「我が信心の歩み」 (連載第96回)


[九十七] どんなに悪い運命でも(3)


 私の友人に、明治三十年の春頃から、お道の信心をさせて頂いていた人があります。その人の商売は、運送屋さんで、船舶も取り扱っておりました。信心させて頂いてから、初めの半期ばかりは、都合よくおかげを蒙っていましたが、半期ほどたちますと、ぴしゃっとおかげが止まってしまって、随分一生懸命にお願いもしていますのに、一向におかげが蒙れません。だんだんと手元がつまってきて、苦しくなるにつれて、お参りにも熱が入ってきました。

 朝四時頃に起きて、ご飯を食べてから教会にお参りします。その頃、初代白神先生の奥域は、岩崎(西区)というところにありましたので、そこへお参りして、それから川口(西区)にある店に行きます。店には俥がありますから、俥を乗り回して、お得意さん回りをします。
城に店から帰りますと、すぐに教会にお参りするといった具合いです。しかしながら、一生懸命になればなるほど都合が悪くなるのですからたまりません。そこへもってきて、教会にお参りしても、先生のごきげんがよくない。どうもそれに気がひけて、つい遠慮がちになり、先生のご祈念時間を考えて、こそこそと足音を忍ばせてお参りしては帰ってしまうという有様でした。そうしているうちに、とうとう三十四年の暮れには行きづまってしまいました。

 ところで、その人には、相当の生活をしている兄弟や親類があって、その様子を見かねて「あんな神様を信心するから、都合が悪くなり貧乏するのだ。信心をやめたらどうだ。信心をやめるなら、兄弟でもって世話をしよう」と言って来ました。兄弟や親類が心配して言ってくれることだから、言うことを聞いて助けてもらった方が、どんなに楽であるか分かりません。
 しかし、「神様の信心をやめてまで、世話になるようなことは断じてできない。自分がいたらないために、こんなことになったのだ。それを、神様のせいにされては、なんとも神様に申し訳がない。おかげを蒙るまでは、どんなことがあっても、信心はやめられない。そうでなくては、神様に相済まない」。こう思って、親類からの申し出は、きっぱりと断ってしまいました。

 ところが、三十四年の暮れに行きづまってしまうところでしたが、思いがけないお金が五千円ばかりできまして、どうにかこうにか、その急場をしのぐことができました。それというのは、すでに家を二番抵当にまで入れて、とことんまでお金を借りていましたところへ、ひょっこり口入(くにゅう=金融仲介業者)がやって来まして「あいた金があるが、使わないか」という話です。「借るには抵当がいるだろう」「抵当はいるが、家を抵当に入れさえすれば」
「それならだめだ。家は、とっくに抵当に人っている」「いくらで」「一万二千円。一割二分の利息だ」「それなら、入れ替えたらよい。こちらは一万八千円、九分の利息です。借り替えられますから」というような次第で、一万八千円借りて一万二千円を返済し、差し引き五千円ほどの融通ができたのです。

 それで、明冶三十五年の初春を迎えました。その年も債務に追われ通しで、三十六年には、また差し押さえを受けなければならないような羽目に陥りました。「八百円ほどの金融ができさえすれば、その瀬戸際が乗り越えられるのですが、競売に付されるようなことになったら、お道の名をよごすことになって申し訳ない。何としてでも都合をつけて頂かなければならない」と、一心にお願いしていました。
 その時もまた、思いがけず口入がやって来て「八百円ほどの金があいているから、使わないか。利息は一割二分だ」と言ってくれました。たとえにも〃おぼれる者は、わらをもつかむ〃と言います。お金と聞けば、のどから手が出るほど欲しい時ですから、利息が高い低いなど考えておれない。さっそく借りることにして、抵当物件の登記をすることになりました。
 あいにくその日は土曜日で、早く行かないと登記所がしまってしまいます。急いで登記所へかけつけると、登記所はちょうど事務を終って、係の役人はタバコをすっておるところでしたが、こころよく登記の手続き書類を受け付けてくれました。

 ところが、越えて三十七年の正月のことです。私が教会へ参拝させて頂きますと、先生から「某さんは、今度の正月、もちもつけなかったそうだ」というお話です。私はそれを聞いて、非常にお気の毒に思いました。「仮にも、店員を五人、七人と使っている一家の主人が、正月を迎えるのに、もちがつけないとは、何という惨めなことであろうか」と思うと、私は矢も盾もたまらなくなりました。
 「どうも神様は分からず屋だ。うまくゆこうとゆくまいと、あれだけ一生懸命に骨折っている。はたの見る目にも痛ましいくらい信心に精根を入れている。あのような人におかげをやって下さらないようなら、そんな神様には、今後、信心する人がなくなるだろう。そればかりではない。現在信心している人でも〃あれくらい一生懸命に信心していて、あんなことになるようでは、信心も考えものだ。やめた方がましではないか〃というようなことになって、信心をやめる人が出ないとも限らない。
 そうなったら、これから信心させて頂こうという人も、二の足を踏むことになる。すると、これは軽々しく放っておけない大問題だ。一体、神様の思召しはどうなのだろう。どうも神様のなさることが分からない。ところで、某さんは、朝タに白神先生の奥城にお参りしているから、神様に申し上げるよりも、一応、白神先生に申し上げてみよう」と思いまして、さっそく初代白神先生の奥城に、私一流の理屈をならべたてに行きました。
「白神先生、あなたは、大阪の地へお道を広めに来られましたのに、亡くなられたら後は野となれ山となれと思って放っておかれるのですか。どうも、あなたのお考えが分かりませんから、お尋ねに参りました。

 あなたがお道を広めようというお考えなら、ああいうなされ方では、道はすぼんでも広がることはないと思います。あなたの思召しがさっぱり分かりません。少々の欠点がありましても、あれくらい熱心な人には、一応はおかげをやって下さることが大事です。雨の日も風の日も、六ヵ年間、熱心に信心しておる者を放っておいて、少しもおかげをやろうとなさらないようでは、お道の広まる道理がありません。あなたは、お道を広めに来られたのでしたら、どうしてこの方を放っておかれるのですか。私は、そこのところがなかなか納得できません。あなたは、こんな熱心な人におかげを授けようとなさらないで、どんな人におかげを授けようとなさるのですか。こんなことを捨てて顧みようとなさらないくらいなら、お道を広めに来られなかった方がましでございます」

 私は思いつめたら、そのままを吐き出さないではおられない性分である上、その時は、こんなことを申し上げたら失礼になりはしないかと、気をまわすだけの心のゆとりは持ち合わせていませんでした。

「それとも、本人の信心にいけない点があるなら、どうして、先生(二代白神先生)を通してそれを教えられないのですか。頼むのはそちらの勝手だ、というようなあなたの態度は、どうも私には承知できません。本人のどの点がいけないのか、ぜひお知らせ願います」
 と、私は、白神先生相手にかけ合いました。すると、
「今、信心について、かれこれ言う場合でない」
とのお答えが得られたように感じましたので、私は、この時こそと思い、たたみかけてゆきました。

「では、どうしてこんなことになるのですか」
「もうこれ以上、おかげのやりようがないのだ」
「正月に、もちもつけないようなおかげを頂かせて下さいとは、お頼みしなかったと思いますが、これは、何かのお間違いではありませんか。これではとても辛抱できません。店員を五人、七人使っていて、正月に、もちもつけないということは、尋常なことではありません。まさか、〃正月に、もちもつけないようにして下さい〃と、お頼みする物好きはおりますまい。そんなおかげならいりません。それでは、氏子が助かりません」
「某の家には、一ぱい、二はい、三ばいという罪があるのだ。分かっておるだろう」
「一ぱい、二はい、三ばいとは、どんなことでございますか」
「親、祖父、曽祖父だ」
「一ぱいだけは聞いていますが…」
「祖父はより以上の罪を犯し、曽祖父もまた、罪を犯している。そのめぐりがあるので、これ以上の繰り合わせは、できないのだ」
「と仰せられるだけでは困ります。結局、どうして頂けるのでございますか。あの家は、つぶすことはできません」
「つぶしはしない。もうしばらく辛抱せよ」
「〃しばらく〃は、ご免蒙ります。あなたの〃しばらく〃は、半年でもしばらくなら、一年でもしばらくです。それに、あなたは辛抱せよと言われますが、辛抱できるくらいなら、こんなことを申し上げに出ては来ません。一体、いつまでの、〃しばらく〃でございますか」
「では二月の中頃まで」
「それならニヵ月辛抱させますから、どうぞおかげを授けて頂きますように……」
ご無礼なことを申し上げましたことをお詑びし、「有難うございます」とお礼を述べて、すぐにその足で友人の家を訪れました。

 友人はしょげ返っていました。
「どうしてる?」
「とてもやってゆけないので、商売をやめて、堺の某家に奉公しようと思っている」
「ちょっと待った。大体の様子は、先生に承ったが、どうも分かりかねるので奥城へ参って、初代白神先生と談判して来た。結局〃二月の中頃まで辛抱せよ〃とのことだった。二月の中頃まで、石にかじりついてでも辛抱すれば、きっとおかげになるから」
「そうか。それは有難う。私の家のめぐりの深いことはよく承知している」
「一ぱい、二はい、三ばいというのだから。しかし、今日まで、よく辛抱できた。これも信心のおかげで辛抱できたのだ」
「その通り、信心のおかげだ」

  こんな具合いで、二月の中頃まで辛抱していましたら、果たして、すっとおかげになり、六年越しの難儀から抜け出るおかげを蒙りました。その後、八月頃だったと思います。久し振りで、その友人に教会で出会いました。
「しぱらく会わなかったが、どこに行っていたのだ」
と聞きますと、
「ちょっと有馬へ」
との返事でしたから、
「それはお楽しみだったが、ついこの間まで、苦しみ通していて、少々楽になったからといって、有馬行きとはどうしたことか。〃のどもと過ぎれば、熱さを忘れる〃というが、五年も六年も苦しんだのを忘れてしまったのか。その間、お繰り合わせを続けてきて下さった神様の並々ならないご苦労のほどが分からないのか。そんな考えを持っていては助からないぞ」
と、注意させて頂きました。とにかく六年間、ぶっ通しで苦しみ抜いてきても、信心の道を迷わず失わずに歩き通して、度重なる難儀にも負けず、ついにおかげを蒙った信心振りには、私も感心させられました。
(この「我が信心の歩み」は、2013年8月に掲載されたものです)
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