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生 い 立 ち
祖 父 の 温 も り
幼児時代の3代教会長
勿論、小さい頃はずっと一緒におりましたし、一番強烈な印象は、初代の大先生の直接肌にふれたということでなしにですね、室戸台風というのがございまして、その時、まだ教会は前の教会でありまして朝から風が吹いておりました。丁度その頃幼稚園に行っておりましたので幼稚園に行こうと思ったら、うちのお祖母さんが「危ないから止めておけ」ということで、幼稚園に行かなかった。 そのうちに風が吹きだしました。あの頃の家ですから、天井まで、ばたばたばたばたと上下してゆれる。上に溜まっている鼠のふんがばらばらおちて来るというふうな事で、勿論大先生始め、うちの父親二代の大先生始め全員がお広前に出てご祈念をさして頂き、又板が飛ぶので、それを抑えたりとか、皆一生懸命になさっておられた。 私は子供のことですから、行き場がないんで、二階へ上がりましたら丁度初代の大先生のお布団が敷いてあった。滅多にこんなチャンスがないんで、そのお布団の中にもぐり込んで、私らがその頃寝てたのは、薄い布団一枚だったんですけれども、初代の大先生のはごつい布団が二枚も敷いてあって、ふわふわで大変気持ちが良かった。其処へもぐり込んで、布団を頭から被って、そのままで眠ってしまいました。 その時の布団の温もりと、何と申しますか、初代の大先生の臭いというか、体臭というものがその布団の中に籠もっておる。その臭いが未だに覚えているわけですね。不思議なもんで、昭和九年からですから、もうぼちぼち六十年近くなるわけですけど、そういう、初代の大先生の体臭というものを、何というか表現のしようがないんですけれども、覚えておるわけです。折りにふれて、その事が思い出されて、ああ私もお祖父さんの孫なんだなという、何とか変な確信みたいなものを、持たして頂くことが出来る。こういうことは、信心でも何でもないわけですけれども、その血の流れというものを、何となくそんな所で改めて、思わしてもらうような事を、度々思わしてもらうことが出来る。そう言うことを思う度に、初代の孫である自分が、只血が繋がっているとかいうことだけでなしに、信心の流れを、信心の血をどれほど受けさしてもらっているのかということを、改めて思わして頂くのが当たりまえ。とても、どういうふうなことをさしてもらっても足りないことは足りない。親の信心の半分もさして頂ければ有り難いことであるし、二代が初代の後を受けて、半分の信心をといつもおっしゃって頂く、私どもに言うておりました。けれども、どんなにさして頂いても父親の信心の半分にもさしてもらう事は出来ない。しかしながら、その半分でも出来るように、一生懸命にさしてもらえば、後の半分は、父親がちゃんと足してくれるんだということを、言うとりましたけれども。私からすれば、今度は、親父が半分なら、自分はその半分でいく、初代からすれば四分の一になってしまうんで、それでも、その四分の一の信心をさしてもらうことでも実に大変な事である。そういうことをさしていただければ、初代が二代が私どもを助けて下さり、足りないところをちゃんと補って下さる。 そのもう一つ上を尋ねていけば、やはり神様が教祖生神金光大神様が私共を助けて下さるんだという、そういう思いを持っておかげを蒙って参ってきておるわけであります。
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