「教風」 (連載第12回)


最後の教話


 銀座教会長の湯川信直先生が五月八日に帰幽されました。私にとって、叔父さんというより「東京のお父さん」のように感じていた方なので、祭主として葬儀を仕えるのは、まるで親の葬儀をしているようで大変つらいことでした。そしてまだ亡くなったという実感がわかない今、先生の思い出を語るのも苦しいことです。
 とはいえ、先生の霊(みたま)様に御礼を申すよすがともなると考えて、先生の信心についてひとつふたつ想うところをお話ししてみたいと思います。

 五月十日の月例祭には、先生が玉水教会で最後にお話しされた、昨年十二月二十二日の教話のテープを拝聴しました。
 実は私は、この日には先生は東京からお見えにならないだろうと思っていました。というのは、その四日前に金光様三霊神祭を玉水教会のお広前で奉行し、先生にも副祭主として参列していただきました。しかし、先生は具合がとても悪そうで、直会にも出席なさらずおやすみになったということがあったからです。

 銀座教会でも同様に歴代金光様のお祭りを二十日にお仕えになったそうですが、お祭り以外はほとんどおやすみになっていたと、あとでご家族から聞きました。
 ですから先生が「大阪へ行く」と言われた時は、やめてくださいと止められたのだそうです。それでも先生は、大阪に来られました。
 どうしてそこまで無理なさったのかと私は思っていました。
 
●先代銀座の先生の信心をひたうけに受けて

 先日、昨年の『銀座だより』をふと開けて読んでいて、少し先生のお気持ちがわかってきました。
 それは湯川誠一先生(先代銀座教会長)のことを語っておられる箇所でした。誠一先生は、昭和四十九年二月一日・二日の初代大先生三十年祭に祭主と教話の御用をされました。
 ところが、実際にはそのとき、誠一先生の体は大阪へ来ることさえ難しいような状態でした。まして健康で元気な人でさえ、あれだけの節目に当たる大きなお祭りの祭主として御用にあたるのは大変なことです。誠一先生は、周りがとてもそんな病状とは気がつかないくらい堂々と祭主と教話の御用を仕えられたのでした。

 初代大先生の一乃弟子としての責任感もあったでしょうが、一番のもとは神様にお願いして神様とともにということが、誠一先生の御用姿勢の中に徹底しておられたからこそ、このようなおかげが頂けたのだと思います。
 信直先生は、こうした誠一先生のお姿を間近にみて、そのご信心をしっかりと受けられていったようです。『銀座だより』のその件(くだり)を読み、私も十二月二十二日の先生のお姿を思い出して先生のお気持ちへ心を馳せてみました。
 もちろん、無理をする、我を通すということでは、御用といっても神様の御用にはなりません。

 先代誠一先生が一世一代のお祭りで見せてくれた御用に対する姿勢を信直先生もしっかり受け継いでくださり、体が動く以上は先代の御用を継いでやらせていただくのだと。
 昨年、玉水布教百年のお年柄の最後に意義ある教話をしてくださったのは、それが神様への御恩報じだとの思いで参じてくださったのです。
 まだまだ思うことはありますが、また別の機会にお話ししたいと存じます。

(この「教風」は、2006年6月に掲載されたものです)
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