かんべむさしのこぼれ話
TOP > アーカイブ > かんべむさしのこぼれ話

 かんべむさし

  1948年1月16日生れ 兵庫県出身の小説家、SF作家、エッセイスト。
  (かんべむさしWikipediaより)  金光教玉水教会信徒

 

連載第21回

何をもって礼装とするか


――ここへ参って来る人の中でも、厚司(あつし=厚い木綿地の仕事着)着た人もあれば洋服着た人もある。絹物の人、エプロンがけの人と十人十色で、いろいろにありますが、みな、それぞれに「大礼服を着ている」と私は見ております。。――        (『信話 第十集』197頁)




 厚司は右の文中に註釈されているとおりの衣服で、昔の大阪では丁稚がよく着ていたという、丈が短めの着物です。しかし、これについては第二集(186ページ)に出てきた事例で紹介してありますので、ここでは大礼服のことを書かせていただきます。
 この場合の「大礼」とは、明治から昭和戦前という時代の即位や大葬など、国家と皇室にとって重要な儀式のことで、大礼服はそのとき参列者が着る最高礼装です。これには武官(軍人)と文官(政治家や官僚)の区分、爵位の有無、位階勲等の差などによって細かい違いがあったそうですが、その一例が「仁丹」のマークになっているあの姿です。
 インターネットの『森下仁丹歴史博物館』という公式サイトによると、前社長の森下泰氏(故人)が子供の頃、お祖父さんに「あの大礼服の軍人さんは誰なのか」と聞いたところ、「軍人さんではなく外交官だ」と教えてくれたとのこと。日本だけではなく世界の人々の健康に役立ててもらうため、「仁丹は薬の外交官」という意味をこめて描かれたものだそうですが、文官でも、大礼服はああいういかめしいものだったわけです。

 なお「大礼」という言葉には、冠婚葬祭など個人の人生における大切な儀式という意味もあり、その場合には紋付きの羽織袴やモーニングコートなどが、大礼服だということになるのでしょう。いずれにしても安太郎先生はこのお話で、「どんな服でも、自分の務めを果たすための服が最高の礼服なのだ」という主旨のことを強調しておられます。

 そのあとに、[労働者の菜っ葉服が大礼服なんです。仕事着が大礼服であります。何々でめでいたからというて着る大礼服のほうがごまかしとちがいますか]とも言っておられますが、私はその部分を読んだとき、大正末期から昭和初年という時代、聞かれ方によっては、この言葉は少々「危なかった」のではないかと、一瞬ひやっとしました。



 
yajirusi TOP
 
  Copyright(C) Konko Church of Tamamizu All Rights Reserved.