かんべむさしのこぼれ話
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 かんべむさし

  1948年1月16日生れ 兵庫県出身の小説家、SF作家、エッセイスト。
  (かんべむさしWikipediaより)  金光教玉水教会信徒

 

連載第17回

奉公と仕着せ


――奉公すれば、仕着せは、主人親方からくれます。私は、神さまに仕着せで奉公しとるんです。もろうた月給で、別に着物を買わんでもよろしい。神さまは親さまだ。食べさせて下され、着させて下され、一切のものを恵んで下さる親さまだ。親さまに任せておきさえすれば、“食べられるやろか、着られるやろか”というような、そんな心配はサラサラ無用である。――        (『信話 第一集』119頁)




  「奉公」という言葉は、本来、武家の家臣が主君に仕えてつくすこと、民が朝廷に、国民が国家に身を捧げてつくすことなどを言い、戦争中には、「滅私奉公」(自分を捨てて国につくす)というスローガンもありました。しかしこのお話に出てくる奉公は、商家に雇ってもらって住み込みで働く、いわゆる丁稚(でつち)奉公のことを言ったものです。

 住み込みですから、とりあえず衣食住は保障されるわけで、「仕着せ」は元来その衣類のことですが、安太郎先生のこのお話のように、奉公中の生活全体を表す場合もあります。


 江戸時代、そして明治になってからも、大阪の丁稚奉公は大体10歳前後から始められました。奉公先の慣習や本人の能力によって多少の違いはあったでしょうが、17歳、18歳くらいまでが「丁稚」で、仕事を覚える下積み期間。そのあと「手代(てだい)」に昇進し、このとき初めて羽織の着用を許されたそうです。名前も、丁稚時代は本名が太郎なら太吉と呼ばれ、手代になると太七と、七の字に変える習慣があったとのこと。確かに上方落語でも、登場する丁稚は常吉や亀吉、手代は久七と、ちゃんと区別されています。

 20歳を過ぎてのちは、能力によって「番頭」になり、結婚して外から通うことも許されて、三番番頭、二番番頭などと順に昇進していくことになります。そしてそのゴールは通常、「のれん分け」してもらって独立することです。

 『船場物語』(伊勢田史郎著、現代創造社)という、船場の歴史や商習慣を紹介した本には、大正時代の初期にメリヤス屋に奉公した人の体験談が載っています。それによると丁稚時代は、「無給で、盆、正月の2回、主人から綿服、帯、じゅばん、前だれ、げたの仕着せと若干の小づかい銭が与えられるだけ」だったとのこと。

 一応会社組織になっていたものの、厳しい店だったらしく、(試用のため多めに採用したのでしょうが)1カ月後に10人ほどが暇を出されて7人残り、11カ月目に試験があって、7人中3人がふるいおとされたそうです。ただし、手代になったときには主人から羽織と煙草盆を贈られ、会席料理で祝ってもらったとも書いてあります。

 そしてこの人は、昭和8年に独立して綿製品問屋を始めるのですが、そのときには貯金が1万円できており、自分が開拓した得意先も譲り受けています。厳しいけれども、熱心に勤めた者には、ちゃんと支援もしてくれる。その意味で、良い奉公先だったようです。


 
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