「教風」 (連載第13回)


信心の継承


 最近のニュースをみますと、幼児や少年少女が被害者となる悲惨な事件が続いています。聞かされるのがつらいような内容で憤りを禁じ得ないものばかりです。
 そういうニュースからは、これまで私たちの社会において暗黙のうちに守られてきたルールや良識が、いとも簡単に破られていっているような感覚をもたされます。社会の奥深い所で何かが崩れかかっている、とでも言えばよいでしょう。

 残念ながら、これからますますこの傾向は強まるでしょうから、次の時代を生きていく子どもたちにはそこを力強く生きぬいてほしい。そのためには特に神様を頂いて信心をしてほしいと、信奉者ならどの親でもそう願わない人はいないと思います。

 では、子どもたちに信心を受け継いでもらうにはどうしたら良いのか。
 実は、信心の継承はいつの時代でも最重要の問題で、それは今日からみれば、はるかに信心の継承が容易でスムーズであったようにみえる初代大先生の時代でもそうでした。

 初代大先生は「ほっとけ、ほっとけ。いずれ神様が信心させなさる。子どもたちが信心するように一心にお願いするのと同時に、子どもたちが信心する気になるような信心のひな型を親自身が見せていただきたい」とおっしゃっています。
 このお言葉ですべては言い尽くされているようですが、参考までに私自身のケースをお話ししてみたいと思います。

 ●強制しなかった父だが

 私は、この中でただひとりの男子でしたので、当然、継承ということを、祖父である二代大先生も父も願っておられたと思います。しかし私には、「信心しろ」などということは一言も言われませんでした。逆に私が、「教会の子に生まれてこんなに信心しないでええのかな」と考えるくらいでした。もっとも母は色々と申しておりましたけれども。

 スカウトに入団すると、食事のときに食事訓を唱えます。ところが湯川の家では、ことごとしく唱えなくてもよい、心が大事、ということでしたので、それをよいことに私はずっとお願いも御礼もなしに食べておりました。

 アメリカ留学から一時戻ってきたとき、私は、病床の祖父・二代大先生が、お祭りになると別人のように威儀を正してお広前にお出ましになる姿を拝して感動し、お道の教師を志しました。そのことは『はながたみ』などで記しましたので、ここでは詳しく申しませんが、私は学院に入学してようやく信心生活ということに目覚めたと言ってよいぐらいでした。

 学院在学中には、在籍教会実習という、いわば夏休みのような期間があり、私も玉水教会に帰ってきました。
 そのときはじめて、父である三代大先生の信心生活はどのようなものであるかに注意が向きました。食事のとき父の様子を窺っておりますと、口にこそ出しませんが丁寧に神様に御礼をして頂いている姿がありました。おそらく私の子どものときからそうであったわけで、私に強制をしないので、そうと知ることもなかったのです。そうして見ていると、父は物に対しても人に対しても、信心に則った生活を行っていました。皆さんは当たり前のことだと思うでしょうが、ある意味で私にはショックでした。自分は気がつかなかった、しかし父はそんな私を許し、願っていてくださったのでした。まさに初代大先生のおことば──「信心のひな型づくり」をそのまま果たされていたのです。私もいま親として、その行き方を求めてまいっているところです。
(この「教風」は、2006年7月に掲載されたものです)
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