「我が信心の歩み」 (連載第11回)


[十一]  二十四銭三厘の教え


 白神先生の袖にすがって、そのおとりなしで得意先の世話をお願いしたら、それほど苦労しないで、品物を売りさばくことができたでしょうが、「文なしでも、つきあいは対等の資格だ。自分は、いつまでもこんな事をしているつもりはない。そのうちにおかげ蒙って、何でも、他の世話係と肩をならべて、ご用奉仕させて頂くのだ」という心構えでいたものですから、つい、その場にいたたまれず、先生のご祈念中なのを幸いに、荷物をさげて逃げ出したのですが、それなら、商売の方はどうであったかといいますと、十二、三軒まわってみましたが、どの家もみなお断りです。さっぱり売れません。品物は、神様にお伺いして買い込んで、売りに出かけた品物です。市場へ仕入れに行った時、こんなもの売れるものかと市場の人に笑われましたが、どうやら図星だったようです。といって、「やっぱり売れなかった」と、おめおめそのまま持っては帰れません。そこで、思案にあまった私は、町の四つ角に立って、神様にお願いしました。その時、「花街(いろまち)へ行け」と、私はこう教えて頂きました。

 私が神様からものを教えて頂くようになったのは、信心させて頂いてから十一カ月目ですが、道を歩いていて、教えを頂くようになったのは、この時が初めてであります。
 それから後、私は、ことさら神様の前へ行って願わなくても、教えを頂くようになました。というと、どうしてそのようなおかげを蒙るようになったのだろうと、せん索したがる人があるだろうと思いますが、それは、いったん腹がこうと決まると、とことん身も心も打ち込んでやり抜かねばおかぬ私の精神が神様に通じたためか、それとも、自分というものを拾て切って、主人のために一心にお願いし通したので、その報酬として神様が下さったものか、私自身にも、はっきりそのわけを言うことはできません。要するに、この二つが合わさって、そういうおかげが頂けたのであろうと思います。御教えに『これまで、神がものを言うて聞かせることはあるまい。どこへ参っても、片便で願い拾てであろうが。それでも、一心をたてれば、わが心に神がござるから、おかげになるのじゃ。生きた神を信心せよ。天も地も、昔から死んだことなし。このかたが祈るところは、天地金乃神と一心なり』とありますが、その御教えどおりで、『一心をたてれば、わが心に神がござる』ので、このようなおかげも蒙られるのだと思います。

 話を元へもどしますが、私は神様の「花街へ行け」というお知らせに従って、まず新町に出かけました。一軒一軒、約三百軒近くも回りました。しかし、篭の中の剣先鯣(けんざきするめ)は、一枚も売れません。それでも、私は落胆しませんでした。「花街は新町だけではない。近くに堀江があるではないか」。私の足は元気よく堀江に向けられました。軒づたいに、六十軒ほど回りましたが、どこも相手にしてくれません。時計をみると、ちょうど午後四時でした。「まだまだ大丈夫だ。日が暮れるまでには二時間ある。何としても、その間におかげ蒙ろう」。最初の十二、二軒で、断られた時には、出鼻をくじかれて、少々足元のぐらついた私が、三百軒も回って、断られつづけ、堀江を回っても、やっぱりかわりないんですから、普通ならがっかりするはずなのですが、それが何ともなくて、「まだ日が暮れるまでに二時間はある」と落ち着きはらって、最後の二時間に希望をつないだしのは、自分ながら不思議に思われます。神様を信じているからだと言えばそうとも言えますが、この信じ方は容易ならない信じ方です。「お願いしてお言葉を頂き、そのお言葉どおりにしているのに、おかげ蒙れないとしたら、何のためのお言葉なんだ。信ずるなんてばからしい」と、理屈か出てきそうなものです。ことに、人一倍理屈っぽい性分の私が、そんな理屈のためにふらつかなかったのは、いつの間にか、神様から、そんな心にして頂いていたというより言いようがありません。「日の暮れるまでには、まだ二時間ある。行けるところまで行くことだ、行くところまで行けばおかげ蒙れるのだ」。私は、はりきった思いで回りつづけました。すると、その時をかいに、まるで小鳥が巣立っていくように、ばたばたと売れて、たちまちにして、その日持って出た品がすっかりなくなり、家へ帰って来ましたら、らょうど五時でした。

 行くところまで行くのだ。中途で、その志をざ折してはならない。ということは、道理としてよく分かっていても、いざせっぱつまると、なかなか容易にそのとおりにいかないものですが、どこまでも一生懸命、惑うことなく、志を実践し通さなくては、何事によらず、その目的を達することはできません。お願いがまたそのとおりです。いかに苦境に追い込まれても、立てた願いを変えないで、どこまでも立てぬき通して、はじめて、おかげが得られるものであり、途中で、目がきょろつき、足がふらつくようなことであっては、おかげを蒙るということは覚つかないのです。何をするにしても、辛抱ということが大切です。信心には、なおさらこれがなくてはなりません。車も心棒が弱かったら折れやすい。心棒の折れた車はまわりません。人間のする仕事も、しんぼう(辛抱)折って、仕合わせを得た人はありません。辛抱して行ってこそ、目ざすところへ行けるのです。お願いして、暇のいることもあります。汽事に乗っても、すぐ目的地へ着けるかというと、そういかない場合があります。ご本部参りするにしても、大阪からなら五時間、岡山からなら一時間、東京からとなると二十時間近くかかります。信心も同じことで、その人の立場立場によって、おかげ蒙る時間に違いがあります。お互いは、お願い申したら、おかげ下さる時節を待たせてもらわなければなりません。これが大切なことだと思います。

 さて、家に帰って、その日の売上げを勘定しますと、口銭としてもうけさせて頂いたお金は、しめて二十四銭二厘でした。早速、御神前に座って、「今日は結構なおかげを蒙り、二十四銭三厘もうけさせて頂きました。有難う存じます」と、開業第一日のお礼を申し上げました。すると、神様から「まあ、考えてみい」というお言葉を頂きました。「まあ、考えてみい」とのお言葉が、あまりばく然としていますので、さて何を考えるのか、どう考えたらよいのか、さっぱりその意味が分かりません。「もしや勘定違いでも」と思い、二、三度ソロバンを持って、仕入れと売上げとを調べてみました。しかし、差し引き二十四銭三厘が、口銭としてのもうけであるという勘定には、間違いがありません。ですから、私は再び「二十四銭三厘もうけさせて項きました。有難うこざいます」とお礼を申し上げるよりほかはあリません。すると、また神様から「まあ考えてみい」との仰せです。それで、いよいよ分からないことになりました。「まあ考えてみい」とは、何をどう考えたらいいのか、私は、御神前で腕組みして、じっと考え込みました。その時、私の心に浮かび上がってきたものは何であったかといいますと、それは、朝の八時に家を出て、日暮れの五時まで、一枚のござに一個の篭をさげて、新町・堀江の花街を、一軒一軒と、三百何十軒の家々を回り歩いていた私自身の姿です。そのなかでも、ことさらに強く浮かび出たのは、家々に出人りするたびに、ぴょこりぴょこりと頭をさげている私の姿でした。

そのことから、次のようなことに思いあたりました。「今日一日に回った軒数は、約三百五十軒の多数におよんでいる。この三百五十軒の一軒一軒、買ってくれてもくれなくても、入る時〃今日は〃と言って頭をさげ、出る時に〃またどうぞお願いします〃と頭をさげる。とすると、頭は一軒で少なくとも二へんさげたことになる。それが三百五十軒なら、この頭は七百ぺんあげさげしたわけである。それでもうけた口銭が二十四銭三厘とすれば、一ぺん頭をさげるのが、三毛なにがしの値打ちにしかなっていない。十ぺん頭をさげて三厘なにがし、百ぺん頭をさげて、やっと、三銭なにがしにしかならない。一人前の年になった男が、七百ぺんも頭をさげ、一日中飲まず食わずで、足を棒にしてかけずり回って、もうけがやっと二十四銭三厘である。時間でいえば、朝の八時からタ方の五時まで、九時間かかっている。もし、この分で、一円の金をもうけようと思えば、飲まず食わずで、りすのようにかけ回っても、まる四日かかる勘定になる」と思いあたると、私は神様が「まあ、考えてみい」と言われるのは、どんなわずかなお金でも、手に入れるのに、どんなに骨折らねばならないものであるかということ、お金の尊いこと、有難いことを、心のソロバンで勘定してみよと仰せられたことが分かりましたので、改めて「神様、有難う存じます」と、お礼を申し上げずにはおられませんでした。

 私は金持ちの家に生まれたものではありません。十三、四といえば、まだ子供で、だ菓子でもしゃぶって遊びたい時代です。私は、そんな十三の時から、お金で苦労しお金で泣いてきました。一番苦しかったのは十六、七の年でした。十七の時には、あんまり苦しいので、苦しまぎれに、いっそ一思いに死んでしまおうと思って、自殺をはかろうとしたことがあります。ひそかに短刀を盗み出し、畳を裏がえして、その上に座り、短刀の切っ先を手ぬぐいで巻いて、腹にぷすりと突きたてて、腹を切ろうとしました。その時、「わしが死んだら、後はどうなる」という思いが、「待った」と私を抱きとめてくれました。やっと、死なないですみましたが、もしも、その思い直しが、一分遅かったら、私の肉体は朱(あけ)に染まり命は絶たれて、取り返しのつかないことになっていたでしょう。

 私はそれほどまでにお金で苦しみました。が、どれだけお金の尊さ有難さを知っていたと言えましょう。知っていたと言いましても、それは、ほんのうわべだけのことでした。底の底まで徹して知っていたとは言われません。正直に言って、この日この時、二十四銭三厘を通してはじめて、お金がどんなに得がたいものか、身にしみてお金の尊さ有難さを教えて頂きました。

 それというのは、私は十三の年から、老舗(しにせ)の鮮魚問屋で、大きな借金を背負って、お金の問題で苦しんできましたが、少々のお金をもうけることには、そんなに苦労を感じないですんでいました。商売は朝のうち二時間ばかりで、ばたばたっとすんでしまい、それで一日のかせぎになり、少々汗をかくのをいといさえしなかったら、たちまちのうちに相当の売上げ額になりました。ですから、ついそれに慣れて、小さなお金に対して鈍感になり、お金がそれほど大した力を持っていることに気づきませんでした。つまり、お金を扱うのに慣れて、お金を何とも思わないようになっていたのです。慣れるということほど、恐ろしいことはありません。
 百姓さんは、ふん尿を何とも思いません。これは、扱い慣れているからです。先年、私は驚いたことがあります。大阪の阿倍野の墓地は、もと岩崎(西区)というところにあったのを、移転させたのですが、その移転のとき、岩崎の墓を掘りおこしていた人夫が、「これ、生だろうか、焼いたの〆だろうか」と言って、埋めてから三年ぐらいしかたっていない、とても臭くてそばに寄りつけない死体を、平気で掘っていましたが、慣れたらあんな具合いに、何ともなくなるものです。私も、小さい時から、お金を汲ってきましたので、いつとはなく、お金に慣れてしまっていたのです。
 それで神様には、深い思召しから「何とかして、分からせてやりたい」というので、こんなふうに「まあ考えてみい」といって、分からせて下さったのだろうと思います。で、こういったことを分からせて頂いてこそ、信者さん方のお願いも分からせて頂け、どうでもおかげを渡さなければならないというお取次ぎの精神にも、活が入れられるのであります。

 さて、このようにして、お金がどんなに大切なものか、それを手に入れるにはどれだけの苦労がいるものか――したがって、一銭半厘たりともむだにしないよう、できるだけ生かして使わねばならないことを教えて頂きましたが、これは、お金だけに限った話ではありません。他の一切がまたそうです。一事が万事です。仮に例を一枚のハンカチ、一本の扇子にとってみますと、真夏の炎天下に、ハンカチなり扇子を持って出るのを忘れて、遠路を歩かねばならないとしたらどうでしよう。たった一枚のハンカチ、一本の扇子でも、ああハンカチがあったら、ああ扇子を持っていたら、どんなに助かるかしれないと、日頃はそれほどに感じでいないハンカチの尊さ、扇子の有難さが分かるでありましょう。尾篭(びろう)な話ですが、そんな場合、折悪しく大便をもよおしたとします。さいわい便所が見つかって、用たしをすることができても、あいにく、ちり紙を持ち合わせていなかったらどうでしょう。懐中の財布には、何枚何十枚の十円百円札を持っていましても、十円札百円札はちり紙の用をなしません。たった一枚のちり紙でも、ちり紙の値打ちは十円札百円札以上です。

 とすれば、一枚のちり紙でも粗末にしてはなりません。何からでもよろしい。物をむだにしてはならないこと、粗末にしてはならないことを知らせてもらったら、それを一切の上に押し広めて、何でもそれを生かしに生かして、使わせて頂くようにしなければなりません。たった一粒の米でも、たった一粒の麦でも、たった一枚の菜っ葉でも、たった一本の薪でも、みんな天地の神様が、何十日間、または何百日間かかって、昼夜兼行でお働き下きって、できあがったものです。それを、たった一粒ではないか、たった一枚ではないか、たった一本ではないかといって、粗末に扱うようなことがあったら、天地の神様のご苦労を知っていると言えません。どうして、それがご無礼にならないと言えましょう。有難く使わせて頂き、有難く扱わせて頂かなければなりません。折角縫いあげて着せてもらった着物を、着るなり汚したら、親はどう思うでしょう。お互いは、すべての天物に対して、その値の高い安いを物差にして、高いから大切にし、安いから粗末にしてもいいというような考えを持ってはなりません。

 事のあるのがおかげか、事のないのがおかげかどちらかと言えば、それは言うまでもなく、事のあるより事のない方がおかげであるに相違ありません。しかし、お互いの信心は、果たして事のないのに対して、心からの喜びが足りているでしょうか。どうも『痛いのがなお(治)ったのでありがたい』という方の有難屋が多くて、『いつもまめ(壮健)ながありがたい』という有難屋が少ないようです。そこで、御理解にも『痛いのがなお(治)ったのでありがたいのではない。いつもまめ(壮健)ながありがたいのぞ』と言われでいるのです。何不自由なく暮らしができている間は、何もかも分かったような顔をして、いくら上手にものを言っておりましても、まだまだ本当のことは分からないものです。本当に分かるためには、どうしても息もつけないような苦しみをなめてこなければなりません。それで何とか分かってくるのです。しかし、みなさんは、そんな苦しみをしないで、本当のことが分かって頂きたいと思います。
(この「我が信心の歩み」は、2006年5月に掲載されたものです)
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