「教風」 (連載第15回)


ご霊地の徳


 
 昨年十二月のご本部、布教功労者報徳祭でのことでした。
 このとき私は、開帳役のお役をいただいて一段高い殿場の席に座っていました。開帳役というのは祭典の始めにに二人の先生が立って神殿両脇にいき、帳を開ける役です。

 祭服をつけた金光様がすぐ間近におられます。祭典というのはすべて祭主をもとに所作が進行していきますので、どうしても祭主である金光様を注視することになります。 と、私はそこに座っておられるのが現教主金光様ではなく教祖様であるような気がしてきました。

 自分でもエッと思って、もう一度見直すと、今度は三代金光様が座っておられるではありませんか。
 妙なことがあるものだと改めて祭主席をまじまじ見るといつもの教主様のお姿がありました。

 そのときは、このごろ教主様も腰がお悪かったりして動作がこれまでと違ってこられ、晩年は車椅子に乗っておられたお祖父様の三代金光様に似てこられたのだろう、ぐらいに思っておりました。
 あとあとこのことをよく考えてみると、そんな単純なことではない、もっと深い意味があると気づかせていただきました。

 つまり今の金光様の元には四代金光様のお働きと積まれた徳があり、その元には三代金光様、さらに二代金光様、そして教祖様と、百数十年にわたる積み重ねのなかに今の金光様のお姿がある。そのことをご本部の祭典の祭員という特別の場のなかで神様から見せていただいたということではなかろうか、そう気づいたのでした。

 ●教祖様のお徳のしみこんだ土地
 銀座教会初代 湯川誠一先生は、お話の中で「ご霊地つまりこの金光の土地は、一農民であった赤沢文治という方が信心をして生神金光大神というところまで進まれたその信心の徳がしみこんでいる土地である」とおっしゃっています。

 玉水教会では毎月団体列車でご本部参拝させていただいています。私が覚えております限りで言えば、当日大雨で困ったということがありません。

 天気予報を見ていて「この次の日曜は雨」と出ると天候のお繰り合わせをお願いします。それでも当日になっても降っている。雨の中をお参りするのもこれも信心やな、と思いを切り換えて出かけます。道中車窓は雨の光景が続きます。ところが金光駅に着くと幸いやんでいる。本部広前でご祈念してお取次いただいていると、ざあーっと降っている。それがお山をまわるころはまたやんでいる。こういうようにお繰り合わせいただくことが非常に多いのです。

 親しい本部の先生方は「たいしたもんですなあ。玉水さんのお徳ですなあ」と感心して言ってくださいます。しかし違うのです。これは玉水の徳では断じてありません。ご霊地の徳なのです。

 大阪から団体列車を仕立ててお参りに行く、その私たちの真心を神様が、教祖様が受け取ってくださって、このようなご都合を下さるのです。

 ご本部参拝には、教祖様以来のお徳のしみこんだ地を踏ませていただき、教祖様、歴代金光様のお徳を体現されている現教主金光様に私たち玉水信奉者が一丸となって御礼申し上げるという大切な意味があるのです。た祖母というより、私に信心を示してくださった大切なご存在でした。
(この「教風」は、2006年9月に掲載されたものです)
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