「我が信心の歩み」 (連載第13回)


[十三]   頼母子に頼ってつまづく(1)


 さて、商売の方は、だんだんおかげを蒙ってきましたが、もともと資本なしで始めた商売です。そのもとを忘れないで、神様にお願い申して勉強していたら、それでよかったのですが、おかげを蒙って、万事都合よくなると、この機会をつかんで、一日も早く成功にこぎつけたいものと、功を急ぐことになりました。

 御理解に『一年に分限者になるような心になるな。先はなが(永)いぞ。一文、二文とためたのは、みてることはないが、いっときに伸ばしたのはみてやすい。神信心をすれば、我慢・我欲はできぬぞ、ぬれ手であわ(粟)のつかみどりの気を持つな。人より一年遅れて、分限者になる気でおれ』とあり、御神誡にも『物ごと(毎)に、時節を待たず、苦をすること』と仰せられてあるとおり、やま気・思わくから、身のほどを知らない無理算段をすることは禁物です。『欲得にふけりて、身を苦しむることなかれ』とい御神訓のように、自分の欲得に任せて冒倹や背のびを続けているうちに、思いがけぬ生活苦・生活難に、自分を追い込むようなことになりますが、お互いは、えてして調子がよくゆくと、恵まれて調子よくいっているのだということを忘れて、つい有頂天になり、分にすぎたお調子者になりやすいものです。

 すべて、物には頂序というものがあります。が、どうもお互いは、この順序というものを忘れて、一足とびに、物事をしたがる癖があります。あせったり心配したりしなくても、時節を待っておりさえすれば、神様が末ためのよいようにして下さるのですが、どうもそうゆきかねるようです。植木に肥料をやるにしても、今日肥料をやったら、すぐ明日にも効きめが現れるかというと、そんなことはない。半月なり、一月なり、半年なりたたねば、その効きめは現れません。それだからといって、早く効くようにと、肥料を植木の頭からぶっかけたら、どうなるでしょう。肝心の植木が枯れてしまいます。

 太閣さんでも、初めから天下取りではなかった。初めは、まあ侍(さむらい)になりたかったのです。それで草履取りになったのです。そして、やっと侍になった。侍になると、せめて一国一城の主になりたいということになり、順序をへて、天下取りになったのです。初めから天下を取る気であったら、ばからしくて、草履取りなどはできなかったでしょう。時節を待つということは、順序をふむということです。そこのところを思い違えてはなりません。

 有為転変の世の中だといいます。いつどうなるか分かりません。今日、安全にいっているからといって、明日も安全にいけるかどうか分からないものです。調子よくゆきますと、それがいつまでも続くように思い、この調子でぐんぐん押し進めさえしたら、どこまでも伸びてゆきそうに思えるのです。得意になってしまって、この調子なら少々無理しても大丈夫、押し切れるというような気持ちが手伝って、この際、手を広げられるだけ広げて、吸えるだけ甘い汁を吸ってやろうという気になります。しかし、調子に乗るのはよろしいが、調子に乗っているうちに、いつの間にやら、自分の足もとを忘れてしまって、調子に乗せられてきますから用心しなくてはなりません。

 私は、信者さんに、いつも、あんまりむやみに商売の手を広げないようにと注意してきました。これは危険だなと思うと、その人に、「あんた、一ぺん立ってごらん」と言って、股(また)を広げさせることにしています。そして「もっと広げなさい。まだまだ、もっと、もっと広げなさい」と言って、思いっきり広げさせます。その上で、「足を後ろへ引いてごらん。前へ出してごらん」という注文を出します。「そら先生、無理です」「足がどうにもならんだろう。それごらん。自分の足の幅も考えずに、むやみに広げると、にっちもさっちもゆかなくなる。その立往生姿を見て、無理は禁物ということを知らないといけません」と言って、考え直してもらうことにしていますが、こんなことを言うのは、私自身が、功を急いで、商売の手を広げたために、手痛い目にあって、しみじみ「無理は不利、不利は欠損」ということを、知らせてもらったからです。

 ある人が、お百姓さんの仕事に興味を持ち、一つおれもまねをしてみようというので、水田をつくり、夫婦で一生懸命に稲作りを始めましたが、十日たっても、半月たっても、一向、苗が大きくなりません。夫婦はあせり出しました。「このまま放っておいたんでは、大きくならん。一つ、大きくなるように手伝ってやろう」というので、苗を一本ずつ上へ引っぱりあげて、この分なら大きくなることは間違いないと、善んだのはいいとしまして、そのためにかえって株が浮きあがり、大きくなるどころか、枯れてしまったという笑い話があります。私はこの笑い話の主人公を笑えません。それはどうしてかというと、これからの話を聞いてもらえば、なるほどと合点して頂けます。

 私は、資本なしで商売を始めたのです。最初の間は、余裕もないので現金売りでとおしました。しかし、だんだんに得意先ができてくると、商売を一層手広くし、売上げを増やそうという気になり、ぼつぼつ貸売りをするようになりました。
 私は、時折り、信者さんに、心の狸という話をします。朝のご祈念に、間に合うようにお参りしようと思って、床を離れようとすると、どこからともなく、「まあまあ、もう少し床の中で足腰を仲ばしてごらん、とても気持ちがいいから」というささやきが聞こえ、「それもそうだと自分も相づぢを打って、いつの間にか一眠りして、とうとう朝のご祈念のお参りが、できなかったというようなことは、みな、心の狸のしわざです。主人には旦那さん狸=A奥さんには奥さん狸=A先生にば先生狸≠ニいうのがついて、よくない方へ、よくない方へ引っぱってゆきますから、用心しなければなりませんよと、お話をさせてもらっていますが、私が貸売りを始めたのも心の狸≠フなせるわざで、つい心の狸にだまされたのです。

 ところが、貸売りを始めると、争われないもので、その効果はてき面です。得意先は日に月にふえる一方で、現金売り時代に比ベると、商売が手広くなったことはいうまでもありません。まるで、パッと大網を広げたように、四方八方に伸び、半年ほどで、千軒ばかりの得意先ができました。私は、わが意を得たりと、有頂天になりました。しかし、物事は思うようにいかないものです。貸売りを始めて、得意先が多くなり、どんどん商売の手を広げたのはよろしいが、月を重ねるに従って、私は思わぬ難所にぶつかりました。というのは、貸売りの掛けが、こちらの思うように、すらすらと集金できず、そのために、しぜん、間屋への支払いがとどこおるようになってきたからです。これではバランスがとれず、どうにも資金ぐりがつきません。ますます掛けはこげつく、問屋の払いはたまる、壊はからっぽだ。私の金づまりは、深刻になってゆくよりほかはありません。問屋へは、五日払いが十日払いとなり、十日払いがまる一カ月先へ繰り延べとなる有様です。

 もともと、文なしで始めた商売です。貸売りの掛けが思うように集まらなくては、どう舞いようがありましよう。私は、ぴしゃっと行きづまってしまいました。商売に経験のある人でしたら、覚えがあると思いますが、商売人として店を張っていて、節季に払いができないくらい苦しいことはありません。払いができていないと、とても面目なくて、もう、仕入れに行けないほど気持ちの悪いものです。

  無論、私は、どうか掛けが集まり、払いができますようにと、神様に一生懸命お願いしました。そこにぬかりはありません。といって、あやまちは私にあります。それを改めなくてはおかげになりません。自分が落し穴を掘って、その中へ飛び込んだのです。どうして改めずして、おかげが頂けましょうか。いくら願っても、思うようなおかげの芽が吹かないのは当然であります。

 しかし、私は、まだ、そこに気づきません。何とかして、この苦境を切りぬけなければならないと血眼になりました。その時の私に、にっこりとほほ笑んで、手招きしたのは、頼母子(たのもし)でありました。私は目がくらみました。そうだ、この難場を助けてくれるものは、頼母子よりほかにはないと、私は頼母子を救いの女神のように思い、どうぞお助け下さいと、手を差し出しました。頼母子に入って、千円おとすと、一節季は楽に越せます。せっぱつまっていては、前後の考えなどあったものではありません。「これ、これ、これにかぎる」というので、頼母子に入りました。

 ところが、頼母子をおとして、やれやれと一息ついたのはよろしいが、一山越えたと思うと、次に、深い地獄谷が、ロをあけて待っていました。それは、おとすと、その次から空掛け≠ニいう重荷を背負ってゆかなければなりません。そこで、それだけのお金をねん出しなければならないとなると、いきおい、よけいに商売の手を広げなければならないことになりました。これは自分から蟻地獄へ飛び込んでいくような愚かなことですが仕方がありません。また別口の頼母子に入らなければならないことになります。やりくり算段というものは、果てしのないもので、入る、おとす。チャブンと音がしたかと思うと、翌月から空掛けです。また入る、またおとす。またチブンと音がしたかと思うと、また空掛けです。またまた入る、またまたおとす。またまた空掛けです。毎月四口もの空掛けを背負っていくことになりました。それでも、その金が運転資金として、生きて働いてくれれば、そ難場が切りぬけられる見込みも立つのですが、折角の輸血もその効果がなく、ますます、こげついて回転がつかないのですから、一寸刻み五分刻みに、自分の命を刻んでいるようなもので、何をしているのやら分かりません。とりもち桶に飛び込んだら、もがけばもがくほど、身体中、とりもちだらけになります。頼母子だけで、月六十円の空掛けをしなければならないところまで、立ちいたってしまいました。まさに、火を吹いて、顔中大火傷という有様です。

 これでは、商売が手広くなったといっても、何のことだか分かったものではありません。台所は火の車です。大木は大木でも、中をのぞいてみたら、くもの巣の張りつめた空洞です。見かけだおしで、お話になりません。ですから、最初の間は、頼母子屋に断りを言うのも、月に一ぺんか二へんですんでいましたが、しまいには、三べん、四へんとなってきました。それでも、まだ改まらなければならないことに気づかないのですから、助かるはずはありません。

 私は、ほとほと困ってしまいました。頼母子屋に一ぺん断ると、翌月は百二十円、へたにまごつくと、三カ月で百八十円です。親母子の掛け金が、すでにこんな具合いですから、問屋の払いが、満足にできるはずがありません。「ごつんと、どこかで、金に行き当たらないものかしらん」「いやいや、そうではない。万一行き当たったら、それこそ一層、難儀の深みにはまり込むかもしれない」。思い返しはするものの、寝ても覚めても、金、金と、金の夢ばかり見つづけたものです。

(この「我が信心の歩み」は、2006年7月に掲載されたものです)
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