「我が信心の歩み」 (連載第65回)


[六十五]  わがお取次の精神(4)


 話があとになりましたが、私が教会を持たせて頂いてから半年ぐらいたつうちに、おいおいお参りする信者さんの数も増えてきました。ところが、私にとっては、まったく意外なことでしたが、その頃から、私に対するいろいろの非難が出始めました。

 どんな非難かというと、私がよその教会の信者をとったと言うのです。しかも、卑劣な方法を使って、よその教会の信者を引き寄せたと言うのです。〃とった〃とか〃卑劣だ〃と言われても、私はただ、神様がお引き寄せになる氏子に対して、金光大神様のお手代わりとして応対させて頂くことに専心しているだけです。とろうなどと、思ってみた覚えもなければ、そんなことを思ってみる暇もなかった。商売をしている場合なら、得意先を〃とった〃〃とられた〃というようなこともあるかもしれませんが、この道のご用をさせて頂く上に、そんなことがあり得るのか。まして、そんな非難を浴びせられようなどとは、夢にも思わなかっただけに、驚きも大きかったが、これほど不快なことはありませんでした。

  本来、私は布教の当初から、新しい信者の新規開拓を願いとしているので、どこかの教会で信心を続けているような人は、私の方に参って来てもらわなくてもよいのです。しかし、そうとばかりは言えない場合もあります。

  というのは、私は商売をしていた時代に、多くの人々を信心にお手引きして、それぞれ、どこかの教会にお参りするように勧めてきました。商売の途中、この人たちに出会って、信心の相談を受けることもありました。その後、私が教会を持つ時に、それらの人々に対して「今度、教会を持ったからお参りしなさい」と言って、開店披露のような案内状を出したわけでもないのに、伝え聞いて私の方に参って来る人々もありました。
 また、ほかの教会の信者といっても、もう信心が足ぶみ状態でおかげも頂けず、そこの教会にお参りすることも、敷居が高くなってしまっているというような人が、また思いを新たに、新規まき直しに道を求める気持ちで、当方へ参って来るというような場合もあります。

 非難されていることが分かってからは、私は、そういう人たちにも、今までお参りしていた教会に、お参りするように勧めることにしました。しかし、私は情にもろいのか「どうぞ教えて下さい」「何とか助けて下さい」というように泣きついてこられ、私の前に三日も五日も座り込まれると、それをすげなく断ることができません。そこで、その人の身の上や実情を聞いてあげることになり、聞けば、いろいろと教えてあげたくなり、願ってあげずにはいられなくなります。

 そうするうちにも、私に対する非難はますます高まり、周囲からかさにかかって、つるし上げにされるという形です。
 ちょうど、暴力の徒のために、「おれのなわ張りを侵したではないか」と言い掛かりをつけられ、おどかされているのと同じです。相手が暴力の徒であれば、むしろ驚くこともなかったかもしれませんが、決して暴力の徒ではない、平素は君子(くんし)のように行いすまして、人からも尊敬を受けている人々です。

 私が「神様の前立ち、金光大神様の手代り」のご用に、勢い込んでとび込んだ場所は、そういうみにくい、不愉快な空気が入りくんでいるという場所であったことを知って、ひどく失望いたしました。
 御教えに『人が盗人じゃというても、こじき(乞食)じゃというても、腹をたててはならぬ盗人をしておらねばよし。こじき(乞食)じゃというても、もらいに行かねばこじき(乞食)ではなし。神がよく見ておる。シッカリ信心の帯をせよ』とも仰せられていますので、周囲からいかに憎しみや悪評を受けようが、私の正しさは、神様がご承知下さっている、それだけで充分ではないか、とも思い、わが心を勇気づけ、できるだけ辛抱を続けました。

   しかし、私が「こうした」「ああした」と、全く身に覚えのないうわさを立てられては、布教の妨げにもなり、信者に疑問を感じさせ、その純枠な信心を傷つけるようなことにもなってきます。これは私にとって、耐えられぬことでした。むしろ、私が一信者であった時代の方が、自由自在に、誰にでも信心を勧め、相談相手にもなり、助言もして上げられたものを、今では道の教師であるがために、がんじがらめの拘束を受けなければならないのです。私は、ひと思いに教師を辞めて、もとの一信者にもどろうと決心しまして、まずご本部へお参りしました。

 私の決意を金光様に申し上げたのでは、一言のもとに、お引き留めになることが予想されたし、かえってご心配をおかけすることになると思って、よう申し上げませんでした。そこで教祖様の奥城の前にひれ伏して、私の胸中を申し上げました。そして「今日かぎり、お役をご免蒙ります」と申しました。教祖様も、教師を辞めてよろしいとは仰せにならないので、いろいろ押し問答を重ねましたが、結局、教祖様は「お前さんは、〃よその信者〃〃よその信者〃と言うが、よその信者とは、どこの信者か…金光教の教会は、どこでも金光大神の教会、信者は金光大神の信者である。〃うちの〃〃よその〃の区別はない。すべて同じ神様の氏子である。迷っておる者は、どしどし教えてやってくれ。…道におる者は道をけがす、道におらない者は道をけがさない。…・気にかけず、どしどし教えてやってくれ」と、およそ、このような仰せで、それはきびしい調子のおしかりでもあり、はげましでもありました。私はもうこれ以上、教祖様にさからうことはできず、「それでは、やらして頂きます」とお答えして帰って来ました。

 その後、私は一層の勇気を得て、周囲からの非難に耐え、お取次ぎのご用に励みました。信者は、すべて金光大神様の信者、自他の区別をしてはいけないというのが、私の信条の一つになったのですが、それでも、ほかの教会へ参ってお取次ぎを頂いている人が、当方へ参って来た場合には、「どこの教会も金光大神様のお広前であるから、今までお参りしていた教会で、必ずおかげが頂ける。あちらこちらと、うわついた信心では本当のおかげは頂けない。従来お参りして来た教会へお参りしなさい」とさとし、また、どうしても当方へお参りして来る信者に対しては、「もとの教会の先生に、当方にお参りするということを、了解を受けてお参りしなさい。また、その先生から受けた恩を、いつまでも忘れないようにしなさい」と言って、戒めております。

 仮に、もしも、私が信者をとられたというようなことがあれば、私は、まず自分の足もと手もとを調べます。その信者に対する私の応対の仕方に、間違いがなかったかどうかを反省します。しかし、自分に徳と力がなかったら、どんなに信者をつなぎ止めておこうと骨折っても、信者の方から離れていきます。逃してなるものかと、追い回しでもすればするほど、遠くへ逃げて行ってしまいます。信者の足の向かうがままに、任せておくほかはありますまい。私としてできることは、去って行った信者の〃行く末安心のおかげ〃を折るだけです。

 しかし、考えてみれば、よその教会へお参りしていた人が、当方へお参りして来るばかりでなく、以前に当方へお参りしていた人が、何かの都合で、よその教会へお参リしている例も多いと思います。よその宗派・教派へ行ってしまったのではなし、同じ金光大神様のお広前へ参っていてくれることで、私は安心もし、喜ばしてもらっておリます。

 実際は、もっとたくさんの人々が信心をやめ、またほかの宗派・教派に移っていると思うのです。信者が、ほかの宗教へ去ってしまったのでなく、金光教の信心にとどまって、ほかの教会へ参っているから、「信者をとった」などと、抗議をしに行けるのですが、ほかの宗教へ去ってしまったのだったら、そんな苦情を言って行けますか。そんなことを言いに行ったら、世間の物笑いです。それが、よその教会と言っても、同じ金光教内の教会で信心を続けているとしたら、神様にも申し訳がたちます。
 狭い教内で〃とった〃〃とられた〃と内輪もめしていては、それこそ神様に申し訳がたちません。折角、「難儀な氏子をお引き寄せ下さいまして、信心させて頂きますよう……」とお願いして、そして神様がお引き寄せ下さった氏子たちを、こちらの不徳・不行き届きのために、信心をやめたり、よその宗教へ行かれてしまうことに対して、どんなに神様にお詑び申し上げなければならないか、また自分を反省させて頂かなければならないかに気づかなければなりません。

 しかし、私はまた、お詑び申し上げているばかりではなく、信者が五人減ったら十人の信者を、十人減ったら二十人の信者を〃お引き寄せ下きますよう〃と言って、お願いをしております。どこまでも明るい元気な心で、お取次ぎのご用を進めたいものです。          
(この「我が信心の歩み」は、2010年12月に掲載されたものです)
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