私は数えで六歳のとき、初代大先生のお言葉で泰雄兄(三代教会長)と東京に行きました。私は行きたくはなかったのですが、兄が行くのならと付いていきました。兄は、何をするにも上手であり頼れるところがありまして、私はそのあとを付いて歩いたようなことでした。 兄は玉水教会を、私は銀座教会を後継するのだということは、二人とも小さい頃からよく分かっておりました。しかし、二代大先生、先代銀座の先生の御用ぶりを間近にみておりますので、生半可なことではない、ということも感じておりました。あるとき兄と将来の話をしておりまして、教会の先生になるには修行せんといかん、それにはきっとどこかにやられるだろうと考えました。兄は「きれいな所がええなあ」「うん」「水洗便所がええなあ」。私はまだ幼くて兄の言う意味が分かりませんでした。修行といえば、まず掃除、中でもいやなのは便所掃除ですから、くみ取り便所は辛い、水洗でしたら掃除が楽だろうと、こういう訳なのです。 実際には、私たちはよそに修行にいくことはなく、雑巾掛けや便所掃除に明け暮れることはありませんでしたが、ある意味ではもっと厳しい修行を課されたのでした。
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