「我が信心の歩み」 (連載第67回)


[六十七]  人と場合に応じて(2)


  (5)  神様を水先案内に
「あんた方は、よく信心ができましょうなあ」
「いいえ、どうもできませんので、まことにお恥ずかしゅうございます」
「そうですか。船乗りさんは、昔から、よく信仰するように聞いていますが…」
「昔は、船乗り家業する者は、板子一枚下が地獄だというので、みな、よく信仰をしていましたが、近ごろでは、船が変わって、大きな鉄 の船になりましたので、どうも信心ができません」
「そうですか。それでは、航海中に濃霧がかかったら、どうします?」
「濃霧がかかったら、その時は停船します」
「停船してどうします?」
「笛を吹きます。鐘をたたきます」
「どうしてそんなことをするのです?」
「そうしませんと、他の船が来て、衝突するからです」
「でも、そんなことをしていないで、船を進ませたらどうです?」
「そんな危険なことはできません。濃霧がかかりましたら、一間先も見えないようになります。そんな時に、船を進ませようものなら、他の船に衝突するか、暗礁に乗り上げるか、分かったものではありません」
「どうしても船は進められませんか」
「できません。先が見えませんから…」

「ところで、人の世の世渡りだが、航海にたとえられないでしょうか。人生の航海は、生活苦だ、生活難だといって、一間先はおろか、一 寸先が真っ暗だ。まことに危険なものです。お互いも、停船するよりほかはないことになる。だが、この世渡りという船は、停船しようも のなら、たちまち鼻の下が干あがってしまうので、始末におえません。船の濃霧は晴れる時もあるが、お互いの濃霧は晴れっこなしだ。いつまでも停船していなくちゃならんこともある。それでは食べてゆけません。どうしたらよろしいか」

「さあ、それは…」
「その時は、先の見える水先案内をやとうのですなあ」
「先の見える水先案内とおっしゃいますと…」
「そうです。それは神様です。神様に導いて頂くよりほかに、道がありません」
 これは、私と備後丸の船長さんとの話し合いでありました。


 (6)   舌先三寸の刃物で

 せんだっても、禅を二十八年やったという人が参って来ました。よく調べています。一時間半ほど、とうとうと、禅の話をしました。言 うだけのことを言わないと、舌が休みそうでなく、こちらの言うことを聞いてくれそうもないので、私は黙って、その人の言うことを聞いておりました。やっと話がすみました。

「あんたの奥さん、極度のヒステリーと違いますか」
「そうなんです。どうしてそんなことが分かりましたか」
「あんたがあんまり偉くなり過ぎたので、奥さんは寂しい思いをされている。あんたはもう少し腰をかがめて、手を引いてあげなさい。そうしないと、奥さんがかわいそうです」

その人は立派な人で、禅は専門家はだしですが、奥さんは助かっていない。それで、商売はクリー二ング屋をしていると言うので、「あな たのやり方では、執達吏(裁判所の執行官)と仲良しになりますなあ」

「それはそうですが、どうしてそんなことが分かります?」
「あんたは、禅の本箱みたいな人だ。本箱なら、食事もしないし、着物も着ないですむが、あんたという本箱は、食事もしなければならないし、着物も着なければならない。それだけ足りなくなるのは当然です」
「それはそうですね。しかし、執達吏の方は解決がつきました」
「でも、借金の方はまだ払わないで、そのままでしょう。借金を払わないということは罪悪です」
「罪悪ですって。罪悪とはひどいですなあ」

「いや、私から言うと、白いピカッと光る刃物を出して、金を借りるのを強盗といい、舌という赤い三寸の刃物を振るって、お金を借りる のを普通、貸借といい、それは、呼び方が変わるだけのことだ。払わなかったら、強盗と五十歩百歩で、同じようなものです」
 と話させて頂きました。

  (7)    大阪中が得意先

「先生、八百屋をさせて頂こうと思っていますが、お得意が一軒もございませんので、どうぞお願いします」
と、ある時、こんなお願いを受けたことがあります。
「一体、どこの山奥で八百屋をするのです?」
「先生、山奥ではありません。この大阪です。何々町でさせて頂こうと思っております」
「何だ、この大阪で商売するのか。あんたが、お得意が一軒もないと言うから、私は、どこの山の頂上で商売するのかしらんと思った」
「…………」
「この大阪で商売するのなら、何も心配することはない。この大阪中の人は、みんなあんたの得意先じゃないか。何百何十万という人が、みな得意先です」
「…………」
「しかし、それは一生懸命に働いて、勉強する者の得意先です。どこの得意先、かしこの得意先ということはない」
 と言わせてもらいましたが、すベて思い方と働き方でおかげに、なります。

  (8)  願う資格がない

 この間も、ある奥さんが泣いて参って来ました。夫が急性肺炎だといって悲観しています。
「先生、治りますか」
「それはおかげ蒙った。あんたの願いどおりになった。今度はためだ」
「先生、死ぬのですか」
「そうだ。夫の不足ばかり言っているから、今度はお引き取りになる」
と言いますと、ウワーッと泣き出しました。
「おや、あんた、夫が要るのか」
「要りますとも」
「それなら、なぜ日頃、夫の不足ばかりを言っていたのだ?」
「あれはうそです」
「ごまかしてもだめだ。今さら、うそとは言わさん」
またウワーッと泣き出しました。
「先生、どうぞ助けて下さい」
「では、あんたはお願いしてはいけない。あんたがお願いしたら、死ぬかもしれないから」
「…………」
「あんたは、いつも不足ばかりを言っていたのだから、神様にお詑びだけしていなさい。お願いは私がさせて頂く」
と言わせてもらいました。それでおかげを蒙りまして、どうやら夫を大切にするようになりました。

 (9)   高い買い物

 先日も、ある信者が参って来て、上がり口で、どしんと大きな音をさせましたので、何かと見ますと、大きな板のようなものを、上がり口に立て掛けました。お礼がすみますと、
「先生、この違い棚を見て下さい。安いので買ってまいりました」
「安い?まあ四銭か三銭五厘か」
「先生、無茶おっしゃる。これを新たにこしらえるとすると、削らせるだけでも、大工の手間が二日かかります。それを勘定してみて下さ い。四銭か三銭五厘かとは、あんまり無茶ですわ」
「いや、私の言うのは、たきつけの値段なのだ」」
「それは、とにかく、これで一円です。安いもんです。注文してこしらえさせたら、まず十円はかかりましょう。あんまり安いので、買ってまいりました」
「それで、あんたはそれを、どこに使うつもりなんです」
「今のところ、どこといって使うところはありませんか、あんまり安いので……」
「使い道がなければ、邪魔になるだけではないか。安いからといって、さしずめ必要のないものは、結局は高いものと違いますか」
 お互いは、何によらず、物の誘惑に負けてはなりません。

(この「我が信心の歩み」は、2011年2月に掲載されたものです)
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