かんべむさしのこぼれ話
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 かんべむさし

  1948年1月16日生れ 兵庫県出身の小説家、SF作家、エッセイスト。
  (かんべむさしWikipediaより)  金光教玉水教会信徒

 

連載第29回

教える姿勢と取り組む態度


――稽古(けいこ)事に行ってもそうですやろが。師匠にビシビシやられると芸が上達するのも早い。またそれでなくちゃなりまへん。信心が天狗になると、すぐ鼻に掛けたり、わしは信徒総代じゃ世話係じゃとなって、肝心の信心は中身がスッカラカンになってしまってる。
(『信話』第十五集)182頁




昔は芸事を習って楽しんだり、おさらいの会をひらいたりするのが、市井の人たちの娯楽のひとつでした。そのため江戸はもちろん、大阪の町中にも、稽古屋と呼ばれる教習所が随所にあったそうです。大阪は浄瑠璃(じょうるり)が盛んだったのでその稽古屋も多く、明治以降も、習う人が多かったようです。一方、「五目(ごもく)の師匠」という言葉もあって、これは踊り、三味線、小唄端唄(はうた)など、何でも教えてくれるお師匠さんのこと。上方落語にもそれらを題材にした、『猫の忠信(ただのぶ)』『寝床』『稽古屋』などのネタがあります。

 どんな芸事でも、安太郎先生のお話のごとく、ビシビシやられると上達も早いのですが、商家の旦那方のなかには、あまり厳しくやると面倒臭がったり、臍(へそ)を曲げたりして辞めてしまう人がいる。そこは稽古屋のお師匠さんも商売ですから、誉めたり、おだてたり、上手にあしらいながら、続けさせたものだそうです。

 そうなると天狗になる者も出てくるわけで、右の『猫の忠信』には、浄瑠璃仲間に「おれは連名頭(れんめいがしら)やぞ!」と啖呵(たんか)を切る男が出てきますし、『寝床』は、下手も下手もドベタという商家の主人が、奉公人や貸家の借り手たちを集めて、強制的に浄瑠璃を聞かせるという笑い話です。

 稽古ということで思い出した逸話ですが、桂米朝師匠がまだ正式入門される前のお若い時代、四代目桂米團治(よねだんじ)師に落語の稽古をしてもらっていたところ、どうも本気でしてもらえているようには思えない。そこで、「師匠。私は本職の落語家になれなんだら、なれなんだでええんです。とにかく上方落語を後世に伝えていきたいんです」と言ったところ、「さよか。そしたら、そのつもりでやりまっせ」と、次からは、がらっと言葉遣いや稽古の様子が変わったそうです。このエピソードひとつからでも、適当な稽古と本気の稽古、天狗になる者とそうでない人との違いがわかります。

 なお、右の安太郎先生のお話には、引用部分のあと、「こんな信心天狗ではどんなりまへんなあ」という言葉が出てきます。上方落語の『壺算(つぼざん)』というネタには、買い物上手を誇っている男のことを「買い物天狗」と称する部分がありますので、「ナニナニ天狗」という言い方は、昔の大阪の町言葉としてよく使われていたのでしょう。






 
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