「我が信心の歩み」 (連載第50回)


[五十一]  お取次ぎもまた奉公である(二)


 私の伜(現玉水教会長)が教義講究所(金光教学院)を修了して、帰って来た直後のことです。ある信者さんの家に葬式があって、遷霊 に行かなければならないことがありました。
 
 私は伜に「忙しくてとても行かれないから、代わりにおかげを蒙って来なさい」
と言いました。
「でも、先生、それは…」
「習って来たのだろう?」
「習って来ましたが、それは形式だけなので」
「霊(みたま)が遷ったか遷らないか、分からないというのか。分からなくてもよろしい。私の代理で行くのだから、気遣いはいらない。 遷ったと思ったら、もう呼ぶ必要はない。十ぺん呼んでも、まだ遷らないと思ったら、何べんでも呼ベばいい」
「むずかしいですなあ」
「何もむずかしいことはない。神様に〃父の代わりに遷霊させて頂きます。どうぞ父同様に、おかげが頂けますように〃とお願いしてゆけば、おかげが蒙れる」
 と言って遷霊に行かせました。

 分からない人から考えましたら、随分無茶なように思われましょうがそれでよろしいのです。遷霊がすんで、伜が帰って来ました。
「ただ今、帰りました」
「ご苦労さん。何べん、霊の名を呼んだ」
「最初一ぺん呼んで、二度目の半分ぐらいで、もうよいと思いましたから、それでやめました」
「よかった、よかった。それでいい」
と言いました。

 それから一週間ばかりたってから、ある婦人が参って来まして、
「先生、私に分からないことがあります。教えて下さい」
と言います。この婦人は、私が仲良くしている友人の奥さんです。
「改まって、何事ですか」
「ほかでもありませんが、この間、講究所を出られたばかりの息子さんに、遷霊ができるのでしょうか。先生も随分無茶だなあと思って見ていますと、二回ほど霊さんを呼ばれただけで、それで霊が遷ったのか、ぴしゃっとやめてしまわれたのです。どうしてそれが分かるので しょう?」
 という質問です。遷霊といえば、本気に二十年、三十年と信心していなければ、はっきりしないことですから、それを不思議に思い、質問するのも無理のないことです。そこで私は言いました。

「そのことか。それは、何も不思義ではない。神様のお手代わりである私の代理だ。それで、ちゃんと立派に代理がつとまるのだ」
「ああ、そうですか。そこに気がつきませんでした」
 これで分かってくれましたが、自分が主人でなく、主人の代わりをつとめさせて頂くのですから、どうして代わりがつとまらないことが ありましょうか。

 教会を持たせてもらいましてから、三年目のことです。私は、教職なしでご用をしていた関係上、教義講究所に入って、教職を取らなければならないことになりました。
「講究所に入れ。どうしても資格がないといけないから」
という神様のお言葉です。しかし、私は、
「ご免蒙ります」
 とお断りしました。この神様のお勧めを、再三再四、突っぱねていますと、神様から「それはなぜか」というお尋ねです。

「私が講習に行ってしまいますと、参って来る信者が困りますので、それが気がかりです。参って来る信者は、あなたにお願い申し、あなたに信心するために参っているのですが、あなたは、目に見ることができませんから、お取次ぎさせて頂いている私を、どうしても頼りにしています。その私が、講習のために、本部に六ヶ月も行って、留守することになりましたら、信者はたちまち困ってしまいます。

「信心が十分に分かっていない信者、参り始めて間のない信者をおいて、どうして安心して行けましょう。信者が気の毒です。お断りいたします」
と申し上げましたが、
「でも、今度はどうしても行かなければならないのだから、考えてみよ」というお言葉でした。そこで、よく考えましてから、
「私が出ましても、留守番の者に、私同様のおかげを下さいますなら、行かせてもらいましょう」
と申し上げますと、
「よし、代理、聞き届けた」
というお言葉を頂きましたので、まだ十分に信心が分かっていない家内と子供と書生に、
「私の留守中、お机の前に座りなさい。そして信者が何を言って来ても、思うままのことを言わせて頂いたらよろしい」
と言い聞かせて、

「代理の件、お聞き届け下さいまして、有難う存じます。信者が何を言って来ましても、思うままに答えよと、申しつけておきましたから 、どうぞよろしいようにお願い申します」
と神様に申し上げて、本部へ講習を受けに参りました。(明治四○年九月)。

 私の留守中、お取次ぎの〃お〃も分からない家内や、子供や、書生に、ご用が滞りなくつとまりましたのも、お取次ぎが、神の前立ち、 金光大神の手代わりで、神様というご主人に仕えるご奉公だからであります。

 ここで、話を本筋にもどします。私の布教資本が、お金五円にお米一斗五、六升と知リますと、ごく親しくしている信心友だらが鷲いて、
「気でも狂ったのと違うか」
と言って、心配してくれました。
「決して気は違っていない。私は正気です」
「いくら神様のご用といっても、ある程度の資金を持ってかかるのが当然だ。家族の生活費、家賃もいるではありませんか」
 その時の家賃は九円でした。友人はいろいろと忠告してくれました。

 お互いは、人のことについて、見抜き見とおしの目を持ってでもいるように、あの人は仕合わせ者だとか、不仕合わせ者だとか、勝手に決めてかかりますが、それはよそ目でそう見るだけのことであって、当人の心に立ち入って見ないと、本当のことは分からないものです。
 
私の場合もそうです。本人としては、堅く信ずるところがあって、のん気にかまえているのですが、友人にすれば、私がのん気にしていればいるほど、のん気にしておれないで、やっきになっていました。

「何にしても、狂気のさただ。無鉄砲なやり方だ。一文の収入の保証もないのに、一切の財産を投げ出してかかるなんていうことは、あまりに冒険だ」
と、非難するようにも言いました。それで、ある親友は、
「一年間の家賃をみよう」と言い、ある親友「一年間の米代をみよう」と言ってくれました。親友にすると、私の前途が案じられて、傍観しているわけにはいかなくなったからです。

 ご親切は有難いのですが、その厚意を受けたのでは、私のこころざしに反します。私の信念が、断固としてその厚意をはねのけました。
「失礼なことを言わないでほしい。もっと親切があると思っていたが、そんな親切しか持ち合わせていないのか。そんなに不親切だと分かったら、今日からは友人でも何でもない。むしろ、私のこころざしの邪魔立てをする敵(かたき)だと、言わなければならない。今日かぎり絶交する。二度と来ないでくれ」

 折角の友人の親切・厚意に対して、こんなに怒った言い方をしたのは、これぐらいに手厳しくはねつけないことには、なかなか手を退いてもらうことができなかったからであります。

「多少でも世話をさせてもらいたい、というだけのことなのに、そんなに怒らなくてもいいではないか。何が気にさわったのです?」
「その世話をしてくれるということが、こっちの邪魔立てになるのです」
「でも、これが黙って見ていられますか。長年の親友として」
「だから、絶交すると言うのです。絶交したら、もう友人ではない。他人事として放っておいてもらいたい」
「でもそんな無茶なこと……」
「何が無茶だ。今、あんたたちの厄介になるくらいなら、どうして、最初から、あるものを投げ出してかかるものですか。いらないから放 ってかかったのだ。私には、立派な親方がついていて下さって、ちゃんと親方が養って下さる。あんた方に心配をかけなくてもいいのです。

 いくら資本を持ってかかっても、親方に働いてもらえなかったら、どうなります。元も子も吹き飛んでしまうのではないか。私は、何一つ、資本は持たなくても、親方が働いて下さるから、何の心配もない」
こう言ったのですが、どうも私の言っていることが、十分にのみ込めないらしい。
 そこで講談の話ですが、武士と武士との一騎打ちの話を持ち出して説明することになりました。

 「昔は、晴れの一騎打ちということがあったそうだが、いざ一騎打ちとなると、やり合うのは、当人同士だけで、誰も手出しはできなかった。敵も、味方も、ただ鳴りをひそめ、かたずを飲んで、見ているだけだと聞いている。ぼくは、今、この一騎打ちの心境にあるのです。

 だから、助太刀はご無用。助太刀が入ったのでは、よしんば勝ったとしても、それは、ぼくの不名誉であり、恥辱だと思う。ぼくとすれば

、武運つたなく負けたとしても、体当たりして、やれるだけやった後にたおれたのであったら、思い残すことは何もない。

 もしも、ぼくが運悪く、中途でたおれるようなことがあったら、その時はじめて、手を出して、ぼくの死がいを拾って下さい。骨を拾ってくれること、これが、友人としてぼくのためにしてくれる唯一の役である。これだけ頼んでおきます。ぼくの頼みはこれだけだ。どうか、それまでは、ぼくの身辺にどんな異変が起こっても、じっと黙って見ていてほしいのです」

 これには、友人もほとほと愛想をつかしたのか、それからは、やかましく言わないようになりました。
私としましては、その最初は、どんな難儀に出あおうとも、私が親神様の前立ち、金光大神様の手代わりとしてお役に立つものでありさえ したら、必ず用いて頂ける、養って頂けるという堅固な自信がありました。それ故に、初めから、一切のものを投げ出してかかったのです。

 そういうことは、すでに商売していた時代に経験済みであり、生活の不安は、もう思わなくなっていたからです。

 本来ならば、無一文・無一物で、その第一歩を踏み出すのですが、そこは、家内が女のことでもあり、少しぐらいの小遣いを持たせておかないと、頼りなく思うであろうと考え、五円だけ持たせたのでありました。そのお米の一斗五、六升も、引っ越し手伝いの人たちに、大方食べてもらいました。そして、みながいろいろと配慮してくれるのを、私は「いらない、いらない」で通しましたが、それは「神様に奉公」と言ってみても、他の人には、なかなかその心持ちが分かってもらえなかったからです。                          
(この「我が信心の歩み」は、2009年8月に掲載されたものです)
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