「我が信心の歩み」 (連載第89回)


[八十九] 無限供給のおかげ(2)



ずっと以前のことですが、教内でお金がいることがありまして、大阪教会に、教師ばかりが六、七十名ほど集まったことがありました。めいめいおかげを蒙っているだけ、お金を出し合おうということになりまして、その金額を紙に書いて出すことになりました。

 その紙を、私が集めに回ってみますと、三軒家教会の先生(故藤谷礼重郎師)が、ほかの教会の先生方と比べると、二十倍ほども大きな金額を書いていましたから、後で、「あんなに大きな金額を書いて、それだけのお金が手元にあるのか」と尋ねますと、「いいえ、これからおかげを蒙るのです」とのことでしたが、これが私の行き方です。必要があれば、その分だけ、神様からおかげを蒙っていくのです。神様は、尽きるということのない宝の蔵です。私は、こういう神様をご主人に持っている奉公人です。このご奉公に誤りがないかぎりは、どうして無限供給のおかげを蒙れないはずがありましょう。

 ある方面から、「玉水の先生は〃お金を出させると喜んでいる〃と言われておりますよ」
と、親切に注意されたことがありますが、何にしましても、そのように言われるということは有難いことです。

実際、 私はおかげ蒙って出させていただくのですから、どのような場合でも、喜んで出させて頂いております。ですから、お金を出すということについては、何の不満もないし、何の不安もありません。どんなに私が出したにしましても、それは私が出すのとは違います。私自身には、そんな力や甲斐性はありません。ことごとく、「どうぞあとあと差し支えのございませんように」と、神様にお願いして出させて頂いていますから、一向に差し支えありません。それは、神様が出されるのですから、私は、少しも心配しないでよいのです。

 こう言いますと、これは、取次者のみに限られた話のように聞こえるかもしれませんが、何も取次者だけのことではありません。誰でも、このようなおかげの蒙れる神様に信心させて頂いているのですから、私と同様のおかげを蒙ることができるはずであります。

 正直なところ、私が何かことをしようとする時には、いつも、私の手元にはお金がありません。では、そんな時には、不自由することだろうと思われましょうが、それでいて、お金に不自由するかといいますと、一向にお金の工面で苦しむようなことはありません。何と言いましても、ご主人が神様ですから。ぞんざいな言い方をしますが、「親方の身代は太い」。要る時には、要るだけ出して頂けますから、別に不自由したことはありません。

 その一例をあげて、お話ししてみましょう。たしか大正四年であったと思います。住宅が高い値で売れる時節で、家主から、家あけを言い渡されました。金光様にお願い申して、土佐堀裏町の、船町橋の橋詰めに、ころ合いの家が見つかりました。

「家賃はいくら?」
「百三十円で、敷金は五百円です」
「ああ、よろしい」
「それから、家を改造しなければなりませんので、その普請代に、ざっと二千五百円いります」
「ああ、よろしい」
何を言われましても、「ああ、よろしい」の一点ばりですから、頼りなく思ったのか、
「先生、何でも〃よろしい〃〃よろしい〃と言われますが、敷金の五百円が…」
と言って、家の者が私をあやぶんでおります。
「なくても心配はない。神様には〃かくかくの次第で、三千円ばかりのお金がいりますから〃と、お願いの伝票を切って出してあるから、神様が何とかして下さる」
 と言って、私は、おっとりと構えていました。

 家の改造のことに関しては、家主の承諾を得るために、二十日ばかりの日数を要しましたが、いよいよ、敷金を納めなければならないことになりまして、必要なお金を銀行へ引き出にしやりました。その前日、あるだけのお金を全部、銀行へ持って行き、それで通帳の残高がいくらになったか、調べもしなかったのですが、それでちょうど五百円になっており、敷金を納めることができました。その上、家の改造は、教会向きに造作するのですから、費用がかさみ、ざっと二千円ばかりかかりましたが、そのお金も、三カ月の普請中に、次から次へと、滞りなく支払いができるおかげを蒙りました。

 ところで、これよりさきに、教会新築のことにつきまして、信徒総代の間で相談をまとめ、金光様にお取次ぎを願ってから、その計画を、私に伝えて来たというようなことがありました。その時私は、同意しませんでした。それはなぜかと言いますと、その計画によりますと、
一口がOO円、十口ならばOOO円といった具合いに、これからお金を集めようということで、それなら入り用の金額はたちどころに調達できるでしょう。またそうしたとしても、誰も文句は言わないでしょうが、それでは、人頼みすることで、神様からおかげを受けたのとは違います。それで、私は断りました。「それでも、あなた方が、ぜひとも建築したいというのなら、建築してもよろしい。そのかわり、屋根の上に〃これは神様のおかげでできたのではない。頼母子講でできた〃という看板をかかげてもらいたい。それなら、私も承知します」と、
総代たちに言っておきました。ーーそれで、この計画は立ち消えになってしまいました。

 ご本部に控所(玉水教会旧控所)を建てたのも、これまでと同じやり方です。全教的にも参拝する人が、だんだん多くなってきまして、大祭の時などは旅館も一杯になり、これでは野宿しなければならないと言いますので、明治四十五年の春に、宿泊所を建てることになりましたが、大工さんにその工費を見積もらせますと、五、六千円はかかるということです。

「先生、お金、信者から集めましょうか」
「とんでもない。どうしてそんなことを言うのか。言ってはいけないことは、思ってもいけないのだ。そんなことが、どうしてできる」
「………」
「お金の心配は、あなた方がしなくてもよろしい。信者さんに迷惑をかけてはならない。月のうちに、たった一晩か二晩泊まるだけのことだから、体裁は必要ない。千人の人が、二階を歩いても大丈夫なように、堅固第一に建ててもらいたい」
 四カ月ほどの間に竣工しましたが、その間に、工費一切のお金も、難なくおかげを蒙りました。

 私は、初め、神様に「宿泊所を建てさせて頂きます。お金が約六千円必要です。どうぞお願い申し上げます」と願っておきました。お願いしないでいては、私自身にはそんな力がなく、どうすることもできないからです。奉公人という立場から言いましても、ご主人に、いちいち請求の伝票を出すのが、当然だからです。私は、何事によらずこの行き方で、ずっとおかげを蒙っていくのです。それで、私は今日まで、お金の必要な時に、お金がなくて困ったというようなことはありません。その場になくても、「神様、こうこうさせて頂きますから……」とお
願いしておきますと、必要な時には、ちゃんとおかげを蒙ってゆきます。

 時折、お願いもしないのに、たくさんお金のあることがないでもありませんが、そんな時は私が前もって知らないことで、ぽかっとお金の要るような場合であります。

 いずれにしても、出るだけは入ってきまして、無限に供給して下さいますから、その点、私自身で、とやかく心配することはありません。もしも、これが反対で、入るだけ出るのでしたら、どうでありましょう。お金を使うのに、よほど用心しなければならないし、むだ遺いのないように気をつけて、わずかなお金でも、神様の思召しにそむかないように、うかうか使わないように、心を配らなければなりませんが、私の場合は、出るだけ入ってくるのですから、どんなに使っても使い切れず、要れば要るだけ、要るにまかせて、いくらでも使わせて頂けるという、そのようなおかげを蒙ることができてまいりました。

 そういえば、船町橋の教会から、江戸堀上通り一丁目七番地の教会(前の教会)へ移転した時もそうであります。船町橋の家につきましては、金光様が「この家にはしばらく」とおっしゃって、私をお差し向け下さったのです。そして、またも家主から、家あけの申し出を受けましたが、最初、これは神様から、また宿替えのご催促だと思っていました。それまでの私は、私の代に、教会の敷地を買わせてもらい、教会を建てさせてもらうとなりますと、そこに、私自身のどんな油断が首を出すか分かりませんので、その辺のところを考えまして、敷地を買うとか、教会を建てるというようなことは、次の代に譲り、私は一生涯、借家住まいで通させて頂こうと、こう心に決めていたのです。

 ところが、つぎの借家を探している時「また、あの神様は、家主から家あけを請求された」といううわさを耳にして、私は、はっとしました。これで二度目の家あけだが、神様が家あけの請求を受けられたとすると、なんという恐れ多いことだろう。何をおいても、神様のお家を買わせて頂くことに骨折らなければならないのに、それを自分勝手に、「私は一生涯、借家住まいさせて頂きます」と決め込んで、そこに気がつかないで、いい気になっていました。これは何とも申し訳ないことです。私は、そうと気がつきますと、何とも相済まないことでしたと神様にお詑び申し上げ、金光様にお伺いいたしますと、「新たに家を求めて、移転してよろしい」とのお言葉でした。三カ所の候補地がありましたが、金光様の仰せに従って江戸堀上通り一丁目の家を買うことに決めました。

 その土地と家とは、ある資産家の所有のものでしたから、売るのを好みませんでしたが、神様のことだから仕方がないと言って、譲ってくれることになりました。それで、その仲介人には、特に世話係でない人を頼んで、万事の交渉をしてもらいました。 (つづく)
(この「我が信心の歩み」は、2012年12月に掲載されたものです)
TOP
バックナンバー一覧