「教風」 (連載第4回)


節年の信心


 今年の八月一日、銀座教会において先代教会長湯川誠一先生の三十年祭が執行され、私は祭主の御用をつとめさせていただきました。
 申すまでもなく誠一先生は初代大先生の一番弟子であり、また大正四年にツヤ姫と結婚されて湯川家にはいられ、お二人で大正十二年一月二十日に東京に布教されました。

 私は、誠一先生が亡くなった時はまだ子供でしたので、残念ながら御教えをいただくということはありませんでした。しかしそのお姿はよく覚えております。私が遊び場にしていた当時の南の広間で、誠一先生が出社の先生方にお話しておられる姿をよく拝見しました。

 祭主の御用をつとめるという事情もあり、東京に立つ前に、銀座教会の教会誌『銀座だより』のバックナンバーをあちこち引っ張りだして目を通していました。

 ふと「布教百年に向かって」という先生のお話が目に止まり読んでみました。布教百年というタイトルから、ひょっとしたら玉水布教百年に関わったお話かと思ったのですが、そうではありませんでした。

 銀座教会布教当初のさまざまなことが語られ、大変興味深いお話でした。しかし、それにもまして私が驚いたのは次の一節です。

 「そして今年は東京に布教をして五十一年です。半世紀と一年ですから、五十一年というのは一世紀──百年に足を突っ込んでいるのです。これからは百年のおかげを頂けば良いのです。私はそういうことを感じました」

 銀座教会の布教百年のことをこのように言われているのです。銀座教会の布教五十年は昭和四十八年でした。ただ先生は信念として節年のお祭りはなされなかったので、このときも五十年記念の特別なお祭りは仕えられなかったと思います。そして、五十一年目の昭和四十九年は、玉水教会初代大先生・三十年祭のお年柄でした。前年に発病され養生中だった誠一先生は、病をおして大阪に参られ、二日間のお祭り両日ともに祭主と教話の御用をつとめられました。まさに命を賭しての参拝御用でした。
 そして翌年の八月一日、八十八歳でお国替えされたのです。

 いくら先生でも百年まで自分が御用しているなどとは考えられていなかったと思います。ましてや師であり父である初代大先生の大切なお祭りを祭主としてお仕えするという重責を病身で遂行されようというときです。普通だったら目の前の大事とご自分の体調とにとらわれて、それだけで精一杯の状況でしょう。

 しかし、そんなときでも誠一先生は、自分をこえた遥かのちの百年祭のことまでも視野に入れて信心を語っておられるのです。常に前へ前へと考えて行かれる。

 なるほど百年祭以後の信心とは、こういう風であらねばならないのだと私は教えていただいた思いがしました。

 自分が達者でいようがいまいが、おかげをいただいていくという信念。実は私はひそかに初代大先生百年祭を目標にしています。わたしが寿命をいただいていれば八十を越えています。
 私がいてもいなくても、私の跡を御用する次の代の者が立派にこの初代大先生が精魂傾けて御用された玉水教会の教績をしっかり継いで初代大先生百年祭をお迎えする。

 そのための一歩を今からしっかりと踏んでいくおかげをいただいていきたいと存じます。

(この「教風」は、2005年10月に掲載されたものです)
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