「教風」 (連載第1回)


百年、途切れることなく


玉水教会の出社教会の先生が、先日のご本部の教団独立記念祭に参拝したおり、九州地方の学院同期の先生に呼び止められました。
「あんた、玉水教会布教百年祭で、手長の御役しとったねえ」といいあてられました。

しかしその友達の先生は玉水教会とは縁がなく、しかもかなりの遠方なのでお参りしたとは考えられないので「確かに」と言いながら出社の先生が不思議そうな顔していると「私はインターネットのライブ配信で見とったのよ」と種明かしをしたそうです。

「たまたま玉水教会のホームページをみていたら百年祭にライブ配信をするってあったので娘にやり方を聞いて二十日、二十一日の両日ともインターネットで大祭を拝ませてもろうたよ。いやあ感動したたい。パソコンの前で直立不動で拝ませてもろうたたい」と言われたそうです。

その出社の先生は「改めてインターネットの威力を知らされました」と話していました。これも百年祭のご比礼と思います。

●焼け跡の地図を見て


確かにインターネットというのは便利なもので、さまざまな情報が簡単に手に入ります。この間も国立公文書館のホームページを開いてみておりましたら大阪大空襲の被害地図が出ていました。

玉水教会の南側、そして東側が被災して表示されていて「まさしく教会を境に焼け残ったんだなあ」と実感しました。

そしてなんで神さまは玉水教会を残して下さったのだろう、と考えてみました。もちろん焼けてしまわれた教会もあり焼け残ったから比礼が高いのだなどというつもりは毛頭ありません。たとえば銀座教会も東京の空襲で焼失したのですが先代銀座の先生は、「あとで考えれば戦災に会うたのはおかげであった」と言っておられるくらいです。

私は玉水教会を残していただけたのは、初代大先生のお広前の御用に対する熱意といいますか努力といいますか人並みはずれた打ち込み方があったからではないかと思っています。

たとえばこのお広前が百年前創始されたとき、初代はまだ正式な金光教教師ではありませんでした。教師になるためにはご本部(教義講究所、今の学院)に行って講習をうけなければなりません。

周囲もそして神さまも本部に行って講習をうけるように促すのですが初代はなかなか聞き入れません。自分がたとえしばらくの間でもお広前を留守にすることによって参ってくる信者がおかげいただけなくなっては困るというのです。

そして神さまと押し問答を繰り広げた結果、神さまから「代理聞き届けた」というお言葉をしっかり頂戴して安心して講習をうけに行かれたのでした。

そこまでお広前を留守にすることを嫌われ、お広前の御用を大切にして打ち込まれた初代大先生でした。
それだからこそ神さまがこの玉水教会を戦災の炎から守ってくだされたのではないかと思うのです。

そしてその初代大先生の御用姿勢は二代大先生に受け継がれ、物質的にも困窮し精神的にも価値観がおおいに揺らいだ戦後の時代の中で、お広前の御用に恪勤することで初代大先生の信心を現わして行かれたのでした。二代の姿勢をさらに三代がそのまま受けてわたしの代に伝えてくださりことし百年を迎えることができました。

あらためて百年の重さをかみしめ、より一層初代の御心に添うよう精一杯御用していきたいと存じます。

(この「教風」は、2005年7月に掲載されたものです)
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