「我が信心の歩み」 (連載第84回)


[八十四] 人と場合に応じて (2)


 信者の人々の悩み、願いはさまざまであり、一人一人の立場も違っているのでそれにつれて、私の応対も変わってきます。そのいくつかの実例を、ここに話させて頂きます。


 (6)   舌先三寸の刃物で
 せんだっても、禅を二十八年やったという人が参って来ました。よく調べています。一時間半ほど、とうとうと、禅の話をしました。言うだけのことを言わないと、舌が休みそうでなく、こちらの言うことを聞いてくれそうもないので、私は黙って、その人の言うことを聞いておりました。やっと話がすみました。

「あんたの奥さん、極度のヒステリーと違いますか」
「そうなんです。どうしてそんなことが分かりましたか」
「あんたがあんまり偉くなり過ぎたので、奥さんは寂しい思いをされている。あんたはもう少し腰をかがめて、手を引いてあげなさい。そうしないと、奥さんがかわいそうです」

 その人は立派な人で、禅は専門家はだしですが、奥さんは助かっていない。それで、商売はクリー二ング屋をしていると言うので、
「あなたのやり方では、執達吏(裁判所の執行官)と仲良しになりますなあ」
「それはそうですが、どうしてそんなことが分かります?」
「あんたは、禅の本箱みたいな人だ。本箱なら、食事もしないし、着物も着ないですむが、あんたという本箱は、食事もしなければならないし、着物も着なければならない。それだけ足りなくなるのは当然です」
「それはそうですね。しかし、執達吏の方は解決がつきました」
「でも、借金の方はまだ払わないで、そのままでしょう。借金を払わないということは罪悪です」
「罪悪ですって。罪悪とはひどいですなあ」
「いや、私から言うと、白いピカッと光る刃物を出して、金を借りるのを強盗といい、舌という赤い三寸の刃物を振るって、お金を借りるのを普通、貸借といい、それは、呼び方が変わるだけのことだ。払わなかったら、強盗と五十歩百歩で、同じようなものです」
 と話させて頂きました。

 (7)    大阪中が得意先
「先生、八百屋をさせて頂こうと思っていますが、お得意が一軒もございませんので、どうぞお願いします」
と、ある時、こんなお願いを受入たことがあります。
「一体、どこの山奥で八百屋をするのです?」
「先生、山奥ではありません。この大阪です。何々町でさせて頂こうと思っております」
「何だ、この大阪で商売するのか。あんたが、お得意が一軒もないと言うから、私は、どこの山の頂上で商売するのかしらんと思った」
「…………」
「この大阪で商売するのなら、何も心配することはない。この大阪中の人は、みんなあんたの得意先じゃないか。何百何十万という人が、みな得意先です」
「…………」
「しかし、それは一生懸命に働いて、勉強する者の得意先です。どこの得意先、かしこの得意先ということはない」
 と言わせてもらいましたが、すベて、思い方と働き方でおかげになります。

  (8)  願う資格がない
 この間も、ある奥さんが泣いて参って来ました。夫が急性肺炎だといって悲観しています。
「先生、治りますか」
「それはおかげ蒙った。あんたの願いどおりになった。今度はためだ」
「先生、死ぬのですか」
「そうだ。夫の不足ばかり言っているから、今度はお引き取りになる」
と言いますと、ウワーッと泣き出しました。
「おや、あんた、夫が要るのか」
「要りますとも」
「それなら、なぜ日頃、夫の不足ばかりを言っていたのだ?」
「あれはうそです」
「ごまかしてもだめだ。今さら、うそとは言わさん」
またウワーッと泣き出しました。
「先生、どうぞ助けて下さい」
「では、あんたはお願いしてはいけない。あんたがお願いしたら、死ぬかもしれないから」
「…………」
「あんたは、いつも不足ばかりを言っていたのだから、神様にお詑びだけしていなさい。お願いは私がさせて頂く」
 と言わせてもらいました。それでおかげを蒙りまして、どうやら夫を大切にするようになりました。

 (9)   高い買い物
 先日も、ある信者が参って来て、上がり口で、どしんと大きな音をさせましたので、何かと見ますと、大きな板のようなものを、上がり口に立て掛けました。お礼がすみますと、先生、この違い棚を見て下さい。安いので買ってまいりました」
「安い?まあ四銭か三銭五厘か」
「先生、無茶おっしゃる。これを新たにこしらえるとすると、削らせるだけでも、大工の手間が二日かかります。それを勘定してみて下さい。四銭か三銭五厘かとは、あんまり無茶ですわ」
「いや、私の言うのは、たきつけの値段なのだ」
「それは、とにかく、これで一円です。安いもんです。注文してこしらえさせたら、まず十円はかかりましょう。あんまり安いので、買ってまいりました」
「それで、あんたはそれを、どこに使うつもりなんです」
「今のところ、どこといって使うところはありませんが、あんまり安いので……」
「使い道がなければ、邪魔になるだけではないか。安いからといって、さしずめ必要のないものは、結局は高いものと違いますか」
 お互いは、何によらず、物の誘惑に負けてはなりません。
 
 (10)   信心は運命の切り換え
ある人が、〃いそう(人相見のようなもの)〃というものを見てもらうと「五月が悪くて、九月が悪く、十二月に大難がある。その大難が身体にきたら命がなく、家にきたら家がつぶれる」と言われ、それで神経を病んでいる、と言って参って来た人がありました。そして「本当にそんなことが分かる。でしょうか」と言います。
「分からんとは言えませんなあ。船頭は気象学者ではないけれど、明日の日和を見る。よく見る人になると、気象台よりも正確なことがある。それは何によって見るかというと、天の相、天相で判断すると言う。熟練すると、そういう勘が働くようになるから、まるで出たらめでないかもしれん。あるいは〃五月が悪くて、九月が悪く、十二月に大難がくる〃というようなことが、あんたの顔に書かれているのかもしれない」
「先生、驚かさないで、助かる道を教えて下さい」
「天地から、そうなるように、ちゃんと顔に書かれていては…」
「助かりませんか」
「船頭さんには、明日は雨と分かっていても、それをどうすることもできないように…」
「助かりませんか、どうしたら助かります?」
「そんなことを気に病んでいたら、ますます、そんな顔になる。〃本体の親〃である神様に一心に祈って、その運命のスィッチを切り換えて頂きなさい。それが、この道の信心である」
 と言わせて頂きました。


(この「我が信心の歩み」は、2012年07月に掲載されたものです)
TOP
バックナンバー一覧