「我が信心の歩み」 (連載第2回)


[二] 本当に助かるまで


 ある信者さんが、金光様に「金光様、信心さして頂きましてから、どれほど年限がたちましたら、おかげが蒙れましょうか」と、お尋ねしますと、「そうじゃなあ、早くて十五年、遅くて二十年」「金光様、そうしますと、信心する者としない者とでは、どれほど年限がたちましたら、その相違が現れてまいりましょうか」「そうじゃ、早くて五年、遅くて十年でしょうなあ」と言われたと聞いておりますが、この御教えを承るにつけても、信心ということは、そう簡単に、一足とびには、ゆきかねるものであるということが分かります。

 これを私自身の信心の体験からいってみても、私が現に蒙っているようなおかげを受けるようになるまでには、相当、日にちがかかっており、私のあゆんだ 道は、決してアスファルト道路を自動車でドライブするような楽なものではありませんでした。

 私は、学問もないし知識もなく、口もいたって無調法だし、おまけに無器用者ときています。ですから、信心の道を歩ませてもらうにも、人一倍骨の折れるのは当然であります。そのえ、私の信心初めといえば、今から四十何年も前のことであり、お道の本も今と違って、これといったまとまったものはなく、また御教えを聞こうにも先生について、この教えは、ああだこうだと、はっきり教えてもらう機会も少なく、たとえ教えてもらっても、ほんのうわべだけのことでした。ですから、信心といっても、わけ分からずにただ、真っ暗がりの中を、やみくもに手さぐりで歩く程度のもので、私としては、ただただ、自分の信心が、実際の事実の上に、どんな具合いにおかげとなって現れてくるか、私自身の休験を通して、私の信心が信心になっているかどうかを、調べるよりほかに手だてはありませんでした。

 御理解に『信心せよ。信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ。神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし。カンテラに油一杯あっても、シンがなければ火がともらず、火がともらねば夜は闇なり。信心なければ世界が闇な』とありますが、まるで雲や霧が一分のすきもなく、一杯たちこめているようなくらやみの中を突きぬけて、私が、ようやく真の信心の光を仰がせてもらうことができたのは、私のおかれた立場が非常に恵まれず、いつも追いつめられ通しの有様だったので、何としてでも助からなくてはならない、助けて頂かねばならないと、常に神様を見失わないようにし、この親神様よりほかに助けて頂く神様はないと、ややもすればひるみがちになる心をひきしめて、信心のともしびを吹き消さないように、歩み続けてきたからでありまして、その間十三年もかかりました。

 御理解に『信心はみやすいものじゃが、みな氏子からむつかしゅうする。三年、五年の信心では、まだ迷いやすい。十年の信心が続いたら、我ながら喜んで、わが心をまつれ。日は年月のはじめじゃによって、その日、その日のおかげを受けてゆけば、たちゆこうが、みやすう信心をするがよいぞ』とありますが、たしかに、この御教え通り、信心というものは、行き着いてみますと、まことにしやすいもので、分かりさえしましたら、どうして、あんなにむずかしく考えていたのであろうかと思えるほど、しやすいものであります。しかし、それがそうと分かるところまで行き着くのは、なかなか容易なことではありません。三年や五年の信心では、まだまだです。これで大丈夫だといって安心するわけにはいきません。それが証拠に、自分の信心を、教えという鏡に映して調べてごらんなさい。信心さして頂いているといっても、さっぱり真の信心になっておりません。なにもかも神様の思召しにかなうよう、御教え通りにできているかというと、そうではなくて、ご無礼お粗末ばかりであります。

 それでいて、病気・病難に出あったり、災難・災厄にでくわしたりしますと、自分自身の不行き届き・身勝手は、そ知らぬ顔で棚に上げて、それがみんな神様のせいのょうに、愚痴や不足を並べたてる有様であります。そればかりか、それがつまづきとなって、信心の道を踏迷ったり、踏みはずしたりします。三年五年の信心では、まだ迷いやすいのです。〃これで一息〃というような安心はできません。御教えに『辛泡が信心』とありますが、たとえどんな難儀にでくわそうとも、ひるむことなく、打ち負かされることなく、十年の信心が続いてこそ、不動の信心、不屈の信心ということができます。だからこそ金光様も『十年の信心が続いたら、我ながら喜んで、わが心をまつれ』とおっしゃったのであります。『日は年月の始め』であります。『今月今日で、一心に頼め。おかげは和賀心にあり』『その日その日のおかげを受けて』すべてに立ち行くおかげを蒙り、『みやすう信心』させてもらえるようになりたいものであります。

 私はさきに言いましたように、どうでもこうでも助けて頂かねばならないという、信心の腹が決まるまでには、あとさき十三年かかりました。が、この十三年間、私が物質的に恵まれていて、十分とはいえないまでも、多少、生活にゆとりがあったら、それほど切ない思いをしなくてすんだかもしれません。しかし実際は、生活にそんなゆとりもなく、生計の土台をなす商売も、ありあまったお金を持ってかかったのではなく、その身そのままの文なしで始めた商売で、私は、しじゅう、生計上の苦労という重荷を背負い通しで、お金の心配のし続けあリました。ですから、いつも心が落ち着くかず、一秒たりとも、やれ安心と息つく暇がありませんでした。私の信心は、正直のところ、この行きづまりを神様にお願いして、何とかしてもらおうとして始めた信心でした。

 ところで、私は願うままのおかげが蒙れたのかといいますと、神様はまことに根性の悪い神様で、どれだけ願っても、一向、こちらの満足するようなおかげは頂けませんでした。それどころか、私の願ってもいない出来事が次々に起こってきました。まるで生計という重い荷物を背負って、いばらの道を歩み続けているようなものでした。ですから、私は、何べん、何十ぺん、手足を傷つけて、ああ苦しい、ああつらいと、不平不足のため息をついたか知れません。

 しかし、それはあとから振り返ってみますと、私にとっては、手っ取り早く願うままのおかげが蒙れなかったのが、かえっておかげでありました。もしも、あの時、私が思うだけのおかげを蒙っていましたら、どうだったでありましょう。私は、そんなに信心に骨折らなかったでありましょう。おかげを下さらなかったおかげで、信心に骨折りました。

 もしも、私がその当時、早くおかげを蒙って、目先の行きづまりが思ったようになっていましたら、その後、私はどうなっていたでありましょう。目先の行きづまりが、骨折らないで、すらすらと解消されたのに気をよくして、「神様、さようなら。私はもうあなたに用はございません」と、神様を手放し、信心を拾て去っていたかも知れません。まあそれほど極端でないにしても、月のうちに一日と十五日ぐらいにお参りして、それで信心しでいる、信心できていると思い込んでいたでありましょう。ところで、私がその程度の信心でとどまっていたら、末始終安心という永遠のおかげは蒙れなかったでありましょう。

 これを思うと、なんという深い深い神様の思召しでありましょう。神様には、ご親切にも、何とかして私に信心させてやろう、信心を分からせでやろうという深い思召しから、十三年間おかげを下さらなかったればこそ、私はどうにかこうにか、信心らしい信心にならせで頂くことができ、私自身も本当に助けて頂くことができました。

 こんな次第で、私は信心をさせて頂いてから、十三年目に「本当に助かった。本当の極楽が見つかった」という、この上なき安楽の境地に入らせてもらいましたが、その時、私は、どのように神様にお礼を申し上げたでしょう。「神様、有難うございます。神様、よく今日までおかげを下さらなかったことでございます。そのおかげで私は本当に助けられました。なんともお礼の申し上げようがございません。有難うございます」と、ただひれ伏すほかありませんでした。ある人が「極楽はどこにあるのですか」と尋ねられた時、「極楽は地獄の釜の底をふみ破ったところにあります」と答えたそうですが、ここのところを言っているように思われます。

 御理解に『桜の花の信心より、梅の花の信心をせよ。桜の花ははよう散る。梅の花は苦労しておるからなごう散らぬ』とありますが、私が十三年目に極楽の境地に入らせてもらうことができましたのは、〃なんでも目先の行きづまりを助けて頂きたい〃という一念から、私の信心が、その日その日の実際生活を鉄床(かなとこ)として、たたかれ鍛えられたたまものであります。
(この「我が信心の歩み」は、2005年8月に掲載されたものです)
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