「我が信心の歩み」 (連載第52回)


[五十三]  すべてに不自由のおかげ(二)


 こうお話をしますと、私が不自由させて頂いたものは、物質的なものだけに限られているかのように聞こえましょうが、私が、させて頂こうと心に決めた不自由は、そんな範囲の狭いものではありませんでした。その一例をあげますと、言いたいことでも、言わないで不自由をさせて頂き、それをおかげにして頂くということにしていました。

 言いたいことを、言いたいままに言うのでしたら、それは自由気ままです。ですから、それを不自由させて頂いたのです。眠たい時、楽をしたい時、いろいろな事に直面しては「不自由させて頂こう」と、不自由させて頂きました。それで「今日は三つ」「今日は五つ」と、数多く不自由をさせて頂くことを楽しみに、指折り数えておりましたが、日によりますと「今日は何一つ不自由することがなかった」というような日が、あるようになってきました。

 こうして五年たちますと、どこを探しても、不自由の影が見つからないようになり、どう考えましても、もう不自由することがなくなってしまいました。「これは困ったことになったぞ」と思い、それとなく、そのことを家内に話してみますと、家内もまた「不自由するものは何もありません」と言います。それで、私は「そんなこと言わずに、何か、不自由することはないか、探してもらいたい。なくなってしまったら、寂しくて困るから」と、家内に宝探しでも頼むように、不自由することを見つけ出してほしいと頼んだくらいです。

 「もう、不自由することはなくなってしまったのかなあ、これは困ったことだ」と言っておりますと、ある日、家内が「先生、それがおかげと違いますか」と言いますので「ははん、なるほど、これがおかげと言うのだろう」と、家内に言われてから、「これがおかげ」と気づかせて頂きました 不自由から生まれた自由と言いますか、それからというものは、何にも不自由することがなくなるというおかげを蒙りました。

 世間を見渡しますと、自由を欲して、しかも不自由している人が多いようで、どうもその結果が、反対になっているように思われます。

 ずっと前に、新聞に出ていた話ですが、ある奥さんが、毎月化粧料を二千円もらっていたそうです。ある日、どこかへ出かけなければならない時に、衣装だんすの前で「私はふだん着ばかりでよそいきがない」と言って、しくしく泣いていたということですが、それは常平生良いものばかり着ていますから、いざ、よそいきとなっても、それ以上の装いができないのです。それで、その家を飛び出すようなことにもなるのです。お金をあまり自由に使った人は、その結果は、お金に不自由して困ることになります。

 自由自由と、あまり自由を食い物にした人の成れの果てはどうでしょう。赤れんがの中に入れられ、表からかぎをかけられて、自由を奪われてしまいます。

 私は性分があまのじゃくで、何でも逆々が、したくてなりませんでした 是が非でも、今日しなくてはならないことでも、何とかもっともらしい理屈をつけて、明日に延ばしたくなります。してはならないと言われますと 何となく興味をそそられて、こっそりやってみたくなります。食べられる物は食べたくなくて、食べられない物が食べたくなります。着られる物は着たくなくて、着られない物が着たくなります。人が山へ行こうと言いますと、私は海へ行きたいと言います。人が東と言えば、私は西と言いたくなります。何にでも向きを逆々にとるのですから、あまのじゃくに違いありません。

 私は、私のこの性分を直すのに、随分骨折りました。もし、この性分をそのまま放っておいたら、ああもしたい、こうもしたいと、欲得で自分を苦しめるだけでありましょう。それで〃万事に不自由を〃ということを 私の信心の一つのモットーとして、そのおかげを蒙ることにしたのです。

 それで、その次は、何でも有難く頂かしてもらう稽古を積んでゆきました。

 もしも着物に対して、こんな着物が着られるものかという不足があったら、そんな着物は着ないことです。着るのをやめるとよいのです。身体が気に入らないと不足を言うのなら、裸にしてやることです。暑い時では、効果はすぐ現れませんが、寒い時でしたら、半時間もたたないうちに、悲鳴をあげて、「何でも構わない。着せてほしい」と言うでしょう。一ぺん、自分の身体をこらしめてやるとよろしい。

 その点、私は誰よりも一番結構なものを着ています。どうも世間の人は、ろくなものしか着ていません。気に入らないもの、不足なものばかりを着ているようです。お互いは、何を食ベても結構、何を着ても結構、自分は仕合わせ者というところまでゆかなければなりません。

 以前にも、袷(あわせ)を三年着ました。「先生、もうほどきます」「いや、このまましまっておいてもらいたい」「どうなさるのです?」「ちょっとつもりがある」。そのまましまっておいて、また春に着ました。「もういけません」「まだほどいてはいかん」「みっともないことは?」「着なかったらみっともない。着ていたらみっともないことはない」。袷といったら、年に二度、しかも、二十日か二十五日着たらすむものです。そういって、また六年着まして、その上でご苦労さんとお礼を言って、暇をやりました。

 着物も、この世へ働きに来たのです。中途半端で暇をやったら、かわいそうです。値打ちのあるだけ働いて帰ってもらわないと気の毒です。その時、袷が、「あなたのように使ってもらったら、私は満足です。私の親類には、羽二重や、お召や、紬(つむぎ)がおります。同じ働くのでしたら、あなたのところへ行って働けと言っておきます」と、非常に喜んで帰りましたが、どうやら帰って報告したらしい。それから後、私の手元には羽二重の五反や七反は、いつもあります。

 「あんな家に行ったらいけない。昼は着通した上に、夜は投げ捨てるようにぬぎっ放し、こき使いに使いたおす。あんな思いやりのない人はない」と、着物に言われるようになったら、そのさき、どうなりましよう。

 昔、私の隣に、主人が株屋へ行っている夫婦が住んでいました。主人は、三時すぎに帰って来ます。入浴をすまして、奥さんが三味線をひき、主人が歌うといった大変仲の良い夫婦でした。

 三年目に「米屋が米を持って来てくれません。しばらく貸して下さいませんか」と言っで来ました。それからだんだんに親しくなりました。最初の間は、その奥さんは「お米が一斗買えるようになったら、何にも思うことはありません」と言っていました。

 それがかなうようになりましたら、当時流行の「米沢(織物の一種)が買えたら、何にも思うことはない」と言い出しました。米沢が買えました  すると、次は紋付きです。それもできました。

 ところが次は「せめてのこと、月に一ぺん、芝居を見に行けるようになったら」と言うのです。芝居に行けるようになりますと、「ぜいたくは言わない。せめて三匁の金の指輪が欲しい。でないと、人前で手も出せない」と言い、指輪もするようになりました。

 こうなりますと「ヒスイのかんざしでもしないと表へ出られない」と言って、ヒスイのかんざしもさすようになり、大分金々満々してきました。

 ところが、ちょうどその頃になって、「腹が立って腹が立ってなりません」と泣いて来ました。「主人は、私をばかにしている。よそに女をつくって、その方にばかり行っています。もう何もいらない。私の主人が、おとなしくじっとしていてくれさえしたら、何にも思うことはない」と言っておりましたが、とうとう、夫婦別れするようなことになりました。

 「よく見ておきなさい。あれが人間の相場だ。分を知らなかったら、みなあれです」。このように家内に話したことですが、私は、隣に住んでいたおかげで、足ることを知らなかったら、人間はどうなるかということを教えて頂きました。

 金光様は『信心するものは傘(かさ)を放すな』と言われております。傘をさすと、上が見られません。上を見るなということです。一切のものは下から出ます。下を向いて世渡りしてゆけば、つまずくことはありません。お互いの目のつけどころが大事です。上ばかり見て、頭の上に目があるようでしたら、あの〃大阪の蛙(かえる)京都の蛙〃の話に出てくる蛙くんを笑うことはできません。

 天地のありとあらゆるものは、その元は、みんな神様が昼夜兼行でお働き下されて、お造り下された容易ならないものです。お互いの神様へのお礼は、このお恵みに対して申すのですから、むだ遣いのお粗末をしては、そのお礼はうそになります。お互いでも、骨折ってこしらえたものを、子供がめちゃくちゃにしたら、そんなことをする子供に、もう何もやらんと言いましよう。恵まれなくなるのは、当たり前のことであります。                                  
(この「我が信心の歩み」は、2009年9月に掲載されたものです)
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