かんべむさしのこぼれ話
TOP > アーカイブ > かんべむさしのこぼれ話

 かんべむさし

  1948年1月16日生れ 兵庫県出身の小説家、SF作家、エッセイスト。
  (かんべむさしWikipediaより)  金光教玉水教会信徒

 

連載第8回

冥加(みようが)ということ


――信心さしてもらったら、ミョウガ(冥加)ということが、わからんといかん。信心せん人でも、冥加ということを知っている人がある。冥加のわるいことしておったら、結局、何をしていることやら分からんことになる。“勿体ないも、いやしさから”とも言いますが、欲からきた冥加でも、冥加のわるいことするよりはマシですナア。――                (『信話 第三集86頁)




 「冥加」という古い言葉は、私にとって、知ってるし、意味もわかっているように思うけれど、いざ正確に説明しろと言われたら困惑する熟語のひとつです。

 辞林を引くと、「冥加」の本来の意味は、「知らぬうちに受ける神仏の援助・保護。冥利」と載っています。だから、たとえば芝居などで「いのち冥加なやつめ」という科白(せりふ)があったとしたら、これは、悪人に殺されかけていた者がその難を逃れたときなどに使いますから、「運の強いやつめ」と言い換えられるし、本来の意味とも、そのままつながっているように思うのです。

 ところが、たとえば上方落語『千両みかん』という噺(はなし)のなかに、「いかにわが子のためとはいいながら、みかん一つに千両、冥加の程が恐ろしいなあ」という科白が出てきます。跡取り息子の病気を治すためとはいえ、主人から、みかん一個を千両で買いに行かされる番頭がもらす言葉ですが、病気と言っても実はそれは、昔の夏場に、みかんが食べたいと思い詰めて寝ついたという贅沢病。番頭自身は金を稼ぐことの苦しさ難しさが身に染みていますから、千両という大金、その値打ちの重さを考えれば、「そんなこと、していいのか。許されることなのか」という思いに、駆られざるを得なかったのでしょう。

 とすると、この場合の「冥加の程が恐ろしい」は、生活のなかで守るべき分や則(のり)を越えることの恐ろしさを言っているようですから、「その慢心ぶりが恐ろしい」と言い換えられるかもしれませんが、本来の意味からは離れてしまっています。

 ただし、番頭の言葉を深く解釈すれば、「神仏の援助や保護を思えば、その慢心ぶりが……」ということになるのかもしれません。ですから、安太郎先生のこのお話に出てくる「冥加のわるいこと」も、事の大小にかかわらず、与えてもらっている「おかげを無視するようなこと、踏みにじるようなこと」と解釈すれば、わかりやすくなると感じたのですが、それでもまだもうひとつ、すっきりしないのです。無論当時の信者さんたちは、本来の意味を超えて大先生のおっしゃる冥加は冥加として、そのままわかっておられたのでしょう。

 
TOP
 
  Copyright(C) Konko Church of Tamamizu All Rights Reserved.