かんべむさしのこぼれ話
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 かんべむさし

  1948年1月16日生れ 兵庫県出身の小説家、SF作家、エッセイスト。
  (かんべむさしWikipediaより)  金光教玉水教会信徒

 

連載第15回

 大隈重信の百二十五歳説


――もう今は亡くなりましたが、ワシは百二十五まで生きるということを、多くの人に断言した人がありました(大隈重信。明治大正の政治家、大正十一年八五歳没)。こんなことを断言するくらいえらい人のことですから、長生きするには何を食べたらエエか、どうしたらエエかということくらいのことは、十分研究しておったでしょう。が、なに、百まで生きてません。人間が、そんなこと断言できるものですか――            (『信話 第一集』230頁)




 大隈重信は早稲田大学の創立者として有名ですが、もともとは政治家の大物で、明治時代と大正時代に一度ずつ、内閣総理大臣を務めています。二度目の組閣時には70代後半になっており、確かに元気な人だったことがわかります。しかし、この「百二十五まで生きる」と断言した話は知らなかったので調べたところ、概略、こういうことでした。

 つまり、最初は何の気なしに、人との雑談中にそんなことを言ったらしいのですが、その根拠になる次のような説は、それより百年ほど前にドイツの学者が唱えていたそうです。
「動物の寿命は大体、成熟するまでの年数の五倍である。人間が成熟するまでに二十五年かかるから、寿命はその五倍で百二十五歳である」

 心身の健康に気をつけていけば、そこまで生きられるはずだという、可能性としての寿命だと思いますが、大隈重信もそれを知っていたようで、のちにはその達成を公言しだしたというのです。


 元来、大隈重信は日常生活でも、早朝起床・時間をかけた散歩・早めの就寝など、規則正しい毎日を送り、肉体は精神によって支配されるという考えのもと、その修養に努めた人だったそうです。だから、怒らない・むさぼらない・愚痴を言わない・過去をふり返らない・将来に望みを持つ・社会のために働く、などをモットーにしていたとのこと。

 ついでに書いておきますと、昭和二年(一九二七)に竣工した早稲田大学の大隈講堂は、この「人生百二十五歳説」にちなんで、塔の高さが百二十五尺(メートル法に直して約38メートル)あるのだそうです。これも私は初めて知りましたが、早稲田出身の方々にとっては常識なのかもしれません。

 
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