「教風」 (連載第3回)


物を大切に



 六月の墓前祭の折りであったかと記憶していますが、「今年は空梅雨のようです。水を大切に使わしてもらいましょう」という話をいたしましたら、その翌日から雨が降り始め、ついには各地で水害が起こるまでの被害となりました。

 私はプロ野球の阪神ファンなのですが、教話のなかで阪神のことを話題にすると決まって阪神が負けだし、周りの阪神ファンから、阪神の話はしないでくれといつも懇願されています。

 ジンクスというのもおかしいのですが、私も阪神に勝ってほしい気持ちは同様なので、いつのまにか阪神の話はしないような意識が働いているようです。

 もちろんお天気の話は、阪神の話題と一緒にはできないことですが、天地のことは神さまの領分ですから、そのことを人間の都合だけであれこれ申すことは、あるいはよくないのかも知れないという思いもいたします。

 現在の日本は飽食の時代などと言われ物があふれ、さまざまな人工的な食品も出回っております。それでもちょっとした天候の変動でその豊かさが簡単に揺らいでしまうのもまた事実です。

 十年ほど前には冷夏で米不足となり大騒ぎとなりましたし、昨年も台風の度重なる襲来で農作物に大きな被害がでました。そうなってはじめて私たちは天地のお恵みで生かされているんだということを気づくのです。

 水にしても、空梅雨だとじきに各地で水不足になって大変な不便を強いられますし、雨が続けば農作物が育たず、さらに洪水や土砂崩れの危険性が高まります。多くても少なくても困るのです。その天地のお恵みに対して、信心のない人は多すぎる、少なすぎると文句をいうばかりです。私たち信心を頂く者は、ああだ、こうだと言う前にまず心から天地のお恵みに御礼を申し上げるということに心を向けねばなりません。

 また、私たちの生活に使わせてもらう物についても、大切に感謝の気持ちをもって物が生きる使い方をしていかねばなりません。そうでないと、ふんだんにあるからいくらでも使っていいというように、信心のない人たちとかわりないことになります。

●「ここにいるよ」と傘が


 先日ある信者さんがこんな話をしてくれました。電車に乗っていて傘をなくしてしまいました。傘も今ではずいぶん安くなりました。コンビニにいけば五百円。百円ショップでも売っています。それでもその方は、縁あって使わしていただいた傘なのだから値段の問題ではなく、大切にしなければと探しにいきました。

 忘れたと思われる駅にもどってさがしましたがありません。あきらめて電車に乗って途中の駅に停車したとき「外を見よ」という声がしたような気がして窓の外をみると自分の傘が見えました。すぐに発車してしまったので次の駅で降りてもどると、やはりその方の傘でした。ところがそんな駅には降りたこともないのです。普通だったら見つかるはずありません。

 私は、その方が傘を大切に思う心が通じて傘のほうが「僕はここにいるよ」と知らせたのではないかと、そんな気がします。お道では物を大切にすれば物が可愛がってくれると教えをいただいています。

 高価だから大切にする、貴重だから尊ぶというのでなく、天地のお恵みをありがたく頂いていくという行き方を求めて参りたいものです。

(この「教風」は、2005年9月に掲載されたものです)
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