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生 い 立 ち
祖 父 の 温 も り
銀座教会長ご夫妻
平成九年(一九九七年)八月一日、銀座教会において、先代銀座教会長夫人・湯川津也姫三年祭が麗しく執行され、祭主を私が仕えさせていただいて大慶に思っております。 津也伯母は、私が慶応幼稚舎へ入学以降大学時代までの幼児期から成人に至る人間形成に一番大切な期間を育成してくださった、いわば育ての母とも申せましょう。それも、弟の信直(現銀座教会長)と二人連れで面倒をみてもらっていたのですから、随分ご苦労をかけたことだろうと、今更ながら有り難く、お礼申さずにはおれません。 伯母は明治三十一年(一八九八)八月八日、初代大先生の長女として出生(二代大先生の姉)、大正四年(一九一五)四月三日、牧野誠一師(先代銀座教会長)を婿養子に迎え結婚、大正八年十二月には金光教教師を拝命されました。そして、大正十一年(一九二二)には、湯川誠一・津也夫妻が東京布教担当に選ばれ、初代大先生のお手代わりとして、大正十二年(一九二三)一月二十日から東京市京橋区木挽町3丁目にて、布教を始める。同   年(一九二三)九月一日、関東大震災にて銀座教会の前身、木挽町布教所も被災。大正十三年(一九二四)九月二十九日、東京市京橋区銀座2の3にて、銀座教会を開設。というように、初代大先生のみ教えを、ご夫妻は迷わず惑わず一筋に受け継がれて、着々とおかげを受けていかれたのです。関東大震災で被災されたご夫妻は、その後、銀座二丁目に約四十坪の土地を借り受けられ、初代大先生に報告に来られました。その時のようすを、後に初代大先生がお話しになっておられます。 「銀座で家を買うといいますから、『よろしい。しかし金は送らん』といいました。図面をつくりましたが造作に一万七、八千円はいります。金は送ってやりませんのに少しも心配しませんから、かえってこっちが心配せんではおられへんことになりました。義理の間柄でもありますから、少し送ってやりましたが礼もいいません。また送ってやりました。送り損です。『心配する心で信心せよ』という御教はここだなっ、これだなっと教えられたことです。その代わり学生五人ほど送ってやりました」(旧『信話』第九集62頁) こうしてご夫妻は、学費のかかる学生(修行生)を預かることになりましたが、決してお断りになりませんでした。誠一先生に言わせれば、「断るような信心は教えられていない」というのがその理由でした。また伯母にしても、このような費用は神様から頂くとの信念を、初代大先生から常々教えられていたからです。お祭りの折などに来阪し、帰京するときにも、次のようなやりとりがあったということです。 「始めのひと月は金持って帰らせましたが、翌月持って帰れといいますと『結構です』といいます。その後はいうてやっても断わりいうて来ます。『もらいますとかえって減りますから』というてます。算盤で世帯すれば五、六百円減る、神様で世帯すればやれていく――私の筆法を教えてありますから一向勘定しません」(同前62頁) 津也伯母が、東京に来られた初代大先生から、「どうや(お金足りているか)」「ハア、マア」「少し置いて帰ろうか」と言われてお金を頂くと、その月は、初代大先生が置いていかれた分だけ足りなくなったそうなのです。ですから初代大先生が、「どうや」と仰ったときでも「神様から頂きます」と、ご辞退なされたわけです。 「算盤からいけば二軒借りてるのですから四、五百円は要りますが、神様によって暮らさしてもろうてますから要りません。月二、三回は参って来ますが、神様にお願いし神様にやらしてもろうてますから気楽にやれてます。算盤持って頭ひねればとうていいけません。算盤で生活するのでしたら決して安心はできません。私のやり方は神様によってやらせていただくのですからやれます。これっみんなに覚えていただきたい。神様によって――ということをねっ、これさえ判ればみんなできますんじゃ。 この信心で生活の安定という安全地帯へ出ていただきたい」(同前63頁) 初代大先生が、「私の筆法」として教え伝えられたこのご信心を、私達も改めて学ばせていただきたいと思います。
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