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生 い 立 ち
東 京 大 空 襲 の 悲 惨
東京大空襲
丁度終戦の年の五月の二十五日の東京の空襲を思い出しておりまして、丁度五月の二十五日の日は、銀座の教会も戦災にあったわけであります。私も当時、銀座の教会におりまして、焼け出された口なんですけれども、その焼け出された後、五月の二十七日か、八日だったと思うんですが、丁度私も、学徒動員と申しますか、勤労奉仕にやらされておりまして、多摩川線の野中というところで、海軍の糧品敞というのがありまして、海軍の薬を作っておる所で働いていたわけでありますが、その帰りしなに、電車も何も止まっておりまして、やむを得ずトラックに便乗しようと思って、友達とトラックを止めたわけなんです。そのトラックが、たまたま、陸軍のトラックで、なかなか便乗さしてくれないんですけれども、えらい簡単に止まってくれて、荷台に乗せてくれました。 やれ助かったと思ったら、そのトラックがそのままで、どんどんどんどん走って行く。やがて、止まった所が、例の今の墨田区と申しますか、東京の言うなれば、下町の、丁度、五月の二十五日に戦災にあった、一番ひどい場所であります。其処へ連れて行かれて、「君達はこれから、此処の死体の整理を手伝え」と言われました。 あの時には、深川の辺りで亡くなった方が十五万とか、二十万とかいう、丁度広島の原爆で被災された、同じ位の方が亡くなっておられるわけなんで、一面焼け野が原の中に死体がごろごろと転がっておる、それを、二人一組になって、死体をトラックの上に運び上げる。一列に並べただけでは、とても収容しきれないので、更に上に積み上げるということで、五段か六段位に死体を積み上げて、その上に又板を並べて私共が、その死体の上に乗って、そのトラックを上野の公園に運びました。 公園に着きましたら大きな穴が掘ってありまして、その中へ、死体を、どんどん放り込むというような事で、五、六回それを、往復して片づけたという覚えがあるわけなんですけれども、その事を、思い出しながら、戦争というものは、実に悲惨なもので、勿論兵隊に行かれて戦死をなさった方も沢山あるわけでありますけれども、そうでない、只一般の住民と言う人達が、何の抵抗も出来ずに沢山の方々が亡くなっておられると言うことを、改めて思い出しまして、戦争と言うものの、悲惨さというものを、思い起こしたわけであります。
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