「教風」 (連載第25回)


お祭りをいただく心


 私は、ご本部でのご大祭や布教功労者報徳祭には通例祭服をつけて参列のおかげをいただいています。
 三代大先生はそうではありませんでした。羽織袴に威儀を正して、一般参拝席でお祭りをいただいておられました。私もはじめはそうしておりました。
 ところが正直に申せば、気持ちとしてもうひとつありがたくいただくことができなかったのです。教主金光様が祭主としてお出ましになってお仕えくださる最高のお祭りのはずです。それなのにどうも気持ちが入っていかない。三代大先生の場合はそんなことはなく、一般参拝席からでも素直にお祭りをありがたくいただかれておられた様子でした。そうならなんの問題もないのです。しかしどうも私はそれができにくいといえ、「これは、参列させてもらわないとダメだな」と決めて、それからはずっと祭服をつけてお祭りをいただいています。
 お祭りは単なる催しではありません。神様に心を向けてお祭りをいただく真剣な気持ちがなければなりません。
 かつて玉水団体はご本部参拝においても、よくまとまって行動し態度がよいと言われたものでした。交通道徳をよく守っていると表彰されたこともあります。そのころの信奉者の方々が、お祭りをいただく、ご本部へのお参りをいただく姿勢が徹底していたからでしょう。私たちにはそういう伝統があります。
 ご本部団体参拝は家を出るときから始まります。いつもとは違う引き締まった心持ちで家を出てお参りをしたいものです。
 ○典楽は伴奏ではない
 これは、ご本部のお祭りだけのことではありません。教会における大祭や月例祭でもそうです。身を慎んで真剣にお祭りをいただくことが大切です。
 たとえばお祭りでは冒頭に典楽が奏されます。あの音が鳴ると、「ああ先生方が出てくるなあ」とか、「祭詞が始まるなあ」と分かるわけですが、だからといって典楽をお祭りの伴奏のように思ったら大間違いです。あれは楽人さんたちのご祈念なのです。お祭りが無事に仕えられますように、祭主の読み上げる祭詞が神様に通いますように、という祈りを音で表現しているものなのです。その意味で楽人さんも参列している先生方と全く同じです。
 ということは、一般の参拝者も同様に先生方や楽人さんと同じくらいの緊張感や真剣さをお祭りに対して持つべきでしょう。
 大きなお祭りの献饌行事の時、よくどよめきがおこることがあるらしいのです。私自身はお祭りに集中しているので気がつかないのですが残念なことです。立派なお供え物に気をとられるのは致し方ないともいえます。しかし「あの松茸は高かっただろう」とか「重そうだけど、あの先生、持っていられるかいな」などと話しだしたりしたらお祭りは台無しです。
 たとえ何千人がお参りしていても、皆の心が一つになって真剣にお祭りをいただいていたら、しわぶきひとつないはずです。荘厳で神様に思いの通じるすばらしいお祭りになるはずです。
 それにはそのときだけ気をつければよいというわけにはいきません。日頃から信心を練っていかなければなりません。来年早々には二代大先生の二十年祭その翌年には三代大先生の十年祭とお祭りが続きます。お祭りをいただく心を今から鍛練して参りましょう。。
(この「教風」は、2007年7月に掲載されたものです)
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