「我が信心の歩み」 (連載第47回)


[四十八]  神様がご主人、自分は奉公人(八)

自分の店に奉公した話(2)


こんな具合いに、紙箱屋さんに話をして、
「あんたも今日から、神様は親様、一家のご主人であるという思いで、このご主人に奉公させて頂きなさい。そして、借金もそのご主人に払って頂けばよろしい」
と言いますと、
「それは先生、無理です。いくら神様が偉い方でも、借金を払うというようなことできますか」
と、まだ二の足を踏んでいますから、
「できんことない、おおできだ。お互いは、借金をしたが最後、それが払えないのは当然で、払えるのは、その人が知らないだけのことで、恵まれているからだ。恵まれさえしたら、借金は払える。それは無理ではない。しかも、これからのあんたは、奉公人になるのだ。そんなことは、奉公人が心配しなくてもよろしい」

「でも、そんなことかできたら、世間に難儀する人はありますまい」

「そう。みなが私の言うようにすれば、難儀する人がなくなるのが当たり前だ。それ奉公しないで、おれは主人だと思い、みな自分で心配して、難儀しなければならないことになるのだ。だから、神様に借金を払って頂くことは、ちょっとも無理なことではない。無理は、借金したあんたにある。あんたは、それをお詑びし、お願い申し上げたら、ご主人が、必ず払って下さる。要は、〃私は勝手なことをして、これこれかような始末でございます。お許し下さいますように。私には借金を返す力がございません。どうぞ返して頂けますように〃と願いして、今晩からは、神様をご主人に頂いて、奉公させてもらいなさい。商売も世帯も一切、神様に渡して、身も心も奉公人になりきるんだ」

「よく分かりました。それでは奉公させて頂きます」

「神様に奉公したら、神様と一緒に勉強すること、万事経済に気をつけていくこと、ご主人が貧乏して借金があるのだから、その断りを言うことが、あんたの役目で、この役目を大切につとめなさい」

「それはなぜでございます?」

「罰金だ。勝手なことをした罰に、借金の断り役が課せられたのだ。あんたの働きがよかったら、借金は返してもらえるが、働きが悪かったら、いつまでも借金の断りを言っておらなければならない」

「ところで先生、神様に世帯をお渡ししてしまうと、明日から、私はどうしたらよろしいのでしょう?」

「あんたのご主人は、紙箱屋をしていなさる。商売に出る時には、買物帳を持って行くのだ」

「神様の買物帳?そんなものどこにあります」

「〃神様、これから買い物にやらせて頂きます。私は頼りない者でございますから、どうぞ、一緒に、おともをさせて頂きます。私の買う品物は、あなたのお指し図で買わせて頂くことになるのですから、どうぞ買い場のおかげ頂けますように〃と、こう願って買い物に行けばよろしい。それでさしずめ、材料の紙がないのだろうから、その願いを持って買い物に行きなさい。その願いを、買物帳というのだ」

「しかし、先生、あっちこっちの問屋へ迷惑をかけておりますので、行きにくいのですが」

「これからの用は、一体誰の用なんだ。あんたの用で行くのなら、行きにくかろうが、用はご主人のご用ではないか。行きにくいと思ったら、それはあんたの用事になる。あんたは奉公人だ。あんたの勝手は許されぬ。神様のお言いつけだ。行かせてもらいなさい」
 
その晩は、それで帰りましたが、その翌日、朝九時頃に参って来ました。
「行ったか」

「行くには行きましたが、やっぱりだめでした」

「やっぱりと言うところを見ると、まだあんたには、〃おれは主人だ〃の気がぬけきっていないようだ。大体、何軒ほど回って来たのか」

「三軒回ってみましたが、みんなだめでした」

「だめだと言って、回るところはそれだけしかないのか」
「あるにはありますけれども」

「気のきかない丁稚(でっち)だなあ。まだ行くところがあるのに、回らないとはどうしたことか。どうして行かんのだ」
と私はぼろくそに言いました。

「でも先生、今度行くところは、一番たくさん迷惑をかけていますので……」

「何を言うのだ。あんたは迷惑かけているか知らんが、神様はびた一文も迷惑をかけてはいなさらん。神様の商売だ。行っていらっしゃい」
 こう言われては、本人もじっとしているわけにいきません。しぶしぶながら出て行きました。
しばらくすると、先ほどとは打って変わり、元気な様子でお参りして来ました。

「どうだった?」

「先生、おかげ頂きました。一番たくさん借りのある問屋が、品物を回してくれるようになりました。有難う存じます。材科を頂かせてもらって、次に、どうさせて頂たらよろしゅうございましょう」

「分からん丁稚だなあ。いちいち教えんならんのか。仕事のできる支度ができたのだから、次に、神様に〃これから注文を頂きに参ります。どうぞ、注文の頂けますように〃とお願い申して行かせて頂きなさい。自分ひとりで注文を取りに行って、注文がなかったら、ご主人に小言を言われるかも知れんが、ご主人と一緒に行ったら、ご主人もこ承知のことで、注文がなくても差し支えなかろう」

「なるほど。では、そのようにさせて頂きます」
 教えた通りの思いで、注文を取りに行きますと、おかげ蒙って、案外注文が頂けました。参って来まして、

「これは、神様のお商売でございます。私は、神様と一緒に働かせて頂いただけのことで、神様が、注文をお取りになったのでございます」
と言って、喜んでおりました。
 これからは、本人の意気込みが違います。朝は、「神様、これから仕事をさせて頂きます。私は、一生懸命に働かせて頂きます。どうぞ、あなたも一生懸命お働き下さいまして、仕事がはかどりますよう、また、良い製品ができますようにお願いいたします」

元気一杯で仕事にかかり、気持ちよく働けるようになり、
夜は「大変都合よく仕事がはかどりまして」と言って、お礼に参って来るようになりました。 

それから三日目のことです。

「先生、今日お小遣いが切れてしまったので、隣の信心友だちに五十銭借りに行きますと、〃番頭さん、ご主人が、借りに行けと言われたので来たのか。それとも、番頭さんが、旦那(だんな)さんになって来たのか、どちらか〃と言われて、ひゃっとしました」
と言いますので、

「それはそうだ。ご主人の言いつけでもないのに、ご主人の金を無断で借りにくという法はない。奉公人は、そんな心配は無用だ。余計な心配はしないで、小遣いがなくなったら、どうして伝票を出さないのだ。〃神様、小遣いがなくなりました。どうぞ、授けて頂きますように〃と願っておけばよろしい。もう、そんなことぐらい教えなくても分かってもらわねば……番頭さん、もうちょっとしっかりせんか」と注意しておきました。

紙箱屋さんは、それから家に帰りましたが、二、三時間たつと、お客さんがやって来て、

「おうちに、こんな箱ありませんか」と、
持って来た見本を見せました。

「折角ですが、今のところ、ございませんが」
と言いますと、
そのお客さんは、棚の上に、棚ざらしになっている箱を指さして、
「あれは?」
と言うではありませんか。

「あれですか、あれはだめです」

「でも、ちょっとおろして見せて下さい」
と言いますので、おろして見せますと、
「これこれ、これでよろしい」
とのことで、長い間、ごみにまみれていた箱が、きれいに出払って、三円五十銭に売れたそうです。参って来まして

「お隣でぼろくそに言われ、先生に教えて頂いて、三円五十銭頂かせてもらいました」

と言って喜んでいましたが、こんなふうに一つ一つ分からせて頂き、おかげを蒙って、月末には、集金高四百六十円に達する仕事をさせて頂いたという報告です。
「その中で問屋への払いは?」

「百何十円でございます」

「すると、大分勘定が違うではないか。盗んできたのと違うか」

「先生、冗談ではありません。先生に、横着したら暇が出る、正直にやれと教えられましたので、私は、きっちり勘定してまいりましたが、帳面もそうなっでおりますので」

「それがおかげだ」

「有難う存じます」

「では、その内、二十円を当座の入り用に残し、あと三百いくらを借りのあるところへ、少しずつでも払わせてもらいなさい」

「はい、そうさせて頂きます」

 こんな調子で、ずんずんおかげを蒙ってゆきましたが、奉公人になって働いていくのですから、心配をはなれてお願いができます。二年ほどの間に、全部借金を返すことができました。

                                    続く 

(この「我が信心の歩み」は、2009年5月に掲載されたものです)
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