かんべむさしのこぼれ話
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 かんべむさし

  1948年1月16日生れ 兵庫県出身の小説家、SF作家、エッセイスト。
  (かんべむさしWikipediaより)  金光教玉水教会信徒

 

連載第30回

伝染病も「祈れ薬れ」で


――明治三十二年であったと思う。どこの信者さんやったか、コレラが心配で、一生懸命願うていました。(『信話』第16集53頁)
――大正八年に、大変流行性感冒がはやって、急性肺炎で死んだ人が多かった。そのため火葬場が困ったくらいに繁盛しました。(『信話』第16集95頁)




 ふたつまとめての引用ですが、どちらも当時、世界的に流行した伝染性の病気です。
 まずコレラは、コレラ菌の経口感染によって発症し、激烈な下痢と嘔吐(おうと)を引き起こします。ひどいときには一日二十回から三十回も下痢が起きるそうで、患者は体温低下、脱水症状、血行障害、血圧低下、痙攣(けいれん)などによって虚脱死に至ります。

 適切な治療を施さなかった場合の死亡率は、アジア型で、75~80パーセント、エルトール型で10パーセント以下とのこと。そのアジア型は、元来、インドの風土病だったそうですが、十九世紀に入ってから世界中に広がりだし、一八一七年以降、何度も大流行しました。日本では、江戸時代後半の文政五年(一八二二)に最初の流行が記録されています。ころりと死んでしまうので、虎狼痢(ころり)、虎狼狸(ころうり)などとも書いたようです。

 そして明治以降も、二年ないし三年おきに流行し、死者が10万人を超した例も二度あったとのこと。明治二十八年(一八九五)に流行したときには、死者4万人だったそうですから、安太郎先生のお話は、まだそれが収まっていなかった時期のものでしょう。

 次に、大正八年(一九一九)にはやった流行性感冒というのは、当時「スペイン風邪」と呼ばれたインフルエンザで、その前年にアメリカで流行しだし、第一次世界大戦の最中でしたので、ヨーロッパに派遣された将兵が感染を拡大したと言われています。
 その二年間で、世界の感染者が6億人、死者は5千万人、日本でも2380万人が感染し、死者は、当時は約39万人と発表されていましたが、最近の研究では48万人に達していたそうです。そしてこのスペイン風邪の犠牲者には、竹田宮恒久殿下、作家の島村抱月、建築家の辰野金吾など、著名人も含まれています。
 まだ病原菌が何であるのか解明されていなかったため、これほど大きな被害をもたらしたわけですが、現在でも、従来のワクチンが効かない新型ウイルスが出てきたりしますので、インフルエンザは依然として怖い病気です。

 最初のコレラのお話ですが、その信者さんはご本部へお参りし、三代金光様から「コレラは、油断をしたら小さな穴からでも入ってきます」と教えていただきました。そこで帰宅して、家中の穴を探して塞(ふさ)いだのですが、教会の先生から、「それは取り方が違っている。家の穴ではなく、信心に油断の穴をあけるなという意味だ」と正されました。
 次のお話は、安太郎先生も、多分流行性感冒であろう症状に見舞われたという体験談です。熱が四十度も出て、眼を開けておれず、息も苦しくて寝込まれたのですが、ご祈念によって、三日間で食事もできるまでに回復されたということです。
 信者さんと先生とでは「信念」に差があるとはいえ、対照的なお話です。






 
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