「我が信心の歩み」 (連載第49回)


[五十]  お取次ぎもまた奉公である(一)


 さきに、「神様がご主人、自分は奉公人」のところで、二、四の実例をあげて、私の信心に一貫している〃奉公〃精神が、お取次ぎの上に、どのような現れ方をしてきたかについて、聞いてもらいました。

 これは信者さんを教導するのに、このように説いたら、よ分かるであろう、おかげも頂いてもらえるであろうと、私が頭をつかって、方便的に考え出したものではありません。

 これは、すでにお話ししましたように、私自身が、十三年間、分からないながらも、ああかこうかと、信心の道をさぐり続け、あっちで頭を打ち、こっちで頭を打ちしながら、十三年目にようやく、信心のいよいよのところはこれよりほかにない、これが信心の本筋だと分からせて頂いたのです。ここで初めて、目先のおかげから末始終安心の、永遠のおかげの境涯に入らせて頂くことができました。このことは、私自身だけのものではなく、誰でも、ここが分かりさえすれば、必ず、目先の苦しみや悩みから救われて、末始終安心のおかげが蒙れるようになれるのです。そこで、みなさんに、何度もこの話をして、聞いてもらっているのです。

 これからの私の話は、私が教会を持たせて頂くようになってからの話に移りますが、私としましては、商売をさせて頂いていた頃も、教会をもたせていただくようになってからも、どこまでも神様をご主人と頂き通す私の信念には、少しのかわりもありません。お取り次ぎのご用もまた、ただ奉公の一筋を進むだけです。

 だから、私は教会を持たせて頂く時、さきにふれましたように、お金五円、お米一斗五、六升、これだけを持って、平気で布教の第一線に立つことができました。

 お道の布教は、他の宗派・教派の布教振りと違います。その資本といいますと、「病気病難、不時災難、不都合不仕合わせな氏子、天地のご恩を知らない氏子を、お引き寄せくださいまして、信心させて頂き末々安心のおかげを授けて頂きますように」というご祈念が、その資本で、このお取次ぎのご祈念によって、しぜんに、氏子がお引き寄せ頂いて、道が開けてゆくという建て前です。ですから骨が折れます。

 「とりたての鰯(いわし)!」と声高く叫んで、町を売り歩く鰯売りのように「安心はいりませんか。信心にご用はございませんか」と、振り売りに歩き回ることができたら、どんなに楽であるか分かりません。しかし、お道では、じっと座っていて、それで人を引き寄せるのですから、大変、骨の折れる仕事だということになります。

 医者の俥(人力車)が止まっている家を見つけると、さっそく、その家を訪ねて、「踊ってあげましょう。さすってあげましょう」という教派もあるそうで、宣伝効果もありましょうが、お道では、いざりのように、いながらにして磁石が鉄片を吸い寄せるように引きつけようというのですから容易ならない仕事です。店を開けたらすぐに、お客さんが飛び込んで来てくれるように、道を求めてやって来る信者さんがいてくれたらよろしいが、そうは問屋が卸しません。

 その上に、本教では、信者がお参りして来ても、物を持って来るようにと言うようなことは、おくびにも出してはいけないことになっています
『寄進勧化をさせて、氏子を痛めては神は喜ばぬぞ』。寄進勧化は、きっぱりと止められています。手も足も、がんじがらめにくくられているようなものです。

 こんな具合いで、布教の条件から言いましたら、このお道の先生は、一番分の悪い条件におれています。これで、暮らしが立つのだろうかと、不安に思ったら、不安この上なしです。

 親兄弟が見たら危なくて見ていられない。石橋をたたいて渡るというような人でしたら、こんな危ない橋は渡れたものではありません。しかも、それでいて「何でも人を助けさせて頂こう。世を救わせて頂こう。神様のお心を安めさせて頂こう」というのですから、並大抵の骨折りではありません。

 私は商売をやめて、教会を持たせて頂くことになりましたが、もしも私に、将来の生活に対する不安があるのでしたら、どうして好きこのんで商売を捨てて、先生などにならせてもらうものですか。そんな危ないことに近寄るはずがありません。食べるに事足りている商売を守ることが安全第一と、そこを離れなかったでしょう。それが、思いきって商売を振り捨てて、教会を持たせてもらうようになったのです。なぜかと言いますと、私は商売で〃奉公〃の信心体験を積み、思うまま言うままのおかげを蒙っていたので、教会を持たせて頂いても、いよいよ神様への直接のご奉公――お広前のお取次ぎのご用を、一生懸命につとめさせて頂きさえすれば、決してご主人である神様が、見殺しにはなさらないという信念があったからであります。

 それは、日露戦争で旅順が陥落した明治三十八年一月のことです。道広教会の稲垣先生(初代)から、突然、「金光様のお言葉だから、土佐堀で布教を始めたらどうか」
 というお話です。
それで先生に
「一応、考えさせて頂きます」と申して、私は、さっそく、ご本部に参拝いたしました。金光様にお目にかかり、「稲垣先生から、かくかくのお話がありましたが、私の考えでは、まだ時機が早いように思われますので、今しばらくご猶予を頂き、商売の方で、思うようにおかげを頂きたいと存じますが、いかがなものでございましょう」
とお伺いしました。
 すると、
「人がかれこれ言うのが時機じゃ。布教のおかげを受けなさい」
 というご返事です。

 私は信心の手続きからいいますと、最初は、大阪教会で信心をさせて頂き、途中から、道広教会で信心させて頂くようになったのですからその由を申し上げて、
 「布教をさせて頂きますのでしたら、大阪教会から出させて頂くのが順序のように思いますが、その辺は、どう取りはからわせて頂きましょうか」
 とお尋ねしますと、
「白神さんのご恩をわすれないようにして、稲垣さんの方から出させてもらったらよろしい」
 というお言葉でした。
 しかし、私は少々考えるところがありましたから、
「どこか、よそで布教をさせて頂きたいと存じますが」
 と申し上げましたが、
「やはり土佐堀でおかげを頂きなさい」
 ということでした。
そこで、私は、これはおかげだと厚くお礼を申し上げて帰りました。
 
 帰りますとすぐに、私は商売のあと片付けにとりかかり、それがすむと四月二十日、土佐堀裏町(西区土佐堀船町)に、布教の第一歩を踏み出すことになりました。布教資本というとおかしいが、資本とでも言えるのは、お金五円とお米一斗五、六升だけでした。生きるか死ぬかは神まかせ。死んだら、宗教的名誉の死です。こう言いますと、大層悲仕な覚悟を持って、その場に臨んだように聞こえますが、商売していた時と同様に、私は金光大神様のお手代わりとして、奉公人としての取次ぎの役前さえ、一生懸命につとめさせて頂いていれば、ご主人である神様が養って下さるのです。この信念は、少しも動きません。
ですから内心はすこぶるのん気なものです。

 話がそれますが、先年、ある教会長が訪ねて来られまして、私に「教会長として、どんな心掛けを持たせてもらったらよいでしょうか」というお尋ねです。
「あなたは?」
と聞くと、
「私は、これこれというもので、何々教会長です」
 ということでした。
その時、私は「ああ、張りぼて(張り子)ですか」と言ってしまいました。遠方から来られた先生に、こんなことを言ったりして、先方さんはびっくりされたことだろうと思いますが、相手が「私は何々という教会長です」と言われたものですから、つい私もつり込まれて、「張りぼてですか」と言ってしまったのです。

 教会長とは、一体、何でありましょう。
『神の前立ち、金光大神の手代わり』です。神様の前立ち、金光大神様の手代わりでなくては、お取次ぎの役前はつとまりません。
「わしは何々教会長だ」「おれは先生だ」。これで、真に神様の前立ち、金光大神様の手代わりとして、お取次ぎが務まるでしょうか
。「先生、先生」と言われますと、先生になりすまして、わしほど偉いものはないような気持ちになるものですが、先生といって、一体何の先生なのです。倫理の先生にしては素養が足りません。お医者さんの先生では無論ありません。といって、講釈師の先生でもありません。何を教える先生なのでしょう。

教会長とか、先生と言われていますが、実は、『神の前立、金光大神の手代わり』であって、布教というのは神様のご布教、金光大神様のご布教です。どこまでも、神様、金光大神様がご主人です。教会長、先生は、このご主人の下で立ち働く奉公人です。ですから、ここに思いがなくて、〃何でも、わしが〃で布教していたのでは、ろくなことはできません。そんな調子では、神様から養って頂くなんて、及びもつかないことです。信者に養ってもらうのがせきの山です。

 私が、ひとかどの教会長に対して、「張りぼてですか」というような失礼な言葉をはいたのも、私の思いが、そこにあったからです。私たちのような無学無知な者が、お取次ぎの大役がつとまりますのは、『神の前立ち、金光大神の手代わり』として、ちょうど操り人形師の手で人形が動くように動かせて下さるから、相当の働きもさせて頂けるのです。「お前たちのようなものに手代わりはさせられない」と言われてもいたし方のないところを、役に立たせて頂けますのは、神様、金光大神様がご主人であるからであります。

 ある時、ある商人の信者がお参りして来て、
「先生、この月、三百万円の売上げのおかげを頂きました。有難う存じます」
と言います。
「ちょっと待った。あんた、今、三百万円と言ったようだが、三百円と違うのか」
「いいえ、三百万円です」
「本当に三百万円か。どうもおかしい。あんたはいくらの借家に入っているのか」
「家賃は三十円です」
「それで食べかねているのだろう。そんな分際の者が、三百万円の商売ができたなんて、ちよっと人が信用しないだろう。ほらを吹いているのと違うか」
「そのことなら、何も不思議ではありません。商売が私の商売でしたら、三十円の家賃相応の商売しかできないでしょうが、しかし、神様がなさる商売ですから、三百万円の商売もできるのです。……私は奉公人で、店員に過ぎません」
「ああ、それで。なるほど、あんたが店員なら、親方の顔で、いくら張りぼてであっても商売ができるな」
 と言って笑ったことです。

 これは商売に限った話ではありません。すべての職業に通じるところの法則出会って、教会長や先生もまたそうであります。                                                                         
 

(この「我が信心の歩み」は、2009年7月に掲載されたものです)
TOP
バックナンバー一覧