「教風」 (連載第7回)


信心の四つの目的



 あけましておめでとうございます。

 昨年は私たち玉水信奉者にとってありがたく、喜ばしい布教百年のお年柄に出会わせていただき、感動あふれる祭典をお仕えしました。
 今年は百一年目、玉水教会も第二世紀にはいるわけですから、より一層しっかりと初代大先生の信心をいただいていかなければなりません。

 一方、社会に目を向けますと、昨年はやりきれない思いを抱かせられる事件が多発しました。四月には尼崎で列車が脱線してマンションに突っ込むという前代未聞の事故が起こり、十一月にはマンションやホテルの建物の耐震強度が偽装されていたことが発覚するなど、耳を疑うニュースが報道されました。安全が当たり前と思っていた私たちの常識が足元からすくわれて衝撃をうけました。

 また、安全と言えば、秋から暮れにかけて、少女が犯罪の犠牲者となる事件が続発して、心が凍るような思いがいたしました。
 なにか社会のなかの大事な部分が崩れかけているのではなかろうか、そんな気持ちさえいたします。新年早々暗い話題で恐縮ですが、そういう世の中に対して私たちは、信心を基にした人間の在り方、即ちこのお道の重要性を、しっかり訴えていかなければならないと思います。もちろんそれには、私たち自身がしっかりとした信心即生活の内容を示さなければなりません。

 節年を頂いて迎えた一〇一年目の新春にあたり、私たちの信心のよりどころとして、これから初代大先生がのこして下さった「信心の四つの目的」をしっかりいただいて、私たちの信心の内容としていこうということを申し上げたいと存じます。これは、百年奉迎百日信行中の勢祈念のにおいてお唱えしてまいりましたので、その文言はよくご存じのこととおもいます。


 信心の四つの目的
一、常に心を清らかに持たせていただくために。
一、角立つ心を丸くするために。
一、災いを転じて仕合わせにさせていただくために。
一、自分の役割を明らかにして責任を果たさせていただくために。

 心を清らかに保つには、大いなるものに額ずき、お話をいただき、心を洗い、日々新鮮な信心を確かなものにしていくほかありません。
 いが栗のような心を丸くするのも信心です。
 災いを転じて幸せに、というのは単に目先目先のおかげを追いかけていくのが信心ではなく、もっと広く深い末々の幸せを追求していくことだというスケールの大きい内容です。

 最後の「自分の役割を明らかにして責任を果たさせていただくために」の項は、ひとつには字義どおり、自分にあたえられた仕事をしっかり勤めていくという意味もあります。教祖様のみ教えで言えば「毎日勤める家業は信心の行である」と言われる面ですが、またのみ教えにある「神様から差し向けられた氏子の自覚」という面もあるのです。
 つまり信心するものの役割とは何か、社会に向かって、信心のありがたさを訴えていく、神様の働きを現していく、そうしてこそ責任を果たしたと言えるのです。

 四つの目的を少しでも身に受け、実行して信心生活を進めさせていただきましょう。

(この「教風」は、2006年1月に掲載されたものです)
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