「教風」 (連載第14回)


二代大奥様


  今月八日は、湯川冨美代姫、つまり二代大奥様が亡くなったお日柄に当たります。平成三年のことでしたので今年でちょうど十五年になります。

 二代大奥様といっても、婦人会などで御用された僅かな方を除いて、ほとんどの信奉者の方は直接接することはなかったはずです。ご祈念のとき、霊殿側わきの最前部で拝まれていた姿を思い起こすくらいではないかと思います。

 これがかつて修行生であった出社の先生方になりますと「二代大奥様にはほんとうにかわいがっていただきました」「われわれ修行生のことを母親のように包んでくださいました」などと言われます。
 では、孫の私に対してはどうであったか。さぞ甘いおばあさんであったか、と言うとそれが全くそうではないのです。

 ●二代大奥様を取り巻く空気
 もちろん私も人並みにおもちゃを買ってもらったりして、十分にかわいがってもらっていました。
 しかし幼い私からみると、おばあちゃんは厳しい人でした。厳しくしつけられたという意味ではありません。二代大奥様の周りにはいつも厳しい緊張した空気が張りつめていて、とても孫の私が気楽に甘えにいけるようなものではなかった、という意味です。

 たとえば、移動改修前の教会の奥には、大奥様はじめ湯川家の夫人が御用する専用の部屋がありました。母がひとりで御用しているときはたまに私も入っていったことがあります。しかし大奥様がおいでになるときは、とても子どもの私が足をふみ入れられるような雰囲気ではありませんでした。

その位、真剣にひたむきに御用されていました。ひとつには、御用のいちいちがお広前の御用に直結しているだけに、すこしの間違いも許されない、ということがあったでしょう。勘定支払いなどのお金の管理、お祭りのさまざまな裏方の御用など、直接二代大先生の神務を支える大切なことばかりです。
 私は、それと共に、この厳しいそして水も漏らさぬような御用姿勢は初代大奥様から仕込まれたが故だと考えています。
 
 初代大先生が晩年「お母さんは太っ腹や」と初代大奥様を讃えた言葉が残っています。大先生が思う以上に奥様の御用が完璧であったということでしょう。その初代大奥様の薫陶を受けて御用されていた二代大奥様です。御用に対する集中ぶりは並外れたものでした。

 私は、残念ながら二代大先生の御用姿勢については、自覚的に道を求めるようになってから接することはできませんでした。
 しかし二代大奥様は、私が教師にお取り立ていただいてからも元気でおられたので、私は初代大奥様をいただいての二代大奥様の御用姿勢をとおして、二代大先生が初代大先生をいただく姿を窺い知ることができました。

 晩年になっても、二代大奥様は長い長いご祈念をしておられました。私はいつも後ろで拝んでいたので「何をそんなに祈っておられるのだろう」と時々思う位でした。いま考えてみれば初代大奥様がそうであったように、教会長である息子の後ろ祈念に余念がなかったということでしょう。
 二代大奥様という方は、私にとっては血のつながった祖母というより、私に信心を示してくださった大切なご存在でした。
(この「教風」は、2006年8月に掲載されたものです)
TOP
バックナンバー一覧