「教風」 (連載第10回)


学院での洒掃


 初代大先生例年祭をお仕えしてしばらくたった二月のある日、「わたしのこと何か話したでしょ」と次女に詰め寄られました。
 娘のこわい顔をみているうちに「ああ、犬のことか」と思い出しました。
 初代大先生追慕勢祈念のあとに犬の世話を題材に加えた話をさせてもらったのですが、いささか言葉知らずで、「娘が世話しなくて悪い」というように聞こえてしまったらしいのです。
 次女は動物好きで、先代の飼犬が死んでから、ずっと犬を飼ってほしいと言い続けていました。しかし世話のこともあり、だめだよとその都度私は言い聞かせていました。

 あるとき家族でスーパーに買い物に行ったおり、ペットショップでその犬に出会ってしまったのです。見たこともない種類の白い犬でした。もう小犬とは言えない大きさでしたので、私が買わなければ処分になるだろうと不憫さも感じ、買ってしまいました。娘にせがまれただけでなく私自身もまたそろそろ犬が飼いたくなっていたようでした。
 ただ調べてみるとその種の犬はそれほど頭がよいわけではなさそうでした。そして実際飼い出してみるとトイレのしつけがいくら仕込んでもできないという問題が出てきたのでした。

 犬はどんどん大きくなり、とても小学生の娘には世話ができなくなりました。散歩に連れていっても駆けだしたりすると、逆に引きずられてしまいます。で、結局私が主に世話をすることになりました。
 毎日犬小屋の掃除をします。というより小屋のあたりでしているものを始末するのです。寒くなると、段々腹立たしくもなり、「いい加減覚えろよ」と犬に文句をぶつけたりしますが、向こうはキョトンとしています。ますますこちらは腹が立ってきます。

●この犬がいればこそ


 そんなことをしていて、ふと「このごろ、こんなふうに便所掃除とかしたことないなあ」と思いました。学院生のとき以来のことなのです。学院での掃除の記憶が甦ってきました。
 学院では掃除のことを洒掃と呼びます。ただ単によごれをとってきれいにする、というだけではなしに修行として取り組み、自分の心もきよらかにしようという意味です。

 その大事な洒掃を簡単にすませようとしたり、ときには体調が悪いといって出てこない仲間がいました。おかげでこちらは穴埋めでたくさん掃除をしなければなりません。はじめは文句一辺倒でした。そのうちに「ご本部の洒掃をできるのは長い人生のなかで学院生の一年だけやないか。今しかできないのや。ありがたいことなんや。そのありがたい洒掃もできずにうかうか過ごしているのは何ともったいないことやろう」と自分自身がありがたく取り組むとともに、仲間達全員で洒掃に取り組めるよう真剣に祈ることができました。
 私の祈りが通じたというより、ご霊地という場のお働きでしょう、一年がおわるころにはみな協力して洒掃できるようになり、とてもよいチームワークが組めるようになりました。

 そのことを思い出したのです。これも洒掃だろう。少々できの悪い犬を飼うことになったから掃除がさせてもらえる。この犬がいればこそ飼い主の私がいる。そうありがたく思って毎日掃除をしていると最近では犬もすまなさそうに私を見つめるようになりました。


(この「教風」は、2006年4月に掲載されたものです)
TOP
バックナンバー一覧