「我が信心の歩み」 (連載第86回)


[八十六] 人と場合に応じて (4)



このあいだも、ある学生さんが「先生、学期試験ですから、いい成績がとれますように」と言って、お願いに参りました。
 「ばからしい。そんなお願いが、神様にきいて頂けると思っているのか。試験にいい成績をとりたかったら、平素のらりくらりしていないで、どうして、もっと勉強しない。神様をごまかそうとしても、神様は、そんな口車にはお乗りにならない。大体、あんたは親不孝だ」
「私がどうして親不孝です?」

「年を考えたら分かる。あんたはいくつです」

「ニ十才です」
「昔なら、二十才にもなったら、一人前だ。親のすねをかじって、学校にやらせてもらって、それでぶらぶらしていて、親不孝でないと言えるか。少しは親の手伝いをする気にはならないのか」
「それは仕方がありません。学校に行っていて、親の手伝いはできません。学校へ行くのをやめにしませんと」
「折角、親がやってやるというのだから、やめる必要はないが、親の手伝いができないことはない。親をよく見なさい。困っているではないか」

「何に困っているのです?」
「人手がなくて、困っている。お金を出して、人を雇ってまで、あんたに勉強させてやりたいと、学校へやってくれているのだ。若い時は、仏教でいう六道の辻に立っているようなもので、誘惑が多くて、迷いやすく危ない。テニスだ、野球だ、玉突きだといって、遊んでばかりいないで、心を入れ換えて、親の手伝いもし、勉強もしなさい」

「でも先生、それには身体が二ついります」
 
「そこだ。身体は一つしかないから、仕方がないというところに、思い違いがある。人間には、身体が三つも四つもいる時がある。しかし、身体は一つしか持っていない。そこで、信心させて頂いている者は、足りないところは、神様に足して頂くようにすればいい」
 
「どうしたら、よろしゅうございます」

「神様に、一生懸命にお願いするのだ、〃私が働かなければならないのですが、学佼へやってもらっていますので、どうぞ神様、あなたが、親の商売をお助け下さいまして、万事都合よくおかげを蒙り、商売繁盛しますように〃と、どうして祈らないのか」

 それから何カ月か後のことであります。その学生さんが、
「先生、どうして、もっと早く教えて下さらなかったのです。おかげで、父の商売も忙しくなり、私の成績も上がってきました。この頃では、テニスや、野球をやめて、はっぴを着て運動(家業を手伝うこと)をしています」
と言って、このように信心の報告をしてくれました。
(この「我が信心の歩み」は、2012年09月に掲載されたものです)
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