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人 を 育 て る
結 界 取 次 の 力
結界取次の写真
私が二十五歳の時に父が急逝し、父が経営をさせて頂いていた会社を私が継ぐことになり、仕事上のことや家のことなどでバタバタとした日々を送っておりましたが、それらが落ち着いてしばらくして母とも相談をし、お墓を建てさせていただこうということになり、早速墓地をさがすことになりました。時間があればあちこちの墓地を見学に行き、新聞の折り込みチラシの墓地の広告も全てチェックしておりましたが、なかなか条件に合う墓地が見つかりません。気が付くと、探し始めてから一年余りが過ぎていました。それと言うのも母方の家が後を継ぐ者がなく、母の姉つまり私の叔母が亡くなると家が絶えてしまうので、その家のお墓を新しく建てさせて頂くお墓の横に移させて頂こうと計画をしていたため、いいなと思った墓地は墓石の持ち込みを拒まれ、墓石の持ち込みがよいという所はもうひとつ感心しない所とちぐはぐなことになっておりました。そこで私は御結界にお座りになっていた三代大先生に初めてお取次を頂くことになりました。一通りこれまでの墓地探しの経緯を申し上げ、希望の墓地が早く見つかるようにお願いをさせて頂きました。そのとき三代大先生より頂いたお言葉は「できることからさせて頂きなさい。」でした。お言葉を頂いた私は 、その時は言葉通りの意味にしか捉えられておりませんでしたが、それでもおかげを頂きお願いをさせて頂いた通りにしかも、家から車でわずか十分という墓地にお墓を建てさせていただき、母方の家のお墓も横に移させて頂くことができました。建碑のおかげを頂いたころ、日本の経済はバブルがはじけ、失業率は月を追うごとに増加し、企業倒産が件数、負債額とも過去最高を更新し、金融機関では多大な不良債権を抱え、保身のために貸し剥がしや追加担保の要求に躍起になっているという最悪の状態でした。その中で私共の会社も危機的な状況とまでは至ってはおりませんでしたがその一歩手前で、売上の減少や利益率の低下など苦しい状態には変わりありませんでした。見通しの立たない経済状況の中で、景気が良くなるのをただじいっと待つだけでは、じり貧になるばかりで埒が開くわけでもなく、かといって事業の拡張を計るには、時期も悪くまたそのような資金もない状況で、どうすればよいのか思案に暮れる毎日でした。売上を伸ばすために新規顧客の開拓という手もあったのですが、当時どこも仕事量が少なく、一つの案件に数社の業者が群がり値段の叩き合いをするという状況でした。そのような状況ではよほど優れた技術や、独自の製品でもないかぎり新規参入も難しく、やたらめったら新規開拓をして売上の回収ができなくなっても困る。するとこの状況を打破する残る方法は、「利益率の改善しかない!」と思い次にその方法について考えることにしました。経費の節減は既にギリギリのところまで倹約をしている。仕入価格を抑えるために、値段を叩きまくって仕入業者を泣かすようなことはできない。そうしたらどうすれば利益率を改善できるのか、また思案に暮れそうになったその時、以前お墓のお願いをさせて頂いた時、御結界で三代大先生に頂いた「できることからさせて頂きなさい」このお言葉が私の中の深いところから脳裏に蘇ってきたのです。 しかし資金はない、人材もない、この状況で私に何ができる?設計をさせて頂こう。お言葉を思い出してからこの答えに至るまでそう長くはかかりませんでした。私どもの会社は父の代より、メーカーが作ったものを客先に売るという商社的な活動が主でした。それを客先と打合せしたものを自社で設計し、協力業者に製造を依頼し、客先に納めるというように、これまでの商社的な部分も残しつつ業態を変えていったのです。初めはヒーターや温度センサーから始めて、やがて電気炉、制御盤といった装置に至るまで設計を自社で行うようになりました。設計を自社で行うということは、見積金額に含まれる設計費は仕入金額ゼロでまるまる利益になる部分です、これまでメーカーや業者に支払っていた設計費が自社の利益になったのです。結果利益率を上げることに成功し、じり貧状態からの脱却を果たすことができました。また、自社で設計を行うことにより、顧客との技術的な打合せもスムーズに行え、こちらから顧客に技術的な提案もさせて頂けるようになったことで、顧客からの信頼を得ることができ、売上も増えていきました。お墓のお願いに御結界でお取次を頂いた時、三代大先生を通して神様から、一つの種を私の中に蒔いて頂き、その種が芽吹いた結果おかげを頂くことができたのだな。とあの頃を振り返って思います。御結界でのお言葉は教祖のみ教えと同じく、深くて重みのあるものだということを実感致しました。
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