「我が信心の歩み」 (連載第46回)


[四十七]  神様がご主人、自分は奉公人(七)

自分の店に奉公した話(1)


最後に、紙箱の製造をしていたTという信者さんのお話をしましょう。ニカ月ばかり、毎日お参りしていましたが、急に顔を見せないようになりましたので、お手引きした人に、「お連れの人、この二、三日見ないが、どうしたのか」と尋ねてみました。
「あの人なら、寝ております」
「どこが悪くて?」
「身体が悪いのと違います」
「では、なぜ寝ているのか」
「大分、借金がありまして、多勢の借金取りが来て、うるさいので、表戸をしめて寝ているらしいのです」
「それは気の毒に。そんなに行きづまっているなら、お願いすればよいのに。寝ていては埒があかん。お参りするよう、呼んで来てあげなさい。それが親切というものだ」
と、夜もだいぶ遅かったのですが、せきたてて迎えに行ってもらうことにしました。
「では、呼びに行きますが、もし来るのがいやだと言ったらどうしましょう」
「いつまで寝ているつもりか聞いてきなさい。そんなに寝ていられるものか」

 しばらくして、紙箱屋さんをつれて来ましたので、
「寝ているそうだが、よい思案が浮かんだか」
「先生、万事休すです。夜逃げするより仕方がありません」
「それもよいが、それですむだろうか。そんなばかなこと考えて、できることだと思うのか」
「私、今日まで、何人も夜逃げした人を見ています。いくら夜逃げしても、逃げおおせるものではない、何とか工夫がありそうなものと、さげすみの目で見てきましたが、自分が、そんな立場に追いつめられて、借金でどうもこうも動きがとれなくなりますと、変なもので、それから逃れる道といったら、やっぱり夜逃げでもするより…という思いになってしまいます」
「それだけ分かっていて、そんなばかなことを考えるとは、どうしたことだ?」
「人を倒しておいて、自分だけがうまくゆこうなんて、それは道にはずれたことで、通ることだとは思いませんが、せっぱ詰まってしまいますと……」
「まあ、落ち着いて考えてみなさい。今のあんたは、火が降っているようなものだから」
「そうです。本当に火が降っているのでございます」
「ところで、その火は、あんたの頭の上だけ降っているのだから、どこへ宿替えしようが、やんでもらわないかぎり、どこへ行ったところが、降りやまん。それより、一心に祈ってゆきなさい。そうすれば、必ず雨はやむ」
「一心に祈れと言われますが、私、一心に祈ってきました。それが、もうどうすることもできなくなったのです」
「それなら仕方がない。商売やめて奉公でもすることにしたらどうか」
「奉公と言って、どこに私のようなものを使ってくれる店がありましょうか」
「ある、ある。私が頼まれている」
「本当ですか」
「うそは言わん、本当だ。ところで、借金と言って、いくらほどあるのか」
「ちょっと五千円ばかり」
「なに、たった五千円か」
「先生は、たった五千円と言われますが、手のひらのような小さな家で、その借金が、百二十幾口に分かれていて、間屋は無論のこと、家賃に米屋の払いもたまってしまい、知人という知人に借金してしまって、もう、びた一文の貸し手もない八方ふさがりで、首もまわらない大きな負債です」
「なるほど、そう聞くと、やっばり奉公するのが、あんたには、一番楽になれる近道だ」
「使ってくれる人があれば奉公しますが、私の職は紙箱屋で、紙箱以外のことは、さっぱり知りませんので」
「ああそうか。それは、ちょうどいい。紙箱屋さんで、いい人があったら世話をしてほしいと頼まれているので、世話してあげる」
「私は家内も子供もありますが、それでもよろしいのですか」
「差し支えない。もうかればもうかっただけ月給としてもらえるから、家内があっても、子供があってもかまわん」
「先生、本当にそんな口があるのですか」
「ある。私にまかせておきなさい」
「一体どこの紙箱屋さんですか」
「北区だ」
「北区と言いますと、私の住んでいる区ですが、そんな紙箱屋さんがありますかしらん。同業者なら、大抵、知っていますが……。北区のどの辺ですか」
「XX町をちょっと北へ入ると…」
「私の家もその辺ですが∴…」
「それは、あんただけが知らないのだ。電車道を踏み切って、ちょっと入ると東側にあるだろう。三軒目だ」
「三軒目!それは先生、うちではありませんか。私のうちへ奉公せよなんて、そんなばからしいことができますか」と言って、一杯食わされたよっな顔つきをして、私を見つめていましたが、実際〃うち〃だの、〃おれ〃だの、〃わし〃の仕事だのと思っていますから、こんな行きづまりが出てくるのです。

 お互いが信心している神様は、お互いの親様です。この親様をわが家にお祀りしたら、わが家の親様です。お互いのしている仕事を〃天職〃と言いますが、天というのは、神様ということだと解釈するとよろしい。天職とは、自分が神様から言いつけられた職分のことです。

 天職という言葉は知っていますが、その本当の意味が分かっていません。それで、神様から言いつけられた職分を、おれの仕事だと思って、いろいろと心配します。それは、おれの仕事でないことを知らないからです。お互いの仕事は、それは、天地の仕事であって、神様のお仕事を、めいめいの立場・持ち場でやらせて頂いているのです。

 ですから、お互いは、神様のお仕事に、自分は使って頂いているのだという心でやらせて頂いたら、はっきりとやってゆけるのです。仕事という仕事は、すべて神様のお仕事です。それに自分は使って頂くのです。 このお道は、神様が金光様のお口を使って、仰せ出されたお言葉が、御教えになっていますので、つまり神様の教えであります。神様が教えをなされ、神様がお互いをお助けなさるのです。そうですから、私が、ここでこのように話をしているのも、神様がかわいい氏子をお助け
なさるお仕事に使って頂いているのであって、まあ、私は番頭みたいなものです。私が、紙箱屋さんに「奉公してみたらどうか」と申したのは、ここのことです。わが仕事は、神様のお仕事ですから、神様に使って頂くということが肝心で、〃奉公〃という意味も、これではっきり分かってくれたと思いました。

(この「我が信心の歩み」は、2009年4月に掲載されたものです)
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