「教風」 (連載第23回)


天国と地獄


 小学生のころ、天国と地獄の話を聞かされたことがあります。天国、極楽のことはよく覚えていません。しかし地獄の話は強烈でした。地獄には閻魔様がおって……生前罪を犯した人は死ぬほどのつらい目を負わされるが、それでも死ぬことはできん……まあ、なんと怖いところやなあ、死んでから地獄に行かないように生きているうちに悪いことをしないようにしなければ、とこう思ったことでした。

 宗派によっては地獄の恐ろしさを聞く人の心にかきたてることが信仰心の向上になる、と考えるところもあるようですが、金光教はそうではありません。

 教祖さまは、地獄へ行くとか極楽へ行くとか申しますが、という問いに対して「この方もまだ修行中で死んだ後のことまではわからないが、この世に生きている間に日々安心して正しい道さえ渡っておれば、死んだあとのことは心配をしなくていい」とご理解されています。

 また初代大先生は、あの世に地獄・極楽があると言う人がいるがそれは違う。この世が極楽ならあの世も極楽、この世が地獄ならあの世も地獄。本来この天地は極楽の天地で極楽になるのが当たり前なのに、食うに困り着るに困り地獄にしてしまうのは、わしが働いてわしが食うという途方もないことを考えるから。微小微力な人間が天地の神様の偉大なお徳とお力を素直にいただけば地獄が極楽の天地になるのに、と教えてくださっています。

 さらに死んでからもこの天地から離れるのではない、表の間で働いていたのが奥の間ではたらくようなものともおっしゃっています。

 ○幼稚園の園児が急に正座して
 私たちは、天地の親神さまの分けみたまをいただいてこの世に生まれてきたのです。肉体がなくなっても遠い極楽とか地獄とかにいくのではないと私も信じています。
 先日、信者さんがお結界で次のような話をしてくれました。
 姪御さんの家族が京都の奥にある先祖の墓地にお参りに行きました。不便なところで行くのが大変だったそうです。しばらくぶりだったので崖の上にあるお墓を探しあてるのにまた手間がかかり、草を刈り、お掃除もして、お参りして帰ってきたのだそうです。

と、その晩、家族で団欒していると、一緒に行った幼稚園の子供が急にいずまいを正して正座して、家族一人ひとりの名前を呼んで、「今日はお参りしてくれてありがとう」と言ったというのです。

 その信者さんも仰天していましたし、それを聞いた私も驚きました。しかし、たしかにご先祖の霊さまがそうした形でお礼を申されたということで、よほどうれしかったのだなあという気がいたしました。

 亡くなったご先祖たちはいまは奥の間で働いてくださっておられるわけですが、表の間で働いている私たち現役の者たちが、奥の間を気付かってお墓参りをしたり、あるいは教会に参拝して霊殿にお参りされるのがなによりのことなのです。

 亡くなった霊様のことをしっかりお慕いするとともに、この天地がほんとうに極楽の天地となるように信心をより一層進めさせていただきましょう。
(この「教風」は、2007年5月に掲載されたものです)
TOP
バックナンバー一覧