早いもので三代大先生が亡くなられて一年が過ぎようとしています。今月の十三日には一年祭をお広前でお仕えいたします。 先日、大先生の教話録を読んでおりましたら、あるお話が目にとまりました。「ある人が盲腸の手術をすることになり、局部麻酔を受けました。局部麻酔ですから、患者さんは見ることもでき、しゃべっていることも聞こえるわけです。すると、執刀医が『このメス、なんだ。なかなか切れんな』などと言っている。『おやおや、大変な医者にかかってしまった』と思いましたが、今更やめてくれとも言えないのでお任せして手術を受けていた。 そしていよいよ盲腸の部分を切除しようとしたときに執刀医が『なんだ、これ盲腸と違うな』と。すると患者さんは、恐縮して『すんません』と思わず謝ってしまった」という、まあ笑話のようなお話です。
●病院での三代大先生 このご教話をされたのは昭和六十一年頃、まだ二代大先生がご存命中の副教会長時代のことでした。それから十数年後、まさか自分が大病にかかるなど夢にも思っておられなかったことだと思います。一昨年の十二月に、大先生のガンが判明したとき、それを知らされた私には大変なショックでした。そして大先生に何と伝えたらいいのか、おそらく私以上にショックを受けられるだろう、と悩みました。告知は医師のほうからはっきりとしてくれました。大先生は思いのほか冷静で落ち着いておられて、「そうですか。すべて先生にお任せします」と、すぐに言われました。入院して大手術を受けることになったわけですが、その間も大先生はいつも通りのご様子でありました。病院に通う中で困るのは待つことです。とりわけ総合病院の待ち時間の長さは特別です。予約はしてあっても私が先に行って様子を見ます。「○○先生、只今三十分遅れてます」などと貼り紙がしてあります。そこですぐ「三十分遅く来て下さい」と連絡を入れるのですが、それでもそれから一時間待たされたりします。こういうことが毎回毎回なのです。私はいつもいらいらしていました。「なんで、もっとさっさとできんのかなあ」。そのうえ長いこと待って肝心の診察時間といえば十分かそこらで終わるのが常です。二時間位待って「どうですか? 薬飲んでますか?」だけで呆気なくすんでしまう。私は健康ですからいくら待っても構いませんが、大先生は病身です。しかし、いらいらしている私の横で大先生は一言も不満を漏らされませんでした。夏が過ぎて病状がおもわしくなく、車椅子で通院するようになっても待たされることは変わりませんでした。座っていることさえ辛そうな大先生を見て、私は気が気ではありませんでした。 しかし、そんな頃でも大先生は医師の前へ進むときには一礼して「よろしくお願いします」、そしてあっという間に診察が終わると丁寧に一礼して「ありがとうございました」。私は大先生の性格を気の長いほうではないと思っていたのですが、患者としての大先生は全くそうではありませんでした。
●「お任せする」ということ 大先生は先程の教話においても、「医師にみてもらう、命を預けるということはお願いすることだ」とはっきり申されています。誤診のないように、薬に副作用なく自分の体によく効くように、検査に見落としのないように……。一つひとつのことを丁寧に祈っていくからこそ医師に命を預けられる、神様にお任せできるのだと、そう説いておられます。そして十数年後の病院での大先生のお姿はまさにその通りでした。一年祭にあたり、三代大先生のご信心を改めていただきなおしたいと思っております。
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