「我が信心の歩み」 (連載第1回)


[一] 分かるということ


 世間を見渡しますと、みんな何でも分かっているような顔をして、すましこんでいますが、本当に分かっているのでありましょうか。

 みなさんは毎日参って話を聞いておられますから、何事もよくお分かりのことと思いますが、私は信心初めに、何も分かっていないのに、何もかも分かっていると思いこんで、心を込めて教えを聞こうとしませんでした。それで長い間、信心というものがどんなものか、どうなくてはならないものかということが分かりませんでした。事実、信心させて頂いてから、私はだんだん、自分というものが、真に分からない人間であるということ、私ほど分からない人間はないということを分からせてもらえるようになりました。これが私の取り柄だということができます。

 ところで、この分かるということは、本当に分かってこそ、どう行動するのが本当か、ということも分かってくるのでありまして、それで、どうしても分かるということ、本当に分かるということを、なおざりにするわけにはいかないのです。
一つ二つ、例をあげてみます。
 
 お互いの身の上ほど不安なものはありません。〃今日は人の身、明日はわが身〃と言われているくらいです。しかし、それが本当に分かっているのでしょうか。あやしいものです。このあいだも葬式にまいりました。会葬者のなかに、葬式を送りながら「君、昨夜どこへ行ったの」「いや、どこへも」「隠してもだめだ。奥さんが、君、二時頃帰ったと言ってたよ」と、友だちが死んでおるのに、ひどく浮いた話をしておった人がありました。誰しも、死からは逃れられません。いつ自分にその順番が回ってくるかもしれません。しかも、まのあたり、これこの通りと、のっぴきならないところを見せつけられていながら、このようなのほほんぶりです。これで〃死〃ということが分かっていると言えるでしょうか。これでは、油断なきお願いということはむずかしいのであります。

 お互いがご飯を頂く時、どうでありましょう。神様の前へ行って「ありがとうございます。ご飯を頂きます」と、丁重な言葉をならべます。お膳(ぜん)の前に座るまでは、まことに殊勝な振る舞いです。が、一口食べると、「これ、誰がたいたんだ。こんなもの食べられるか!」と、口には出さなくても、心の中で不足の言い通しです。これでは、どこに一しずくでも有難い思いがあると言えるでしょうか。それでいてご飯がすむと、はしをはし箱におさめ、それをうやうやしく押し頂いて、再び神様の前へ行って、「有難うございます」と、平気でお礼を言っています。食べている間中、さんざん不足を言っておきながら、何がそんなに有難いのでしょう。『食物はみな、人の命のために、天地乃神の造り与えたも(給)うものぞ』『何を食うにも飲むにも、ありがたくいただく心を忘れなよ』。
 
 御教えは、耳にたこができるほど聞いていても、有難く頂くのは自分の気に入った好きな物だけ、気に入らないきらいな物は、めったに有難いとは思いません。これでは、まるで神様をなぶっているようなものです。というのも、有難いという言葉だけ知っていても、本当の有難きは分かっていないからです。
 
 こんな次第で、何事によらず分かるということが肝心ですが、なかでも、信心となりますと、この自分というものがどんなものか、この自分が拝んでいる神様がどんな神様であるのか、それがはっきり分かりませんと、信心も、本当の信心に進んでゆけません。しかし、私のような分からず屋でも、骨折っておりましたら、分からなかったことが、一つ二つ三つと、おいおいに分かってまいりまして、どうにかこうにか、はっきりさせて頂けるところまでこぎつけることができました。みなさんも一層のお骨折リを願います。

 話しついでに恥を言いますが、私は連れ添う家内が何年間も分かりませんでした。分かっていると言い切れるのは、ただ親のことぐらいのものです。「親のおかげで、この自分は大きくなれたんだ。命がけで育てくれ、愛してくれた親があって、この自分というものがあるのだ。この親には、命がけで仕えなくては相済まない」と、ただこれ一つぐらいのものですから、すべては推して知るべしであります。

 私が信心して、七、八年たってからのことです。ある婦人が、主人を亡くしました。あんまり泣くものですから、見るに見かねて「そんなに泣きなさんな。泣いたって、死んだ者は帰って来やしないのだから」と慰めました。すると「泣いてももどって来ませんから、よけいになけるのです」と言いかえされましたが、これにはぐっとまいって、二の句がつげませんでした。しかしその時、私は、はっと気づかされましたた。「死んでからあんなに人前かまわず泣くくらいなら、なぜ夫が生きている問に、もっと夫を大事にしなかったのか。よく後家さんが、こんな時に主人がいてくれたらなあ、と言うのを聞く。それほど夫が必要なら、なぜ夫が生きている間に、うちの人のようにがんこな人はないの、うちの人ほど勝手な人はないのと、不足を言うのだろうか」と思うにつけて、「あの人は、夫を死なして、どうやら夫が分かったらしい。夫を死なさないと、夫が分からんようでは、私も家内を死なさないと、家内が分からないのかもしれない、が、死なしてから分かったのではにもならない。何でも死なさないさきに分からなくてはならない」と分からせてもらいました。

 ところで世間一般に、みんなこの調子で、結構の結構知らず多いのです。無くなってからでないと、有る時の有難さが分からない、不自由な目にあってからでないと、有る間の有難いことが分からないものです。しかし、頭を打ち難儀をして、痛い目つらい目にあわないと、結構が分からないようでは、その人の頭はしびれていると言えます。しびれているから、痛い目にあわないと感じないのです。よく、自分の家の昔話を持ち出して、金の茶釜がすわっていたように言う人があります。その人は、金の茶釜がすわっていた当時、その結構さを知っていたでしょうか。その時は、一向に結構知らずで不足ばかり言っていたのでありましょう。落ちぶれてしまってから昔は結構だったと言うのでは、結構でなくなってからはじめて、結構を知ったのであり、つまり結構の結構知らずです。

 ちょうどその頃、私の親類で家内を死なせた者があり、一年ほどたってから二度目の家内を迎えました。

「君、新しいのをもらってよかろうなあ」

「いや、困っている」

「困るはずはなかろう」

「家内が替わるとやりきれない。おかずの味や、着物の柄が変わるのはいいが、私の思うように、子供を大事にしてくれないので、これが頭痛の種だ。一生のうちで、家内に死なれるほど大きな打撃はない。つらいことだ」

 私は、こんな話を聞いて、いよいよ家内を見なおす目が開けてきました。正直に言いますが、私ほど家内に不足を言った者はありますまい。何か言うと、ばか!棒鱈(ぼうだら)!の連発でした。棒鱈なら棒鱈で、クツクッたいて、かつおと砂糖を入れて、味をつけで食べたらよいのです。棒鱈に鯛の味を求めるのは、求める方が無理です。それに棒鱈から鯛の味が出ないと言って怒るのですから分からないにもほどがあります。私は、おかげでとうとう、家内はなくてはならないものだということが分かってきました。こう言いますと、奥さん方は「えへん、どんなものだ」と思うかもしれませんが、男にとってなくてはならない者が、家内であるように、奥さん方にとってなくてはならない者は、夫であります。そこが分かりましたら、奥さん方も大きな顔をするのは禁物です。

 さて、私の家内を見る目が変わってきますと、家内が引っ構えて、家のため、子供のために一日中バタバタしてくれているのが、有難く思んうようになりました。身重で、夏の暑い時、大きなおなかをして「しんどい、しんどい」と肩で息をしているのを見ますと、「すまんなあしんどい目をさせてつらかろう」といたわる心になります。分からん時にはどうだったでしょう。「〃しんどい、しんどい〃と言っても楽になるものか。大きな腹をして、みっともない」であります。少しでも分かってきますと、ころっと思いが変わりました。月満ちてお産します。家内は命がけです。私は、その苦しみを知りもしないで、気に入らないことがありますと「出て行け。これはおれの子だ」というけんまくです。分からない間は、何ともしようのないものです。家内は、子供のために乳の世話からおむつの世話、一切万事を引き受けてやってくれます。その上、親にも仕えてくれ、私にも尽くしてくれます。なくてはならないものは家内であります。これが本当に分かってきますと、「気の毒になあ。あいすまん」となり、「ご苦労さん、ご苦労さん」と言うよりほかはないことになってきます。このように、私に家内というものが分かって三年ほどたちますと、家内にも、私というものがどんなものか、ということが分かってき始めたらしく、「わたしは何にも分かりませんのに、家の中でじっとしていて何の心配もなく安楽に幕らせるのは、みな、あなたのおかげでございます」と言うようになりました。

「お礼を言うのなら神様へ」

「神様にも申し上げていますが、あなたのおかげで……」

「いいや、あんたが家におって、一切の家の始末をしてくれているおかげで、私は安心して、喜んで働けるのだ」

 と双方から、こんなことを言い合うようになりました。

 これというのも、私に、家内というものがどんなものかということが分かったからです。分からなかったら、いつも亭主関白の位を振り回して、一つ気に入らなかったら「出て行け」の一点張りで、家内は小さくなっ
て、チリチリしているよりほかはなかったでありましょう。

私に家内というものが分かり、亭主関白の位を放せるようになったのは、信心をしてから九年目であります。

 信心させて頂いたら、何事によらず、こんな具合いに一つ一つ分かってきませんと、どれだけ信心の年数がたっても、信者らしいかおりがしません。それでは神様がお困りになり、お互いも困らなくてはなりません。うかうかしているのは罪つくりです。うかうかしている人は、めぐリをつんでいる人だと言っても言い過ぎではありません。お互いは、仕合わせなことには教えが耳に入っています。教えに基づいて世間を見、人のしていることをながめて、一つ一つ分からせて頂くように心掛けたいものです。お互いは、見たら分かる、聞いたら分かるという尊い宝を頂いております。『信心は、本心の玉をみがくものぞや』。尊い宝をせいぜい使わして頂いて、何でも早く分からせてもらわなければなりません。

 御理に『信心は話を聞くだけが能でない。わが心からも練り出すがよい』とありますが、私は、何事によらず、ことに打ち当たるたびごとに、神様の思召しが、どこにあるかということを探し求めて、どうしたら信心になるか、信心になるように信心になるようにと、信心を練り出すことに骨折りました。そういう思いをもって物事にぶつかってごらんなさい。何からでも、尊い教えを引き出すことができます。お互いは、ただ見るだけ聞くだけでなく、聞いたことや見たことなどを、よくひき比べ考え合わせて、それを信心にまとめあげていくことが大切であります。

 その一例として、さきに私の家内の話が出ましたので、家内が誰から信心を教えられたか、そのお話をしてみましょう。

 以前にも、ある人が参って来て「先生、先生の奥様は、どなたに教えをお聞きになったのですか」と聞かれました。
「家内は、家のことが忙しくて暇がなかったので、あんまり教えを聞いていません」

「ではどのようにして信心なさいましたか」

「それは、一つには私がおせっかいする。二つには姉さんのおかげです」

「では、姉さんはよほど熱心なご信者さんで」

「信者ではないのだが、家内に信心を分からせてくれました」

「と言われますと」

 こう、しつこく尋ねられますと、本当のことを話さねばなりません。
 家内が信心を教えてもらった姉さんというのは、毎日のように、私の家の表にやって来る女乞食(こじき)であります。家内よりは五つ六つ年上ですから、からかい半分に家内に〃お前の姉さん″と言っておりました。小さい子を一人背負い、四つか五つぐらいの子供の手を引いてやって来ます。着物といえば、とても鼻もちならない香水をかけています。毎日のことですから、〃だんだん家内と仲良しになりました。ある日のこと、こんな立ち話をしていました。

「小さい子たちをかかえて……、ご主人は?」

「主人は大工ですが、ひどい酒飲みで、みんな飲んでしまって、一文も家に入れてくれません。着物も、布団も、飲み代に持ち出し、とても食べていけせん。それに、ちょっとものの言いようが悪ったら、たたく、けるで、お話になりません。どうにもなりまんので、主人に内しょで、こんな…」
 この話を聞いた私は、家内におせっかいをしました。
「あんた、姉さんの話を聞いてよく分かったか」

「何がです?」
「姉さんの主人のことを。もし、あんた、あんな主人持ったら……」
「分かりました。わたしは仕合わせです」
それで少しは分かりました。

「姉さんの子供、どんななりしていた。あれを見ると、何がはやるの、何を着たいのというようなことは…」

「本当にそうですね。姉さんのことを思うと、わたしも子供もぜいたくはできません。これで結構です。着るにも食べるにも、何不自由なく、すべてに言いしれないおかげを蒙っていることが分かりました。本当に、神様にお礼申し上げさせて頂きます。なお一層、信心させて頂かなければなりません」
 
 このようにして、家内は〃姉さん〃から信心を教えてもらいました。
 お互いは、自分に、何とかして信心が分かりたい、分からせてもらいたいという気持ちさえありましたら、何からでも、信心は教えてもらえます。ただ、ぼんやりと見たり考えたりしていますので、信心が信心にならないのです。教会へ参って話を聞くのでもそうです。うっかリとひとりごとのように聞いていたのでは、受け物の心構えが悪いから、ぴったりとはまってきません。信心は教会でなくては教えてもらえないと思ったら、大きな考え違いです。天地の神様はお互いの親様です。ものはおっしゃいませんが、いろいろの事柄を見せて、こうしたらこうなる、ああしたらああなると、信心を教えて下さっているのです。森羅万象(しんらばんしょう)ことごとくが、神様の無言の教えであります。それ、何でもないように、ぽかんと口をあけたような格好で見過ごしていますから、いつまでたっでも、信心が分からないのであります。

 私も、一ぺん、乞食に信心を教えてもらったことがあります。まだ、商売していたある年の大晦日(おおみそか)のことでした。忙しい最中に、乞食に表へ立たれました。「今日のような忙しい日に、気のきかん奴だ。かまってはおられん」。つい荒っぽい言葉が出てしまいました。すると、乞食は「毎度有難うございます」と言って、丁寧に頭を下げで立ち去りました。

私はその晩、この乞食の「毎度有難うございます」という言葉を思い出すと、私の信心が、信心になっていないことに気づかされました。私は神様にお願いして、おかげを受けると大層喜びますが、十願って、そのうちの一つでも、思うようにならないと、九つは帳消しにして、ぶつぶつ不足をならべたて、神様に小言を言うのです。こんな信心では、あの乞食に対してさえ恥ずかしい気がします。私は、神様にお詑びを申し上げるとともに、「明日あの乞食が来たら、信心を教えてくれた礼に、二日分やらねばならない」と思いました。

 世間では、学間しさえすれば、何でも分かるように思っておるようですが、表面的なことは分かりましても、本当のことは分かりにくいものです。そういえば、よほど世間にたけた人でも、お金大切ということになりますと、本当に分かった人は少ないのです。私は、信心してから長い間、自分の思うようにおかげが蒙れず、お金で不自由をし、お金で苦しみました。そのおかげで、やっとお金の値打ちが分かりました。それまでは、本当のことは分かりませんでした。とことん貧乏して、その底をたたいてきませんと、なかなか分からないものです。したがって、お金の大切さということが本当に分かりましたら、もうお金で難儀・不自由することはなくなります。金の値打ちの分かった人は必ずお金が持てます。そんな人のところへお金でも借りに行くと、上手に説教してくれます。

 この間も、若い人がプンプン怒っていました。「先生、叔父だといっても、お金のことになると、きたないものです。本当に叔父も甥もあったものじゃありません」「何でそんなに怒るのです。叔父さんがどうかしたのか」「それが先生、商売が思わしくなくなり、五、六千円貸してもらおうと思って、叔父の家に行ったのです。ところがぼろくそに言われて、おまけに断られました。私は、今まで、叔父に一銭の無心も言ったことがありません。それに、頭を下げて行ったのですから、よくよく行きづまったればこそです。叔父は、相当に持っております。

 それが私をとらえて〃お前、幾つになった〃〃三十四です〃〃商売してから何年ほどになる〃

〃六年ほどになります〃〃そうか、まだ若いし、経験も浅く、修行も足りない。もう十年ほど苦労してきなさい。その時には二万でも、三万でも、明日といわずに出してやる。しかし、今なら五厘の金もよう出さん〃と体裁よく断られたのです」と、ひどくいきりたっておりました。それで私は「その叔父さんは、よほど物の分かった人です。あんたにそんな叔父さんがあったとしたら、あんたは仕合わせ者だ」と言いましたが、人間でも分かった人なら、そんな具合いに言うのは当然であります。

 あれこれと例を引いて、本当に分かるということが、どんなに大切かを話してきましたが、信心にとって、この分かるということほど、大切なことはないのであります。お互いがこうして生きているのは、自分の力によるものではなくて、神様に生かして頂いて生きでいるのです。それが本当に分かっているでしょうか。世度りということは非常に危倹なものであり、自分の無能無力が分かれば、願うなと言われても願わないではおられません。それが、はっきり分かっているでしょうか。神様がはっきり分からないというのは、自分の不完全であることが、はっきり分からないからです。それがはっきりすれば、神様を放せないことがはっきりします。分かれば助かります。本当に分かれば本当に助かります。それで、私は〃分かっでほしい〃とやかましく言うのです。貧乏して、さんざん難儀した上で、お金の大切なことが分かったのではつまりません。家内を死なせてから家内の大切なこと、夫を死なせてから夫の大切なことが分かっても何にもなりません。

 これからする話は、私が、今日まであゆんで来た道の打ち明け話で、「湯川安太郎信心一代記」といったようなものであります。信心というものはこういうものかと、その一瑞が分かって項けたら何よりであります。
(この「我が信心の歩み」は、2005年7月に掲載されたものです)
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