「教風」 (連載第9回)


遺教と信話集


 今月号の『あゆみ』の編集会議のときのことです。年若い先生が、初稿段階の遺教に登場する「いーや、わしはヒヨコや、ヒヨコを向こうへ向こうへつっていって、金になったのが成金や」(四頁上段参照)という箇所が分からないと質問をしました。「ヒヨコを釣るんですか」と。すると年輩の信徒が「いえ、これはぴいぴい鳴くヒヨコではありません。ヒョコつまり将棋の歩の駒のことです。最低の位の歩も向こうへ指して行って敵陣に入っていくと金になる、それを、突いて行って、と表現なさったのです」と解説してくれました。
それから遺教について話が交わされました。

●人気がない? 遺教


 実は私も読者の声として、遺教は読みにくい、『あゆみ』を読むときも遺教はとばしている、ということをよく聞きます。
 念のため遺教について説明しておきますと、これも初代大先生のお話には変わりありませんが、大先生のもとで膨大なお話を書きとめた故澤田定治郎先生のノートをほとんどそのまま掲載したものだということです。
 では、遺教と信話集は違うものなのかと言いますと、そうではありません。
 ただ、遺教は一つのお話がしり切れとんぼにおわったり、急にべつのお話にうつったりと、初代大先生のそのときのお心具合によりますから唐突な展開をすることもままあります。その点、信話集は学識者の白石匡先生が整理編集、工夫をこらしてできあがったものですから、当然ながら読みやすいわけです。
 また一方最近の出社の先生方との研修の折、信話集には刊行者である二代大先生の信心姿勢が色濃く反映されている、つまり大切なところは二代大先生が直接白石先生にいろいろ指示されて編まれたようだということも分かってきました。
 二代大先生はもちろん、白石先生も澤田先生も直接初代大先生から信心をわたされた方々ですから、読みやすいように整理を加えたところでその価値が下がるということではありません。
 私自身も三代大先生の命によって新信話集の刊行に直接携わってきました。旧信話集がすばらしいのはよくわかっていますが、時代の変遷によりわかりにくい表現などが出てくるので最低限の書き換えも行いました。
 その過程でかなり悩みました。もっと現代風に書き換えてスマートなものにし、多くの方に読んでもらいたいという思いがある一方、そうして内容をけずったり表現や言葉をかえたりしていると気づかないうちに、初代大先生の生命的なものが、するりと抜け落ちてしまうのではないかという不安が頭をもたげてくるのです。結論的にはなるべく修正は控えてという向きに落ち着きました。
 そこで百年祭を迎えるにあたり、初代大先生の信心をもういちど原点にもどって頂き直すという思いで、澤田先生のノートを通読し始めました。
 勇んで取り組んだのですが、あまりに読みにくいということがあって、結局途中であきらめました。当時の信者さんにとっては身近な話題や地口などが一杯つまっているのが初代のお話の特徴です。冒頭の「ヒョコ」の話のように今では解説をつけてもらわないと分かりにくい箇所も確かに多いと言えます。
 しかし何といっても、初代の肉声に一番近いという魅力もあります。いわば磨いてない原石の魅力です。遺教は読みずらいと言っても、月に数ページ程度です。信話集とはまた違った滋味深いお話を読ませてもらうのも玉水信奉者としての信心の稽古ではないでしょうか。

(この「教風」は、2006年3月に掲載されたものです)
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