「我が信心の歩み」 (連載第75回)


[七十五]  お米に不自由しないおかげ(1)


 おかげを蒙りまして、日に月に、信者さんもその数が増えてきまして、お供えのお米もだんだん多くなり、布教に出てまる一年になりますと、家の者だけでは食べ切れなくて、お米がたくさん余るようになりました。それでなくても狭い教会です。お米の置き場に困るようなことになりました。それを見かねた世話係が「先生、放っておいて、虫に食わすのはもったいないことですから、お米をわけてもらえませんか」と、言うような始末です。

「わけてあげてもいいが、いくらでわけてほしい?」
「そうですなあ、時の相場でわけて頂けましたら、結構でございます」
「時の相場で?それならご免だ。わたしとこは米屋でないから、相場では売れない。特別に安い値段で売ってあげよう」
「特別に安い値段ですって。時の相場を無視したような安値でしたら、今度は、私の方がご免蒙ります」
「では、結局、ならん話だ」
「先生、ご冗談は抜きにして、特別安値って、いくらぐらいでわけて頂けますか」
「そうだなあ、あんたが信者でなかったら、そう安くは譲れないところだが、ほかならんあんたのことだ。特別の勉強値で、一俵一万円にまけておこう」
「えーっ、一万円。冗談を言って。私をからかわないで下さい。私は真剣に申しているのです。一俵が一万円なんて、そんな無茶な……」
「何が無茶だ。あんたの目には、あのお米が、米屋の倉に積んである、普通のお米と同じに見えるかもしれないが、私には、あのお米はみんな、御神米なのだ。一粒あったら、それで人の命が助かるのだ。たったの一粒でも、貴重な一粒だ。あんただからこそ、一俵一万円にまけてあげるのだ。何にも知らない人になら、一俵百万円でなかったら、ようわけてあげない」
「そんなことおっしゃらないで、虫がつきますから、どうぞ相場でわけて下さい」
「いるのなら、持ってお帰り。私が言うお米の相場の意味さえ分かってもらえたら、それでいい。お金はいらない。タダでいいから」
「でも、タダでは……」
その世話係も、私にこう高飛車に出られては、どうしようもなく、それでお米の話は打ち切りになってしまいましたが、お米は依然として、教会のすみに積まれたままで、虫に食われはしまいかと、その世話係に心配をかけていましたが、それでよかったのです。その後に、このお米は、困っておられるお家に、夜中に内しょで運んでしまい、俵に虫を入らせないですみました。

 ところが、こんな調子で、お米に少しも不自由しないで過ごしているうちに、ぴしゃっとお米のお供えがとまってしまいました。それは、その翌年の三月のことです。家内が
「先生、お米が…」
「どうしたんだ?」
「なくなりました」
「そうか。ないなら、ないでよろしい」
「でも…」
「なかったら、食べなければよいだけだ」

その翌日も、お米なしです。次の日には、赤飯のお供えがありましたので、それを頂きました。翌日はまた、お米なしです。三日目には、鏡もちのお供えがありました。五、六升のお鏡でありましたが、ご用に出てきた世話係の人たちに、みんな食べてもらいました。それで、家族の者には、ゆきわたりませんでした。

「先生、お洗米さんおあがりになったら?」
「とんでもない。私は、どこも患ってはいない。お洗米は頂けない」
「でも、先生、今日もありませんので」
「なかったらないでよろしい。なかったら食べないまでだ」

 みなはお洗米さんを頂いておりましたが、私は「そうまでして生きようとは思わない」と言って、聞き入れませんでした。とはいえ、あまりにお米の途切れ方がひど過ぎます。世話係に、虫に食われはしないかと、心配までさせたほどにたくさんあったお米なのに、そのお供えがぱったりとまってしまい、食うや食わずの日が、何日も続いているのですから、たまったものではありません。

 私としましては、なぜお米がこんなに途切れるのだろうかと、考えないではいられません。何としてでも、このなぞを解かなければならない。しかし、どうしてもそのわけが分かりません。お米のお供えが途切れるということは、お米を取り上げられたということです。

 これには、何か御神慮にそわないところがあるに違いありません。そこまでは見当が付きますが、それからさきはとなりますと、どうしても分かりません。まず私は、自分を問いつめて、原因を見つけ出そうと骨折りましたが、これということに思い当たりません。神様に始末書を書いてお詑びしようと思っても、その書きようがありません。ただ、その日、その日が疑問の連続でありました。

 朝、目を覚ましますと「先生、今日もお米がありません」と言います。

「そうか。それではお下がりの小豆があるだろう。お砂糖があるのだから、それでぜんざいを作ったらどうだ」
「ぜんざい、それは結構です。そうさせて頂きます」
その日一日は、朝昼晩と、ぜんざいの食べ通しです。まるでぜんざい屋が引っ越して来たようです。三度が三度、ご飯がわりにぜんざいを召し上がれと言われたのでは、どんな甘党でもまいってしまいます。家族の者は、もう晩には顔をしかめて「またか」といった格好です。
その翌日もまた、
「今日もお米がございません」
と言います。
私の答えも「今日もぜんざい」というほかはありません。
「先生、もうぜんざいのにおいをかぐだけでも、胸がむかつきます」
「何を言うんだ。あんたはぜんざいが好きではないか」
「いかに好きでも、昨日も今日も朝昼晩と、三度が三度、ぜんざいばかりを食べていては、いやになります」

 どんな好きなものでも、そればかりでしたらたまりません。のべつまくなしに続いては、やりきれなくなるのは無理もありません。そこで、私は申しました。 「よく覚えておきなさい。ご飯はどうです。幼い時から、毎日毎日、三度が三度、食べているが一向にあきない。だから、ご飯ほど有難い結構なものはない。それに、このご飯をさしおいて、ほかに、これ以上のものを求めるのは間違っている。このことがよく分かれば、また、ご飯を頂かせて下さるだろう」

 そう言い聞かせておりますと、翌日は、お米のお供えがありまして、ご飯を食べることができました。こんな具合いに、お米の切れがちなことが、三月から七月にかけて、およそ四カ月ばかり続きました。しかし、とうとう、どうしてお米が途切れるのか、なぜお米を取り上げられたのか、そのなぞが解ける時がやってきました。

(この「我が信心の歩み」は、2011年10月に掲載されたものです)
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