「教風」 (連載第11回)


後ろ祈念


 「後ろ祈念」という言葉があります。例えば夫であるとか主人であるとか、そういう表に立つ人の仕事や御用が都合よく取り運ぶように、自分は一歩下がった陰の所から祈っていくというご祈念、またそういう信心の仕方のことだと思います。

 すぐに思い浮かぶ模範となる例は、三代金光様の奥様であるキクヨ姫様でしょう。三代金光様のご神勤が遺漏なくお仕えできるようにご祈念をされました。ご自身、たくさんの御用を心をこめて取り組んでいかれました。キクヨ姫様のお話は以前に『あゆみ』誌上で金光真整先生が「三代金光様」の連載を長く続けてくださったので年輩の読者の方はご存じでしょう。また二代大先生の『教燈下』(平成五年の五年祭時に刊行)には二代大先生が折々に拝された金光様のご家庭のことが記されており、キクヨ姫様の何事も信心に基づいた行き届いたお姿をいただくことができます。

初代大奥様の後ろ祈念


 キクヨ姫様と同列に申し上げるのは畏(おそ)れ多いことですが、私の曾祖母(そうそぼ)である湯川ヒデ・初代教会長夫人も後ろ祈念の人でした。

 信話集からうかがうと、初代大先生から「棒鱈(ぼうだら)!」と、呼ばれもした初代大奥様でしたが、のちには「家内が一番偉い。この家内のいうことを聞かないとおかげいただけません。わしよりも、だれよりも太っ腹で信心がよくできているのは家内です」と全幅の信頼を置かれるまでになられました。   
 それでもけっして表には立たれず 、相談を持ちかけられても「大先生に相談いたしましてご返事いたします」という具合でした。初代がご帰幽になられてからは二代大先生を立てて初代同様に仕えられました。

 古い信者さんの中には、お広前の脇で長いご祈念をされていた初代大奥様を覚えている方もおられるようです。
 初代大奥様のご祈念にまつわる逸話のなかで私がもっとも心に残るのは戦争中、たび重なる空襲のなかでご祈念されていたお姿です。
 神殿わきの控所の薄明かりのなかで座り込んでご祈念なさるお姿。正座したままビリともされずご祈念される小さな大奥様に、息子である二代大先生は盤石の重みを感じられたといいます。

 私は、初代から二代へと後継直後の大変なときに、しかも空襲警報がたびたび発令される多難な中で、二代は単に「母がいるから大丈夫」というような依存的な関係でなく、「後ろで祈ってくれているから、まっすぐに心を神様に向けて大阪のこと、信奉者のことを祈らしてもらえる」と、そういう気持ちではなかったかと推察しています。まさに後ろ祈念の力ということです。

 今月の二十七日はその初代大奥様の五十四回目のお日柄日です。
 近年「婦人」と言う語は古い時代の言葉だと言われています。玉水教会では「婦人会」は光り輝く言葉ですが、時代の潮流はそうではないようで、そうとなると「後ろ祈念」などはもっとはやらない言葉ということになるかもしれません。

 女性も男性と同じように活躍しなければならない時代だというのは確かです。しかしそのときに、昔のあり方は間違っていた、今度は逆の行き方をするのだ、という考え方で昔を切り捨てていくのはいただけません。これまで金光教の女性たちが必死で求めてきた信心の道を精一杯身に受けて勉強し、そうして時代の要請にかなうような新しい行き方を求めさせていただく、そうありたいものです。「後ろ祈念」の大切さは時代は変わっても減じることはないと信じています。


(この「教風」は、2006年5月に掲載されたものです)
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