「我が信心の歩み」 (連載第79回)


[七十九]  教会造作費の支払い(3)


 話は明治二十九年、まだ私の信者時代、二十七才の時ですが、この年、私は男の子を授かりました。金光様から「湯川安太郎長男申之年和賀之助」というお書下げを頂きました。

 和賀之助―役者みたいな名前だが、これは私が育った和歌の浦を、もっと立派にせよという暗示をお与えになったのだろうと思わせて頂きました。

 ところが、誕生前、この子が病気をしました。その頃は、大阪教会へ参っていましたが、お広前でご祈念中に夢を見ました。中に子供をおいて、両方から子供の手を引っ張りあっているうちに、うっかりして、向こうへ子供を取られてしまって、はっと思った時、夢が終りました。それは、ちょうど大祓の最中でした。あとから考えますと、これがお気付けだったのでしょうが、気がついた時には遅かったのです。

 私は、金光様からお名前を頂いた子ですから、滅多に死なんと思っていましたので、「死なさん」というお祈りをしていなかったために、死なしてしまいました。

その後、金光様にその由を申しますと、「惜しいことをしたのう」と仰せられましたので、いよいよ「しまった。死なんでもよかったのに」と、後悔したことでした。そこで、ソロバンを持ってみますと、私は楽をするのがおくれそうです。まごついていたら、何年おくれるか知れません。お道のことが、よく分かっていない時分のことでしたから、子供ができたことを、とびが、たかを生んだように大喜びで「この子は、きっと、ものになる」と楽しみにしていました。死なしただけでもつらいのに、金光様から「惜しいことをしたのう」と仰せられたのですから、たまりません。

 今おかげを蒙っても、腹に十カ月で、来年でなくては生まれません。楽するのが二、三年おくれます。これは大急ぎでおかげを蒙らねばと、「今晩、男の子を」とお願いしました。それから後、私は友人から「惜しいことをしたなあ」と慰められるたびに、「仕方ない。しかし、もう後のおかげを蒙っている」と答えることにしました。「君、本当か」「何で、うそなど言うものか」「でも妻君が、そんなことないと言っているではないか」「家内は知らんが、八月になったら生まれる」「そうはっきり言うところをみると、本当らしいな」「八月に男の子が生まれるから、見ていてほしい」。そんなことを言っておりましたら、八月に子供が生まれました。

 それが、男の子かと言いますと、案に相違して、女の子でありました。費用の点から言いましても、女の子は感心できません。「神様、私は女がきらいです。相手を見ておかげを下さらないと困ります」。こんな失礼なことを言いました。「君、男の子と言っていたが、女ではないか」と言って、友人からひやかされますと、私は「大体、神様が気がきかんのだ」と文句を言っていました。神様の思召しが分からなかったからです。

 ところが、その子が九才になっに時、私は「ああ、しまった。これは神様にお詑びしないと相済まない」と気づかせて頂きました。男の子ですと、専門学校を卒業させ、その後四、五年は仕込まないと役に立ちませんから、三十才になるのを待たなければなりません。女の子なら、二十才になれば、三十才の養子が迎えられます。私の願いは、楽をするのがおくれるというところから、「今晩、男の子を」とお願いしたのです。だから、願いの中身は〃早く楽がしたい〃ということであったので、神様は、それならば女の子であれば、楽をするのがおくれなくてすむであろうという御神慮から女の子を授けて下さったのです。そうだと気づきますと、私は「やはり女の子でよろしゅうございました」とお礼申さずにはおれませんでした。

 事実、その娘が十九才の時に婿養子をもらい、神様のおはからいに対する感謝の思いを新たにいたしましたが、前後まる八年間というものは、当時の私は目先だけしか考えせんから、どんなにそれを不足に思い、文句をならべたてたことでしょう。振り返ってみますと、何事でも、今日までに、これだけはおかげでないというようなものは、一つもありません。文句を言った後で、必ずお詑びを申し上げるようなことになっております。

 さきにもお話ししましたように、私は極楽を見つけるまでに十三年かかっています。ちょっと学校へ行っても、一人前になろうと思いましたら、十年はかかるのですから、十三年は決して長いとは申されません。私の十三年間の信心は、ただ、おかげ欲しやの信心で、何でもお金が欲しくてたまらないといった、目先だけのおかげを追いかけ通しでした。

 ところが、十三年目に本当の神様が分かり、この親様さえつかまえていましたら、何の心配もないとなりますと、私は、もうお金が欲しくなくなりました。どうしてあんなにまでお金を欲しがったのだろうかと不思議に思えます。「神様、有難うございます。よく今日までおかげを下さらなかったことでございます。もし、もっと早くおかげを頂いていましたら、信心をやめていたかもしれません」と、お礼を申し上げたことであります。

 ところで、こう言いますと、それまでの十年間はむだであったように聞こえるかもしれませんが、決してそうではありません。私の信心は、おかげ欲しやの信心でしたから、早いうちに思うようなおかげを受けていましたら、神様にさようならをしていたでしょう。しかし、神様は、私が満足するようなおかげを、なかなか下さいませんでした。そこで私は、何としてでもと、信心に骨折らせて頂くことができましたので、本当に助かることができたのです。

 神様が、私の思うようにおかげを下さらなかったおかげです。おかげがなかったおかげです。その間の一年一年は、十三年目にそこへ出るまでの道行きであり、そういう道行きをたどったればこそ、最後に、出るところへ出られたのです。ですから、すべてがおかげなのです。

 そういえば、十三年目の私の商売の行きづまりは手をひろげた貸し売りがもとで、掛けがたまって資金の融通に困り、頼母子に手を出し、この行きづまりで、私はようやく、自分の腕のこわいことが分かり、わしが働いて、わしが食べるという〃我〃を捨てることができました。そうして、これさえつかんでいたら、もう安心という親様を、はっきり分からせて頂いたのですから、私を、この行きづまりにまで追い立てたようにみえる貸し売りも、掛けも、頼母子も、欠損も、みんな私を目先のおかげから末始終安心のおかげへと、道案内してくれたもので、何から何まですべて、おかげでないものはありませんでした。
(この「我が信心の歩み」は、2012年02月に掲載されたものです)
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