「我が信心の歩み」 (連載第51回)


[五十二]  すべてに不自由のおかげ(一)


 さて、教会を持たせてもらって、いよいよ、お結界に座らせて頂くようになりますと、それからの私の気持ちは、どうであったかと言いますと、腹背に敵を受けた形で働くのですから、油断やすきがあってはならないという気持ちで一杯でした。私には、このような思いが張りつめていました。このように言いますと、腹背に敵という形容が、あまりに誇張した言い方だと思われるかもしれません。

 仮そめにも、『神の前立ち、金光大神の手代わり』として、お取次ぎのご用をさせて頂く者が、どうしてそんなに殺伐とした気分になるのか、変に思われるかもしれませんが、もしも私のすることで、少しでも、だめなところがありましたらどうでしょう。真正面から、神様にすかっとやられるのは無論のことです。少しでもすきがあれば、信者から「あの先生これこれだ」と、後ろ指をさされるにきまっています。前にすきがあれば神様から、後ろにすきがあれば信者から、どちらを向いても、小突き回されなければならないのですから、前にも後ろにも一分の油断なく、目をくばらなければなりません。私が〃腹背に敵を受けた思い〃と言いますのは、このことを言うのです。

 そんなわけで、私は、ごく親しい信心友だちの、茨木かめさん、山崎由三郎さんの二人に、私のお目付け役になってもらい
「私の教え方によく気をつけて、少しでも間違いがあったら、遠慮なくびしびし忠告し、その間違いを正してもらいたい。私の一挙手一投足について監視をおこたらず、だめなところは、容赦なくしかりつけてほしい」と頼みました。

 それはなぜかと言いますと、昨日まで、前垂れ掛けで商売していたものが、今日からは、袴(はかま)をはいて、お取次ぎの先生になったのですから、そこまで念を人れて、注意してやっていかないと、とてもご用がつとまらないと思ったからです。

 私としましては〃奉公〃であるという点においては、前垂れ掛けの商人であった時も、袴をはく先生にならせてもらってからでも、何の変わりがあるわけでなく、商人から先生へというのは、割り当てられた持ち役が替わったのに過ぎないのですが、役が替われば、同じ奉公にしても、今までの奉公とは、いろいろと勝手が違います。それで監視者をおいて、先生らしい先生としてのご奉公、取次者らしい取次者としてのご奉公の万全を期させて頂いた次第です。

 一例を話してみます。――お目付役の目は、いつも私の身辺に、注がれていました。私はその人たちから
「先生、あなたが信者さんに言われる〃さようなら〃はいけません」と注意を受けました。
「どういけないのか」

「あんまり情が深すぎていけません」。私は、何もことさらに意味があって言っているのではなく、口をついて出るままに、自然に言っているつもりですが、情が深すぎていけないという苦情が持ち出されました。

「では、どんな調子で言ったらよいのか」
「何ともない〃さようなら〃です」
「何ともない〃さようなら〃って、私は、何ともなく言っているのだがなあ」と、これには私も閉口しました。

 「では稽古してみよう。〃さようなら〃これでどうです」「いけません。あんまりよすぎていけません」。よすぎて落第です。「では、どんな具合いに」「先生の〃さようなら〃は、あんまりよすぎるので、先生に〃さようなら〃を言ってもらえたら、信者は喜びますが、言ってもらえないと、信者は家へ帰ってから、先生に〃さようなら〃を言ってもらえなかったといって、悲観することになる」

 「ほう、それは困ったことだ。お取次ぎの最中とか、お話の途中であったりすると〃さようなら〃を言いたくても、言えない時がある。それを〃さようなら〃を言ってもらえなかったと言って、気にされるようでは困るなあ」

「それで、注意しているのです」
「どうも難儀な〃さようなら〃だ。気をつけて言ってみよう。〃さようなら〃これでどうだ」

「それでよろしい」

「さようなら。さようなら」

「その調子で結構です」。まるで、初日を明日にひかえての、役者の舞台稽古みたいでした。

 その日はそれで合格しましたが、あくる日になると、まただめが出ました。
「先生、また〃さようなら〃がいけません」
「昨夜、あの調子でよかったのではないか」
「でも、今日はまたいけません」
「仕方がない。では、また稽古をしよう」
晩に〃さようなら〃の稽古をしますと「それでよろしい」と及第点をつけてくれますが、翌日になると、また落第です。〃さようなら〃の言い方に、大分苦労させられました。

 そこで私は、いろいろと考えましたが、それは、稽古で言ってみるのと、実際に人を相手して言うのと違ってくることが分かりましたので、それからは、つとめて、信者の顔を見ないで、はすかいに向いて〃さようなら〃を言うことにしようと決めました。それでどうやら、お目付け役の満足してくれる〃さようなら〃になり、おさまりがつきました。

 これはばかげたような話ですが、私のお目付け役が、私の意のあるところをくんで、どんなに、私の身辺に細心の注意を払ってくれていたか、その熱心さの一瑞を示すものとして話してみた次第です。

 このように、私は、一方でお目付け役によって、私のお取次振りの万全を期すると同時に、他方では、私は心ひそかに、ある誓いをたてました。それは、何事によらず、すべてに不自由をさせて頂く修行をさせてもらおうということです。

 「私は、生まれつき、とても物事に辛抱できない人間だから、これからは、一切万事不自由させて頂くという行き方で、修行させて頂こうと思うから、あんたも、その分に承知してもらいたい」。

 私は、家内にこのように話して、納得してもらいますと、米や衣類はいうまでもなく、お金を出して買う物といったら、しょう油ぐらいのものにとどめ、不自由がおかげという信心に精進させて頂くことになりました。

 「今日は、三つ不自由させて頂くことができました。有難う存じます」

 「今日は、四つ不自由のおかげを受けさせて頂きました。有難うございます」。〃不自由を石のしとねとする〃とでも言いましょうか、それを信心の修行として楽しませて頂きました。

 ある時のことでした。婦人の信者さんたちが集まって、「一つ婦人会をつくって、会員からいくらかの会費を徴集して、そのお金で、神様のお道具をこしらえよう」という相談がまとまりました。その当時の神様のお道具といったら、ほんのあり合わせの粗末なものでした。しかし、不自由を修行とさせて頂いていたのですから、その修行の邪魔をしてくれては困ると思いました。婦人の信者さんの間で、誰いうとなく、婦人会をつくって、お道具をそろえようという話が出てきたというのも、無理からぬことでした。しかし、私が知らないうちなら、どうにも止めようがありませんが、そういう気配の動いていることを、私が知ってしまったものですから、何でも不自由をさせて頂こう、という方針をとっている私としましては、それを、そのまま黙って見過ごすわけにはゆきません。
さっそく、その発起人格と思われる人を呼んで、その不心得をさとしました。

「聞くところによると、婦人会をつくり、会員からお金を集めて、神様のお道具を新調するそうだが、それは本当か」

「はい」

「そんなことをしてもらっては困る。はっきり言っておくが、一体、何のために、そんなことをするのだ」

「こしらえさせて頂くのは、神様のお道具でございます。今のお道具では、あんまりお粗末過ぎますので」

「やめといてもらいましよう。あんた方、どんな神様に信心しているのです。あんた方の力で、お道具をこしらえてもらわないと、お道具にありつけないような、そんな頼りない神様をあんた方は信心しているのか。私はそれが聞きたい」

「いや、それは分かっておりますが、よその教会を見ますと、みんなこのようになっておりますので……」

「よそはよそ、うちはうちだ。何も、よそがそのようにやっているからといって、うちまでが、それをまねる必要はない。私の信心させて頂いている神様は、婦人会をつくって、それにお道具を買ってもらわないと、お道具が調わないような安っぽい神様とは違う。もし神様が、そんな頼りない神様だとしたら、そんな神様は、いくら大げさに持ち上げられても、底の知れた張りぼて神様だ。神様のお道具は、神様がそのご入り用に応じて、神様ご自身が勝手にこしらえなさる。その辺のあんた方の心遣いは、絶対無用に願いたい」

「でも、できませんでしたら?」

「できる。時を待つのだ。時がくれば必ずできます。あんた方は、そんな心配しなくてよろしい」

「そんなことおっしゃるけど、いつまでも放っておけません」

「かまわん。三年が五年でも、私は、神様がおつくりになるまで、その時を待ちます。あんた方は、あんた方自身のおかげを受けてもらいたい」

 これは、私が不自由をおかげと喜ばせて頂いていた頃、神様のお道具を調えようという話から、婦人会をつくろうと言い出した人たちと、問答したお話であります。

 神様のお道具の話をしましたので、ついでに説教台の話をします。教会を持って、布教を始めたと言いますと、えらく景気がよいように聞こえますが、所は、土佐堀裏町の手侠な小さい家で、家賃は九円、日が暮れますと、八つ波のご紋のついたガス灯が、淡い光を道行く人に投げかけている、ささやかな教会のことです。現在の教会と比べましたら、その当時のことをご存知ない方には、とても想像できないことです。

 商売をやめて、教会を持たせてもらった時、商売道具は、すべて後をやってくれる人に譲り渡し、世帯道具として持ち出した家財といったら、随分時代のさびがついた小袖(こそで)たんす一つに、子供の着物入れのしいたけ箱、それに瀬戸物の火鉢一つ、チンカラリンといわれる鉄のかまどに、なベ・かま・バケツぐらいに過ぎません。お広前といいましても、お結界には、一閑張りの机と、その前に、七十五銭を出して買って来たささやかな衝立(ついたて)、教場には、瀬戸物の安火鉢が一つ置いてあるだけです。

 いざ説教といいましても、これが説教台だといって、人前に持ち出せるような説教台のあろうはずがありません。

「先生、説教があるのに説教台がありませんが、どうしましよう。いずれなくてはならんものですから、買って来ましょうか」

「いや待った。私は不自由させて頂く」

「先生、そんなことおっしゃっても、ぜひまた要るものですから」

「その心配ならしなくてもよろしい。ぜひ要るものなら、私たちが気を使わなくても、そのうちに、神様が何とかして下さる。私は、万事に不自由させて頂くのだ。騒ぐことはない。神様がお与え下さるまで、不自由させて頂く」

「でも、説教台がなくては、お説教ができませんが……」

「何とかなるだろう。何も説教台が説教するのではないから」

 こんな問答の末に、あり合わせの木箱を二つ重ね、これにまた、あり合わせの白布をかぶせて、あり合わせの寄せ集めで、みごとに臨時の説教台を作らせてもらいました。

 これで説教台はできましたが、次は椅子です。
「買って来ましょうか」

「買って来てもいいが、置き場がないのでやめておこう」

ちょうどその時、傍でこのやりとりを聞いていたお向かいの信者さんが

「先生、およろしかったら、お貸ししましょうか」と言いますので、

「それは有難う。お借りすることにしましょう」

「では、持ってまいります」
「しかし、すんだら、帰りがけに持って帰って下さいよ」
 
 貸してもらって、しかも帰りがけに持って帰ってくれと言うのですから、あつかましい物の借りようです。

「持って帰ってくれとおっしゃるなら、持って帰りますが…」

「そりや有難い。そんなら借用させてもらいましょう。すんでから置いて
おかれると、置き場所に困るのでなあ」。

こんな次第で椅子も調い、滞りなく説教をすませましたが、当時は、万事この調子で、不自由させて頂くということが、私にとっては、何よりも有難いことでした         
(この「我が信心の歩み」は、2009年9月に掲載されたものです)
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