「教風」 (連載第17回)


逆風からおかげが生まれる


今月の十五日は、七五三の日に当たりますが、金光教にとっての立教の日でもあります。一四七年前のこの日(安政六年の旧暦十月二十一日)に神様から教祖様に立教神伝が下がったのです。そこで、立教神伝を受けられて取次に専念なさるようになった頃の教祖様に思いを馳せてみたいと思います。

 教祖様が取次に専念なさる前からかなりの数の人が教祖様のもとをおとずれて、お取次をいただいていました。そしてその参拝者は急激に増えていったようです。

 とはいえ、それまでの主な生計の手段であった農業をやめることはご家族の生活を考えると大変なことでした。とりわけ奥様の実家の古川家では、「なんてことをしてくれた」と教祖様に反感を募らせていったのでした。そんな折り事件が起こります。

 ●「もどしの風は十層倍」
 以前から体の具合の悪かった遠縁のお年寄りが亡くなったというお知らせを神様からいただかれた教祖様は、急いで親戚にその旨を伝え、葬儀用の衣装を背負って数キロの道のりを歩いてその家に向かいました。ところがひっそりとしています。声をかけると、何と死んだはずの当人が現れて「文さ、なにごとか」と言うではありませんか。当惑しているところへ親戚の古川家の人たちもやってきて、教祖様の面目はまるつぶれです。

 神様は「常々、親族の者らが其の方の信心をあざけり笑っているから、神が目をさませてやった。『もどしの風は十層倍』と唱えてかえれ」と命じられました。ご命のまま「もどしの風は十層倍」と唱えながら帰途についた教祖様は、ご家族に物を言うのもいとわしくご神前にひれ伏したといいます。「もどしの風は十層倍」とは、あることの仕返しが何倍にもなって帰ってくるという意味のこの地方の俗言だそうです。

 この事件後、当然ながら古川家の教祖様への反発は高まります。間違ったお知らせを下される神様なんて信じられるか、と誰しも思うことでしょうから。
 私も、神様が親類のあざけりをやめさせるなら、神様の威力を目に物みせるような仕方をなさらずに、かえって逆風をふかせるようなことをどうしてなさったのか、はじめは不思議に感じました。

 しかし、この事件のあと奥様の弟で古川家の跡取りの参作さんが「わが家に関わることでこのように事実に反する神のお知らせがあったのはただごとではない。今一家の心を改めなければこの後どういうことが起こるかわからない」と深く反省して参拝するようになり、つづいて舅の八百蔵さんも翌年には教祖のお取次をいただくという風になって、古川家は皆熱心な信者になります。

 つまり神様の吹かした逆風が、結果としておかげになっているのです。考えてみれば神さまのおぼしめしというのは、いつもそうなのかもしれません。初代大先生も、小売り商いを始める頃から神様のおしらせを道を歩きながらもいただかれる境地にありました。ということは一人前の信者です。でも大先生の苦難はまだまだで商売の上でも家庭の上でもそれからのことでした。

 このお道では世間一般の信心のように「無事息災に病気も怪我もなく」が目的ではありません。難儀があっても逆風が吹いてもその中を信心していき神様を求めていく、そのことによって難儀を乗り越え、さらに大きなおかげに進むことができるのです。そしてその信心の果実は目の前の小さな無事息災などではなく、死んでからももっていかれ、子孫にも残せる「神徳」という大きな大きな果実なのです。
(この「教風」は、2006年11月に掲載されたものです)
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