「教風」 (連載第6回)


華開く霊様の働き


 この秋に堀田教会で二柱の霊神様六十年祭の祭主の御用をつとめました。

 二柱の霊神様とは、初代教会長の中村貞二先生と現教会長の祖父にあたる福井平市先生のお二人です。生前のお二人は玉水教会でたくさんの修行生たちと共に御用したという以外、あまり接点はなかったようです。

 初代の中村先生が初代大先生のご命を受け、戦前の堀田に布教に出られたが、先の大戦に召集され、戦死なされたので家族は引き揚げられました。

 その後二代大先生が、福井信一先生(平市先生の子息)を堀田教会復興に派遣されたので、二柱併せてのお祭りということになったのです。

 もっとも私は、貞二、平市両先生お二人はよく似ているなあという印象を持っています。

●生前には、華咲かなかったが


 お二人とも生前は、力がありながら華が咲かなかった生涯でした。
 中村貞二先生は、昭和十三年堀田教会を開設。名古屋のほかの出社がお城に近い中心部に位置することが多かったのに対し、当時の堀田は周辺部という様子だったようです。初代大先生は「堀田は名古屋の中心になる」と、堀田の土地を愛して布教にいそしめと教え励まされました。お言葉通り名古屋の発展とともに現在では交通の要衝となっています。中村先生は花子奥様とともに懸命にお取次の御用に立たれました。そのまま行けば、おそらく堀田の地に金光教の御名を高く掲げるような大きなおかげをいただかれたことでしょう。先述のように残念ながら三十七歳で戦死されました。

 平市先生もそうです。大正のはじめからの古い信奉者で、やがて教会に入所して教師の資格を得るために本部へ修行に参る前に交通事故に遭いました。命はとりとめたものの本部での修行に堪えられる体ではなくなったので、教師を志すことは断念せざるをえず、その後は初代大先生の許で御用しておられました。ところが東京の教会(現在の雪ヶ谷教会)に嫁いだ娘さんのご主人(教会長)が急逝され、その親教会・白金教会から要請されて娘さんの布教の手伝いをなさることになりました。

 わずか二年でしたが、ご比礼は高くあがり、その功績によって本部より贈教師としていただき、亡くなったあとでしたが、晴れて正式な金光教教師に取り立てられました。

●霊の働き

 これだけみれば、信心しても報われない、あまりおかげがいただけないこともあるのか、と言いたくなるようなことかもしれません。
 しかし、貞二先生の子息・中村教道先生は、銀座教会で修行されてから二代大先生のお言葉により飯田教会後継に派遣され、現在までにしっかりしたおかげをいただいておられます。

 平市先生の方も堀田教会を継がれた信一先生がご比礼をいただかれ、晩年には立派に教会新築のおかげをいただいて、逝かれました。
 神様のみはからいの広大さに畏れいるのと同時に、生前は華咲かなかった貞二先生、平市先生が霊となってどんなに働いて下さって子孫を助けたことだろうかと思わずにはおれません。

 信心の世界の深さ、霊の働きの確かさを、このお祭をとおして改めて思わせていただきました。

(この「教風」は、2005年12月に掲載されたものです)
TOP
バックナンバー一覧