かんべむさしのこぼれ話
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 かんべむさし

  1948年1月16日生れ 兵庫県出身の小説家、SF作家、エッセイスト。
  (かんべむさしWikipediaより)  金光教玉水教会信徒

 

連載第19回

備後丸のこと


――「さきの見える水先案内とおっしゃると……」「それ神さまですわ。神さまにみちびいて頂くよりほかに道がありません」これは、私と備後丸の船長してた人との問答ですが、お互いの世渡りも船と同じだ。――        (『信話 第二集』16頁)




   何の注釈もなく備後丸と言っておられるので、「それだけで皆にわかる、有名な船だったんだろうな」と見当をつけ、『別冊1億人の昭和史 昭和船舶史』(毎日新聞社)という本を引っ張り出してみたら、何と表紙にその写真が載っていました。

 当時の写真絵葉書を5枚レイアウトしたなかの1枚で、マスト2本、もくもくと黒煙を吐いている背の高い煙突が1本の、当時としては大型船。旧字を新字に直せば「日本郵船株式会社 備後丸 台湾航路 総噸数六千二百八十噸」と紹介されています。

 日本郵船は日本を代表する名門船会社で、往年のバーテンダーの世界では、「郵船に乗ってた」「郵船で修業した」と言えば、一目置かれたほどだそうです。ましてその外国航路の船長となれば、当時は社会的にも名士、エリートだった立場の人でしょう。


 別の資料によれば、備後丸は明治30年(1897)にイギリスの造船所で建造された貨客船で、最初は欧州航路に使われていたとのこと。船室は一等が26名、二等が20名、三等が192名。横浜出航で神戸を経て、セイロン(スリランカ)のコロンボ、スエズ運河を通ってエジプトのポートサイド、そして地中海を走り、フランスのマルセイユ、イギリスのロンドンを経由して、終着港はベルギーのアントワープとなっています。

 その後、ボンベイ(ムンバイ)まで行くインド航路に使われ、台湾航路に就役したのは大正12年(1923)の3月から。最後は昭和6年(1931)に解体されています。

 このお話の船長さん、どの航路に乗っておられたんでしょうね。


 
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