「我が信心の歩み」 (連載第7回)


[七] 起死回生のおかげ


 信心とは、どんなものかということが、その当時の私に、多少なりと分かっておりましたら何の文句もなく、もっと早く信心していたことでしょうが、二十一の年の暮れに、大病を患うまでは、どうも信心ぎらいで、信心のこととなると理屈が先にたって、反対ばかりしていました。それは一つには、このお道の親神様を知らせて頂くまでは、信ずるに足るもの、頼むに値するものなど、この世界にあるものか、というような考えを持っていたのにもよりますが、二つには、既成の宗教に対してどうも好感が持てず、宗教家という人を見ると、悪口さえ言いたくなる私の性分にもよりましょう。これは、宗教家の半面ばかりを見た偏見かも知れませんが、私の耳には、宗教家の言うことは、どうも「欲を放って善い行いをし、お前の持っている物は、みんなこちらへ持ってきなさい――何をいっても現世はどうにもならないのだから、あきらめが肝心だ。そのかわり、未来できっと助けてやる」と、言っているようにしか聞こえません。帰するところといったら、たったそれだけです。

 こっちは、商売人として張りきっているのに「死後は助けてやろう。現世はどうにもならないから、あきらめとけ」では、助けて下さいと手を差し出したくても出しようがありません。「欲を放れ」というが、こっちは生活に追い立てられて、欲を放るにも放りようがないのです。それも、そのように声高く言う宗教家自身が欲を放っているのなら、おっしゃるとおりだと合点もできますが、実際はというと、こっちからお手元拝見と言いたいくらいです。欲を放らないと地獄へ落ちるのなら、真っ先に落ちるのは、誰でもない宗教家その人ではないでしょうか。なぜかというと、宗教家の方が、われわれよりもよほど欲が深いからです。「善いことをせよ」と言う。それに間違いはない。間違いないだけに、改まって聞くにも及ばない。こっちもよく知っているところです。それをしかつめらしく裃(かみしも)つけてお説教をするから、ばからしくてその人の気が知れません。といった調子で、私はどうしても既成の宗教に対して好感がもてませんでした。

  「仏様って、あれは何です。格好から見ると、どうやらインド人らしい。あんなインド人を、なぜ拝んだりするのだ。拝むのなら、日本の神を拝んだらよろしい」、「仏様というと、裸で蓮(はす)の上に乗っておるようだ。まんざら、とんぼや蛙ではあるまいが、あんなものを拝むなら、他に拝むものがたくさんあるではないか」、「門徒をみると、自分の先祖に向かって、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と唱えているが、あんなことを言ったら、先祖が迷惑しないだろうか。阿弥陀さんの有難いのはいいとして、阿弥陀さんというのは仏様の名です。その仏様の名を、先祖に振り向けるのでは、先祖がとまどいましょう」などと、友だちと信心話すると、いつもこんなふうに団子理屈をならべ立てる私でした。私が、どんなに食わずぎらいの信心ぎらいであったか、これで想像がつきましょう。

 こんな私が、とうとう神様に手を合わす気になったのですから、よくよくのことです。それというのが、唯一の頼みの綱であった医者から、「だめだ」と見放されてしまって、この上は神様にでもお頼みするより仕方がないと、おぼれる者はわらをもつかむ思いで、手を合わせることになったのです。しかし、これも親がいてくれたからであって、親がいてくれたおかげでこの親に安心してもらいたい、喜んでもらいたいという一念から「どうでもこうでも助けて頂いて、親の恩に報いることができますように」と、神様に頭をさげる気になったのです。この点からいえば、それまでの私には、神様を拝むとか、神様を信心するということはありませんでしたが、親を拝んでいた、親を信心していたとは言えましょう。

 御理解に『とかく、信心は地を肥やせ。常・平生からの信心が肝要じゃ。地が肥えておれば肥をせいでも、ひとりでに物ができるようなものぞ』『ここへは、信心の稽古をしに来るのである。よく稽古をして帰れ。夜・夜中、どういうことがないともかぎらぬ。おかげはわがうちで受けよ。子どもがあるものや、ひようとり(日雇取)は、出で来るわけにいかぬ。病人があったりすれば、拾てておいて参って来ることはできぬ。まめ(壮健)なとき、ここへ参って、信心の稽古をしておけ』とありまして、お道が『話を聞いて助かる道』であるだけに、これということのない常平生に、よく話を聞き込んで、自分の信心を練っておくことが大切であります。

 さて、私が拝んだ神様についてですが、さきにも言ったように、ああ言えばこう言い、こう言えばああ言うという団子理屈屋の私のことですから、どういう神様を拝むかとなると、なかなか決まりません。あの神にしようか、この神にしようかと、頼むに足りそうな神様を調べてみましたが、どうもぴったりきません。といっても、どの神様かに頼まなくてはなりません。その時、私の記憶の底から強く浮かびあがったのは、それは、友人からそれとなく聞いていた「天地金乃神」という御神名でした。これが御神縁だと申せましょう。病気するまでは、友人から天地金乃神様の話を聞かされても、いつも鼻の先であしらい、くさし通しで、てんで相手にしなかったのですが、ふっと御神名が思い出されますと、迷うこともなく、まずこの神様に手を合わせて、お頼み申そうという心になりました。

 この天地を、目に見えるものと、見えないものとの二つに分けますと、目に見えるものを、現象界とか、生滅界とかいい、目に見えないものを、本体界とか、実体界とかいいますが、形があって目に見える森羅万象は、形がなくて目に見えないものの働きによるもので、すべての有形は、無形のかげということができ、これが「天地金乃神様」の神性です。世間の人は、神様に形があって、目に見えたら、信心しやすいように思っていますが、私は、形がないからこそ信ずることができると言いたいのです。なぜかというと、もし神様に形があったら、ここで拝んでいたらよそが空(から)になり、神様、神様と呼ばれると、呼ばれたところへ、のこのこと、出て行かねばなりません。いや、そればかりではありません。形のあるものは、必ず生滅変化します。そんなものを信ずることはできません。それは、人を信ずるというのが、その人の変わらない心を信ずることであることからも分かることです。それでお互いの行き方は、目に見える万物の働きを見て、目に見えない根本の本体である神様を拝み、天地のお徳お恵みを有難く喜んで頂き、そのお徳・お力を信じてゆきさえすれば、助かっていくのです。というと、その時の私に、そういうことが分かっていたかというと、もち論、分かっていなかったのです。ただ、天地が存在するということは、疑うことのできない事実ですから、その天地の神様にお願いしようということに腹が決まったのです。これこそ、御神縁と申すものでありましょう。

 それで、お頼みする神様はこの神様よりほかにはないと心が決まると、私は一生懸命、床のなかから「私はまだ死ねません。親に対して、果たさねばならない役前が残っております。どうぞお助け下さい」と、お願いしました。よく信者さんから「先生、神様にお願いするには、どう言ってお願いしたらよろしいでしょうか」と聞かれますが、お願いは、めいめい、頭の中、胸のうちに思っている通りを申し上げたらよろしい。私は助かりたいのですから、その願いをそのまま打ち出して「私は死ねません。親に果たさねばならない役前が残っております。どうぞ助けて頂けますように」と、お願いしました。周囲の者は「薬を飲め、飲め」と、すすめてくれますが、私はきっぱり断って、薬を飲むのをやめてしまいました。なぜかと言いますと、六ヵ月間薬を飲み通して、そのあげくの果てに「もうだめだ」と言われたのです。それは、医者自身が薬の効き目を認めていると思えなかったからです。「薬の効き目は、六ヵ月かかってもう試験済みです。飲んで効く薬なら、浴びるほどでも飲みますが、いくら飲んでも効かん薬なら、たとえ半服でも、ご免蒙ります」。私は、ただ神様一心でした。

 すると、その翌日のことですが、まるで芋でも蒸すような熱が出て、湯気のたつような汗が出始めて、一昼夜に六枚の寝巻がずくずくになるほどでした。とりわけ、臍(へそ)のへんから出たのは、とても鼻持ちのならないくさい臭気のするうみでした。そんなものが、長い間、腹の中にたまって、身体に害をしていたものとみえます。そしてそんな容態で、六日間寝ていましたが、七日目になると、気分がすかっとよくなりました。起死回生のおかげというのは、こんなのを言うのでしょう。「ああ有難いことだ。これで助けて頂いた」。その日はちょうど大晦日で、明日は正月の元日です。

 なにぶんにも、六ヵ月間も病床に横たわっていたのです。髪も、ひげも、のび放題です。「明日は正月というのに、まるで山から出て来た熊のような格好で、お膳の前に座るわけにはいかない」。私は、散髪して、風呂に入ろうと思いました。「まだ気をつけなくてはならん大事な時、そんな無茶なことをしてはいけません。昨日まで、生きるか死ぬか分からない身体をしていて」と、周囲の人たちはびっくりしてとめましたが、私は「あれだけの大病を、わずか六日でこのように治して下さった神様ではないか。この神様にお願いして、させてもらったら散髪するぐらいのことは何でもない」と言って、みんながとめるのも聞かないで、床屋に行きました。「あんた、いつ起きられたんですか」「今さっき」「それで散髪ですか。それは無茶ですなあ」と言われましたが、こんな無茶ができましたのも、「神様にお願い申してやらせて頂きさえすれば大丈夫だ」という確信ができたからです。

 散髪がすむと、次はお風呂です。散髪がすんで、今さっきまで、針ねずみのように、ひげのはえていた顔をなでてみますと、磨きのかけられた玉にでもさわるようにつるつるして、何ともいえない快い気持ちです。風呂に入って身体中のあかを洗いおとしたら、どんなにさっぱりすることだろうと思うと、矢も盾(たて)もたまりません。「散髪はともかく、そんなに衰弱し切った身体で風呂に入ったら、それこそふらふらがきて……」と言われましたが、私はそんなことを気にしないで、風呂屋へ行きました。ここが、私の一を信じたら二を信じ、二を信じたら更に三を信ずる≠ニいう行き方です。さすがに絶食十四日間の衰弱体です。どうにかこうにか、湯ぶねにつかりはしたものの、あがろうとするとまるで全関節がゆるみ切ったというか、手足が思うようにいうことをきかないので、ヒョロヒョロです。「それ見なさい。言う通りでしょう」と、しかられながら、やっと人手を借りて引っ張りあげてもらいましたが、まったく、その有様といったら、骨なしそっくりでした。自分では、手ぬぐいで身体を洗う気なのですが、思うように手が動きません。折角、お正月を迎えるのだからと頼んで、身体中をきれいに洗い清めてもらい、家に帰り、床に入って寝させてもらいましたが、そのまま前後不覚に眠ってしまいました。明けると正月の元日です。お天気は上々です。快く床をはなれて、お祝いのお雑煮二杯を、おいしく頂きました。二日は、お雑煮を四杯頂きました。そして、その日は、商売人には、商売初めの日です。身ごしらえをして、初商いに出かけましたが、ちゃんと一人前の仕事ができました。

 このようにして、理屈屋であった私が、信心の門をくぐるようになったのですが、生き死にの境をうろつくほど痛い目にあわないと、信心させて頂けなかった私は、何と高い「信心税」を払わせられたことでありましょう。


(この「我が信心の歩み」は、2006年1月に掲載されたものです)
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