「我が信心の歩み」 (連載第5回)


[五] わが身を打ち込んだ信心


 御神訓に『神信心して、みかげのあるを不思議とはいうまじきものぞ』『信心しでみかげのなきときは、これぞ不思議なることぞ』とありますが、このお道では、信心したら信心しただけの徳が、影が形に添ってつきまとうがごとく現れてきますから、はっきりしております。何事によらず、まず神様にお願いしてさせて頂きますと、能率が変わってきます。百姓さんなら収穫の上に、商売人さんなら売上げの上に、職人さんなら仕事の上に、必ず成績の変化が現れてきます。これは実際の問題で、これによって、神様は、少なくとも目先のおかげを下さることが明らかであります。

 私が日夜、お話しさせてもらっているのは、ここのところが分かってほしいためです。私としては、誰にも分かるようにと、よほど念を入れて話したつもりでも、聞くほうでは、その場だけでスウッと筒抜けに抜けてしまうのか、どうも私の思うようなおかげを蒙ってくれません。残念なことです。御理解にも『信心は話を聞くだけが能でない。わが心からも練りだすがよい』とあります。話を聞いて「あっ、なるほど」「あっ、そうだ」と感じたら、それをすぐ自分の行いの上に移して、実践することです。そうすれば、そこから新しく練づ出されるものは、おかげとなって現れないはずがありません。

 そういえば、私の信心は、事実私の商売、私の生活を信心の試験台として、こうすることが信心になるだろうか、ああしていくことが神様の思召しにかなうのだろうかと練りに練ってみて、そこに現れてくるおかげによって、私の信心が、信心になっているかどうかを分からせてもらいました。もしも当時の私が、商売が都合よくいって生活に相当のゆとりがあリましたら、そんな工夫もせずにおっとりとかまえこんで、私の信心の足どりもゆるやかなものになっていたかもしれません。しかし目先の行きづまりは、まゆ毛に火がついたようで、じっとしておれません。なんとしてでも、いっときも早く、急場をしのがねばとてもやりきれません。私は一生懸命でした。

 御理解に『人に誘われて、しょうことなしの信心は、付け焼き刃の信心じや。付け焼き刃の信心は取れやすいぞ。どうぞ、その身から打ち込んでのまことの信心をせよ』とあります。

 私は、なんとしてでも助けて頂かないと立ちゆかないという一念から、いやおうなく、わが身を汀ち込んで、信心の真を探り求めたのであります。こうやってみたらと思うと、そのようにやってみて、それがおかげとなって現れてくれば、なるほどこれで信心にかなっているんだなあと知らせてもらいますが、もしおかげとなって現れないなら、これは信心にかなっていないからだということになります。そこで、私は、もとえっ!まわれ右!で、信心のやりなおしをします。

 こんな具合いで、私は、何事によらず、一つ一つ、それを信心というルツボへ放り込んで、私のすることが、金か鉛か、正しいか正しくないか調べて、練りに練ったものであります。御理解に『変人になれ。変人にならぬと信心はできぬ。変人というはすぐ(直)いことぞ』とありますが、することなすこと一切がっさい、信心をもとにして、わきめもふらず、まっすぐに突き進んでいたその当時の私は、はた目には変人と見えたかもしれません。が、これが私の信心の修行であったのであります。

 すらすらといっているぞと安心すると、カチンと行きづまります。病気か、でなかったら欠損です。しかし、それは、私にとっては信心の催促でした。そこで私は〃はてな、どんなことがいけなかったのか〃と調べます。いけないところを改めないことには、どうしてもおかげにしてもらえないのですから、どうでもこうでも、いけないところを調べずにはおられません。何がいけないのか、どこがわるいのか、分かって改まるまではおかげにならないのですから、いやもおうもあったものではありません。何分にも目先が行きづまっているのですから、「改めようと思うのですが」というようなゆう長なことは言っておられません。

 それで、調べてみますと、大抵、ご無礼・心得違い・思い違い・取り違いのこの四つのうちのどれかに気づきます。そのなかでも、思い違い・取り違いがむずかしくて分かりませんでした。ひとつ違ったら、ピシャッと懐をたたかれて赤字になってしまいます。そこで、自分の信心を調べて、改めるべきところを改めます。するとおかげが蒙れます。また分からなくなると、おかげを取り上げられてしまい、どうしてもおかげがほしいから考え直します。考え直きないとおかげが蒙れませんから、考える上にも考えることに、一生懸命でありました。

 時には、どうにも工夫がつかず途方にくれて「いくら神様が取り上げようとなさっても、もう何にもないのだから、いかに神様でも、取り上げようはあるまい」と、ひとり、心につぶやいたことがあったくらいです。ところが、執達吏か何かでしたら、取り上げの封印はあるものだけで、ないものには及びませんが、神様は、ないものまでも取り上げられるからたまりません。最後の土壇場に追いつめられますと、すっかり払いができなくなります。払いができなくなったら、それは、ないものまでも取り上げられたことになるのです。自分の思いが正しいか正しくないかは、目の前の事実というものを鏡にして、おかげにして頂けるか頂けないかで、はっきりと映し出されてきます。間違いを直し、過ちを改めないことには、おかげにならないのですから、どうにもなりません。

 私の信心は、こんな段取りで進められていったのであります。御理解にも『信心は日々の改まりが第一じや』とありますが、これにつけても、信心には、改まりがどんなに大事であるかが分かります。その当時、わきにメモ用の手帳でも持っていましたら、こんなご無礼・心得違いの時には、こう改まっておかげにして頂いた、こんな思い違い・取り違いの時には、こう思い直しておかげにして頂いたと、そのつど詳しく書き留めておいたことでしょうが、その頃は、今日のように道のご用に立とうなどという考えは、全く持っておりませんでしたので、そんなこと一向に気がつきませんでした。もしあったら、一々実例をあげて、信心の微妙なところが分かってもらえる素晴らしいお話をさせて頂けるのでしょうが、かえすがえすも残念なことであります。

 昭和四年の七月上旬だったと記憶しています。ひよつこりと、東京からTという人が参って来て「先生、咋日聞かせてもらったあの話のつづきを聞かせて下さい」というのです。「昨夜の話のつづきか。そう講釈師のように言いなさんな」「いや、これは失礼しました。実は、私は東京の者で、今日か明日のうちに掃るつもりでしたが、咋夜、先生のお話を承りまして、私の探し求めている道が、見つかりそうに思われたんです。それでみっちりと、先生のお話を聞かせてもらおうと決心して、咋夜は家の方へ〃当分帰らぬ〃という電報を打ち、更に〃大阪で、とってもいい仕事が見つかったから…・〃という手紙を出したほどです。忙しい身体ですから、十日か半月で分かるようにして頂けないでしょうか」「それは無理ですわ。わずか十日や半月では、とてもむずかしい」「でも一生懸命に聞きますから」と言っ、一カ月も座り込んでいました。大変な打ち込み方でした。

 「私の聞きたいのは、倫理のような話ではありません。そんな講義は聞きあきました。口だけ達者で、中身がからっぽのような話は、なん十ぺん聞いても、なんにもなりません。本も手当たり次第読んだが、何の役にも立ちません。禅を十五年やりましたが、だめでした。他の宗教も調べてみましたが、いまだに救いの道が見当たりません。しかし、先生のお話は違います。いくら百円札が結構でも、百円札はどうして刷るのか、どんなインクを使うのかというような、印刷やインクの説明では、どんなにくどくどと聞かされても、助かりっこありません。私の聞きたいのは、正味の百円札を、この懐にねじこんでくれるような話です。先生のおかげで私は助かりました。こんな有難いことはありません」と言って、大変喜んでいましたが、よほど強い感銘を受けたものとみえます。

 御神訓には「信心する人は、何事にも真心になれよ」、御理解には『このかたの行は、水や火の行ではない。家業の業ぞ』とありまして、両方の御教えを考え合わせましても、信心と生活とは、相対立するものでなく、一つにとけ合うものであること、つまり、信心即生活、生活即信心であることをはっきり示されています。

 以前はそういう御教えも知らなかった私の手さぐり信心が、はからずもその筋道に添っていたことは有難いことであります。そんな点で、私の話には、生々しい体験のひびきがこもっていたから、Tさんの魂を打ったのかも知れません。 と言うだけでは、話がぼんやりとして、どうしてそうまで言い切れるようになったか、はっきりと分かるまいと思いますので、以下、私の信心のあゆみを、順を追って聞いて頂きます。


(この「我が信心の歩み」は、2005年11月に掲載されたものです)
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