランプを消して寝なければならん。そんな時にボーッ≠ニいう列車の汽笛が聞こえてくると、もうたまらん思いでした。
そうするうちに、やっと学期末になる。試験が終わると当分の間学校は休みになるから家に帰ることができる。そこのお宅にお世話になっている中学生が皆、それを待ち兼ねているのです。その日は朝早くから掃除を済ませ、家へ持って帰る荷物もまとめておいて学校へ行く。試験が済んだら、とんで帰って来て、「試験が済みましたから、これから家へ帰らせていただきます」と、あいさつして、ぱっと、とび出して行く。 |
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そんなふうにして喜び勇んで両親の所へ帰ってくるのですが、甘い顔をして迎えられたことがない。父から「遊びに帰って来たのと違うで。お広前の玄関へ行って下足番をし」と言われました。「大阪へ帰ったら映画が見られる」そういうことも楽しみの一つなんですが、言うとしかられる――どこにおっても修行≠ニいうことがついて回る。「教会の子はつらいなあ」と思いました。
それでも、「やはり、親のところはいいなあ」と思っている。これもよそで暮らして来たおかげで、親の有り難さが分かったのですね。 |
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本部のご大祭に、広前の上がり口で学友等と下足番の奉仕をしていた時に、大阪から父が参って来て、いきなり大きな声で、「どういう気持ちで下足番しているのや」と問われて閉口しました。傍に友達がいるし、父の後ろには信者さんが大勢ついて来ておられるし、皆が私を見つめている。体裁が悪くて、私が何とも言わずにいると、「下足番は、下足の整理しただけではいかん」と言うておいて、お広前へ上がってしまわれました。
「遠方から参って来た人の足の苦労を拝め。そしたら自分もおかげが頂ける」ということかなあ、と思いました。 |
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