「我が信心の歩み」 (連載第59回)


[五十九]  教会造作費の支払い(2)


 以前も、子供がわるいといって、泣いている奥さんがありました。
「泣いたらいけない」
「泣いたら、子供が死ぬのですか」
「あんたに、どうでもこうでも、死なさんという腰がすわっていたら、おかげは頂けるが、〃どうか知らん〃〃死ぬんじゃなかろうか〃というようでは、おかげは頂けない。〃どうでもおかげ頂いてみせる〃という心であってこそ助かるのだ」
「本当に助かりますか」
「死なさんという、その心に、おかげがあるのだ」
と言ったことがありましたが、この一心の祈りが、おかげを頂くもとなのです。
御教えの中に、随所で〃一心〃〃一心〃と仰せられています。たとえば、『神がおかげをくれると思うな。己が一心がもみ出すと思え』『今月今日で、一心に頼め、おかげ和賀心にあり』『迷い信心ではいかぬ。一心と定めい』『神に一心とは迷いのないことぞ』などとありますが、この一心の稽古ができましたら、世渡りの上に心配も不自由もなくなります

 お互いは、とかく理屈がまじり愚痴が出るものですから、心配になり、不自由になってくるのです。金が必要な時に、財産家が請け合ってくれたら、安心しますが、いくら「よろしい。明日の何時までに持ってきてやる」と言ってくれても、それが乞食では安心できないのは、なぜでしょうか。それは、相手が信用できないからです。お互いは、天地の親様を信心させて頂いているのです。そして、お互いがこの神様を信用できないとなりましたら、それは、日本銀行に金があるかしらんと疑うようなものです。
 昔、宗派宗派でいろいろな〃行〃があり、〃座っての行〃〃立っての行〃などとある中に、〃肝(きも)いりの行〃というのがあったそうです。これは、色々の行がすんで、最後に橋を渡るのですが、その橋の下は、何十丈とも知れない深い谷であって、橋板の幅は五寸ほどで、四歩、五歩と進みますと、板がゆらゆらとゆれ動くうえに、下をのぞこうものなら、はるか谷底に川の流れが一筋の絹糸を引いたように見える、――それでもう、一度に身の毛がよだち、立ちすくんでしまい、めったに渡りきる者がありません。それで、渡ることのできない連中が、橋ぎわの家に泊り込んでいます。中には、十年がかりで、まだ渡れない人もあるといった有様です。
 ある日のことです。一人の若い坊さんがやって来まして、すたすたと渡ったばかりでなく、また平気で渡り返したのです。それには、みんなびっくりして、「どうして、あの橋がそんなに平気で渡れるのか」
と尋ねました。
「あなた方は、あの橋が渡れないのですか」
「ええ、どうしても渡れないのです」
「では、これを渡ってごらん」
と言って、畳の上に自分の帯を解いて、すっとのばしました。
「これなら渡れます」
「これが渡れて、どうしてあの橋が渡れないのです。この帯の幅は二寸余り、これが渡れて、幅五寸もある橋が渡れないはずがありません」
「でも、怖くて」
「それは不思議だ。私の足は幅が二寸八分ですから、五寸なら二寸二分残っている。真ん中を歩いても、両方が一寸一分ずつ余る。それが、どうして渡れないのですか」
「それが、われわれにはどうしても……。一歩、二歩はよろしいが、三歩、四歩となりますと、身体にがたがた震えがきまして、とても渡れません。どうして、あなたはあんなに楽々と…………」
「どうしてって、この足で渡るのです」
「いや、われわれの聞きたいのは、渡る時のあなたの気持ちです」
「それですか。それなら、仏様に一心にお頼り申して、と言うよりほかありません」
「でも、万が一にも落ちたら、どうします?」
「絶対に落ちません」
「それでも、もし落ちたら?」
「その時には、仏様が途中で受けとめて下さいます」
「もし受けとめて下さらなかったら?」
「仏様と一緒に心中するまでです」
 と答えたそうですが、神様に祈りますには、この気持ち、この信念がなくてはなりません。
 神様にお頼り申して渡るのです。落ちるはずがありません。もし落ちたら、途中で、神様が受けとめて下さいます。受けとめて下さらなかったら、神様と心中します。――ここまで信じ込んだら、世渡りに何の心配もいりません。
 お互いは、そこまで神様を信じないで、自分の勝手勘定というソロバンで、世渡りしようとしますから、心配、窮屈になってくるのです。試みに、ソロバンをふせて、その上に乗ってごらんなさい。ずるずると滑って、尻もちをつくのが落ちです。
 古い句に〃とび込んだ力で浮かぶ蛙かな〃とありますが、目をつぶって飛び込むことです。
〃身を拾ててこそ浮かぶ瀬もあれ〃とも申します。――神様にお頼りしたら、何んだかんだと考えないことです。迷わず一心にお願い申して、〃ままよ〃と持っていくのです。『神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心をださねばおかげは受けられぬ。ままよとは死んでもままよのことぞ』とありますが、ここまでいってこそ、本当の信心であります。
              
(この「我が信心の歩み」は、2010年6月に掲載されたものです)
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